赤のキングで妄想してみた その2 イケレボ もふもふイベント補完ショートストーリー
「動物の気持ちがわかるようになる薬?すごいですね、魔法ってそんなこともできるんですか?」
シンシアが感心すると、ハールは気恥ずかしそうに目元を赤らめた。
「まあ、まだ試作品だから……」
「私、飲んでみたいです」
シンシアの頭の中には、すでに赤の兵舎でリコスやシャインやクリーク一家と楽しく会話する夢のような光景が広がっていた。
「いや、でも初めてつくった薬だから、やはり俺が飲んで安全性を確認してからの方が……」
「別に毒ではないんでしょう?」
「ああ、健康上の問題が生じるような成分は入っていない」
「じゃあ、大丈夫です」
期待に満ちた目を向けられ、ハールはそれ以上逆らえなかった。
シンシアは躊躇いもせずハールの作った魔法薬を飲み干した。
少し甘い、子供用の風邪薬のような味がする。
「念のため聞くけど、気持ち悪くなったりはしてないね?」
「んー、……何も変わった気がしません」
その時、ちょうど、フクロウが部屋に飛び込んできた。
「おかