愛さずにいられない —第二十七話—


赤のエースで妄想してみた その1 愛さずにいられない —第二十七話—


 翌朝、赤の兵舎から二台の馬車が警護の兵を連れ、出発した。

 1台目の馬車にはカイルとランスロットが、二台目の馬車にはアンリと黒の領地の女の子たちが詰め込まれた。赤の領地の唯一の被害者だったベッキーは、兵舎で待機していた家族に連れられ、昨夜のうちにターナー牧場に帰っていった。

 シリウスが指定した時間に黒の橋につくためには、セントラル地区のメインストリートを、通勤や開店準備の人々で一番賑わう時間帯に通ることになった。警護の兵を連れ、メインストリートをまっすぐ進む2台の馬車は、それほど派手にしていなくても注目を集めた。何事かと振り返る人や、興味深そうに後を追いかける人が次々と現れた。

 黒の橋についた頃には、二台の馬車は、思いがけず大勢の見物人を引き連れていた。

 馬車を降りたアンリは、集まった見物人にも驚いたが、橋の方を見て思わず立ち竦んだ。

 黒の橋の前には、黒の軍の幹部たちが勢揃いして整列していた。背後には、黒の軍の一般の兵士たちが並んでいる。さらにその周りには、黒の領民らしき人々が、興味津々、と言った風情で大勢詰めかけていた。

 黒の軍の兵士たちは武装していなかったが、制服をきっちり着た幹部が勢揃いすると、やはりとても迫力があった。

 アンリは先に馬車から降りていたランスロットとカイルに駆け寄った。

「何事ですか?」

「わからん」

 ランスロットは憮然とした顔でシリウスを見たが、シリウスは涼しい顔ですましている。

 アンリに続いて馬車から降りた女の子たちを見て、彼女らの家族と思われる人たちが駆け寄ってきた。

「ママ!」

 まずミリーが母親らしき人にしがみつくと、大声で泣き出した。

 ミリーは馬車の中では元気におしゃべりしていたのだが、やはりずっと緊張していたのだろう。

 次々と女の子たちは家族の元へ駆けて行った。女の子たちは皆泣いていた。

 再会を喜ぶ家族たちの様子を見ていたカイルが、医者の顔で呟く。

「こっからは心のケアが必要になるかもな」

「心のケア?」

「恐ろしい目にあうと、大人も、子供もその記憶に苦しめられることがある。怖い夢を見たり、眠れなくなったり……」

 アンリは、自分が何度も火事の夢を見て飛び起きていた頃のことを思い出した。アンリを怖い夢から助けてくれたのは、ゼロのキャンディだ。

「それも、俺たちの仕事だ」

 カイルがアンリを見る。

「わかった」

 みんなの心に、なるべく傷が残らないように。もし残ったとしても、ゼロのキャンディみたいな何かが助けてくれるように。

 アンリは願いながら、家族との再会を喜ぶ女の子たちの方へ目をやった。

 二人のやりとりを聞いていたランスロットは、喧騒の中、歩きはじめた。赤のキングの貫禄を纏ったランスロットがただ歩くだけで、見物人たちの視線は彼に引きつけられ、辺りは鎮まりかえった。

 領民たちが固唾を飲んで見守る中、ランスロットは黒のキングの前に立つと、問いかけた。

「これは、何事だ」

 レイはランスロットの問いに答えず、宣誓するように顔をあげ、口を開いた。

「赤の軍よ。貴君らは我が領地の娘たちを窮地から救い出した。黒の軍一同、心より感謝申し上げる」

 堂々とした張りのある、よく通る声だった。いつもの意地悪な声ではなく、黒のキングの声だ、とアンリは思った。

 事態を知らぬまま集まったクレイドルの人々の間に、レイの声は朗々と響きわたった。赤の軍が黒の領民を助けたことに人々は驚き、どよめきはじめた。

 ランスロットは少し呆れた表情でシリウスを見た。

 シリウスはニヤリと笑って見せた。

 密かにため息をつくと、ランスロットは顔を上げた。

「クレイドルの民を守るのは赤の軍として当然のことだ」

 無表情でそう告げたランスロットは、言葉を切ると、何かを思いついたように、口元に微かな笑みを浮かべた。

 シリウスだけが気づき、訝しげに眉をひそめる。

 ランスロットはレイに負けずよく通る声で言った。

「黒のキングよ。この度の救出は、我が軍の看護師の勇気ある行動によるものだ。この栄誉は彼女が受け取るべきものであろう」

 予想していなかったランスロットの言葉にアンリは驚いた。

 レイはアンリの方へ向き直る。

「赤の軍の看護師、アンリ・ウィリアムズ」

「はい!」

  フルネームで呼ばれるのは久しぶりだ。看護学校時代、厳しいアメリア先生に叱られた時の記憶が蘇り、アンリは思わず姿勢を正した。

「黒の軍一同、あなたの勇気ある行動を称え、心より感謝する」

「お、恐れ入ります」

 アンリは慌てて膝を折って、スカートを持ち、あらたまった礼をした。

 黒の軍の隊列からの口笛と拍手を皮切りに、黒の橋に集まっていた領民や、セントラルからついてきた見物人たちからも一斉に喝采が起きた。

 拍手や歓声に紛れて、軍帽を脱いだレイが、いつもの意地悪な声で言った。

「聞いたぜ。大活躍だったんだってな。……やるじゃん、親善大使」

 それは、アンリが初めてレイから聞く称賛の言葉だった。

 アンリは晴々とした笑顔で受けとった。

 ランスロットは、歓声の中、母親にしがみつき、壊れそうなぐらい泣き続けているミリーのところに行くと、彼女のそばで膝をついた。

 見物人たちは、驚きと共にその様子を見守っていた。

「ミリーと言ったな」

 ミリーは涙でぐしゃぐしゃになった顔で振り向いた。

「王子様」

「この度は恐ろしい思いをさせてすまなかった。二度とこのような目には合わせないと誓う」

 ランスロットはミリーの小さな両手を握り、真摯な目でミリーを見つめた。

「もし恐ろしい夢を見たときは、我々がいることを思い出せ」

「また怖い人がきたら、助けてくれる?」

 ミリーが泣きじゃくりながらランスロットに確認する。

「ああ、もちろん。必ず助け出す。約束する」

 ミリーは泣きじゃくりながら、何かを確認するようにじっとランスロットを見つめた。ランスロットは目を逸らさず、辛抱強くミリーが落ち着くのを待った。少しずつミリーの呼吸が穏やかに落ち着いて来た。

「ミリーを助けてくれてありがとう、王子様」

 ミリーはランスロットの首に腕を回すと、そっと彼の頬にキスをした。

「まあ、この子ったら」

 母親が慌てて咎めようとするのを、ランスロットが制し、微笑んだ。

「光栄だ」

 黒の領地の幼い娘の前に膝をつき、真摯に向き合う赤のキングの姿は写真におさめられ、この誘拐事件の顛末とともに、黒の領地で長く語り継がれることとなった。

 これらの物語は、語り継がれるごとに、黒の領民や兵士たちの心情に、少しずつ変化をもたらしていった。そしてそれは鏡のように赤の領民や兵士たちの心にも影響していった。

 ここに至って、黒のクイーン・シリウスの企みは大成功を収めたのだった。

 黒の橋での出来事の後。

 アンリが無茶な行動をブランに叱られている間に、両軍の幹部たちは忙しく駆け回り、その日のうちに今回の誘拐事件の全貌を明らかにした。

 夕刻になり、両軍の事件関係者は公会堂の一室に集められた。今回の事件は他国の犯罪グループが関わっていたことが判明し、外交官のムースと書記官のブランも同席した。また、同じく救出に携わった魔法の塔の最高責任者、ハールも同席した。

「やはりコールの件と繋がりがあったのか」

 調査の結果、誘拐を企んだのはクレイドルの南に隣接している国リドルの、さらに南の、貧しい砂漠の国、ソロルに根城を持つ悪質な一団だった。リーダーはやはりあの銀髪の魔力を持つ男だった。銀髪の男の名前も判明したが、クレイドルの人間には発音しづらいものだったので、みんな『銀髪の男』と呼ぶことにした。

 クレイドルで魔法の塔の上層部の粛清が起きたとき、逃げ出したコールも、ソロル国に潜伏していた。そこであの銀髪の男と知り合ったのだった。銀髪の男はコールの持つ魔法石に、コールは銀髪の男の持つ人員に魅力を感じ、手を組むこととなった。

「だけどコールがしくじって、赤の軍に見つかった時点で、銀髪の男は自分の部下10人とコールを直ちに切り捨てた」

 アンリは、あの男の、温度のないスチールのような目を思い出した。彼は見かけ通り、情け容赦のない人間だった。

「彼らは自分たちの仕事を至急済ませ、アモンの魔法石と共に、今日の午後には船でクレイドルを発つ予定だったんだ……間一髪だったな、お嬢ちゃん」

 シリウスの言葉に、アンリはぞっとした。

 もしかしたらあの女の子たちもアンリも、今頃は船に乗って、クレイドルの外へ連れ出されていたのかもしれないのだ。

「船で迎えにきた連中も捕まえた。クレイドルは幸い被害がなく済んだが、連中の被害に苦しめられている隣国リドルに、捕まえた一団を受け渡すこととなった」

 隣国リドルでは、国宝が彼らに強奪されており、彼らにさらわれたまま戻ってきていない国民もいるらしい。リドルは国をあげて、これから徹底的に調査するそうだ。

「彼らの目的は一体何だったんでしょうか?」

 アンリが不思議に思って尋ねると、皆がムースを見た。

 ムースは彼らしくない歯切れの悪い様子で眉を寄せ、唸った。やがて心を決めたように息を吐くと、落ち着いた様子で、口を開いた。

「本当にいろいろな国があるんだ。クレイドルの北西の半島に、天然の魔法石が多く産出されるため豊かな国がある。そこには古くからの信仰があって、彼らは赤毛の娘を、幸福を呼ぶ者として家に望む。ところがその国に赤毛の娘がここ20年ほど生まれなくなってしまった。そのため王族や富裕層が赤毛の娘を高額で買いたいと彼らに持ちかけたらしい」

 彼らの目的は、クレイドルでさらった赤毛の娘を、その国の富裕層に売ることだった。

 最初は思いがけない話に、みんな唖然としていたが、話が人身売買に及ぶと、一様に眉をしかめた。

「でもその国も、最近、若い歴史学者が、今の信仰が昔のものから形を変えていることを指摘した。それを発端に、若い国民を中心に変わりつつあるそうだ」

 最後にムースが付け加えた。

 犯行グループと行動を共にしていた赤の領地の住人フィルは、最初のチョコレートを用いた誘拐未遂のみが彼の仕業であり、それらが失敗に終わったことから、犯行からは外されていたらしい。ただ、すでに魔法石の秘密を知っていたので、行動を共にしていたようだ。このままだったら、おそらくどこかで消されていただろう、とムースが言った。彼も本来なら逮捕されて然るべきだが、本質的に犯行には関わっていなかったこと、スタンリー夫人が保証人として名乗りをあげ、必ず更生させると宣誓したことから、釈放された。

 事件の途中で姿を消したダリムの目的も行方も、不明のままだった。

 アンリは廃墟で彼に助けてもらったことを皆に話し、ハールもおそらくダリムなりにクレイドルを守ろうとしたのではないかと意見した。しかし彼の立場は、変わらず逃亡中の上級魔法学者のままで、一度は裁判にかけられなければならないだろう、ということだった。

 この誘拐事件をきっかけに、クレイドルでは対他国の様々な対策が重要であることが再認識された。それに伴って、赤黒両軍の協力体制がこれから早急に整えられていくことになった。

 翌日。

 昼食を終えたアンリが医務室に戻ると、私服姿のゼロが椅子に腰掛け、勢揃いした幹部たちに囲まれていた。珍しくランスロットまでいる。

 びっくりしてドアを開けたまま動けなくなっているアンリを振り返り、ランスロットが微笑んだ。

「そんな顔をするな、アンリ。別にゼロをいじめていたわけではない」

「そ、そんなこと思ってませんよ?」

 一瞬だけ心配したのが、顔に出てしまったらしい。アンリは慌てて自分の頬をおさえ否定した。

 ゼロは心持ち赤い顔をしていたが、アンリを見ていつものように微笑んだ。

「その……、いろいろ教わっていたんだ」

 一体何を?

 事態が飲み込めずに首を傾げるアンリに、カイルが言った。

「アンリ、今日の午後は休んでいいぞ」

「えっ、嬉しいけど……いいの?」

「お前、事件からこっちずっと休んでねーだろ。明日はエドガーの隊の訓練があるし、今日のうちにゆっくりしとけ」

 カイルはやけにニコニコと機嫌よく笑っている。

「ありがとう。じゃ、お言葉に甘えて……」

 アンリは私服姿のゼロを見た。

「ゼロも、今日お休みなの?」

「ああ、午後だけ」

「あのね、わたし調査結果の書類をまだ読んでなくて」

 アンリはオリヴァーに預けたままになっていた書類を、昨日再び受け取っていたが、どうしても読む気になれなくて、そのままにしていた。

「ブランが科学の国から持って帰って来た書類か?」

「そう。その……よかったら、読む間、一緒にいてくれる?」

 ゼロは目を丸くした後で、苦笑を浮かべる。

「お前、廃墟ではあんなに勇敢だったのに」

「……甘えすぎてる?」

 アンリが不安になって訊くと、ゼロは目を細めた。

「俺は……」

 何かを言いかけて、ゼロははっとしたように周りを見た。幹部はみんなやけに嬉しそうにニコニコしている。

 ゼロはちょっと咳払いをすると、立ち上がった。

「よし、いいところに連れて行ってやる」

 ランスロットが、無言で、ぽんと励ますようにゼロの肩を叩いた。

 ヨナは背中を押すように、掌で勢いよく叩いた。

 エドガーはくしゃっとゼロの髪を撫でるようにかき乱した。

 カイルも拳をぶつけるように、軽くゼロの肩を叩いた。

 幹部たちに次々と、肩や背中を叩かれながら、ゼロはよろよろとアンリの方へやって来た。

 二人はやけに上機嫌な幹部たちの笑顔に見送られ、医務室を後にした。

「さっきの、何だったの?」

 廊下を並んで歩きながら、アンリは尋ねた。

「さあ。何だったんだろうな」

 ゼロは微笑んでそう言っただけだった。

 誤魔化され、アンリは唇を尖らせ拗ねたような表情になった。

 ゼロはそんなアンリを見ても、ただ笑うだけだ。

 アンリは今度は質問を変えてみた。

「さっき、なんて言いかけてたの?」

「さっき?」

「俺は、の続き」

「ああ」

 ゼロはまた小さく笑って、今度は立ち止まった。

 アンリも立ち止まり、不思議に思ってゼロを見上げた。

 ゼロはアンリの手を取り、恭しく胸の辺りまで持ち上げた。

「俺は、お前のお願いなら、何だってきいてやる」

 柔らかく微笑みながらアンリを見つめ、誓うように言ったゼロに、アンリは何も言えなくなってしまった。

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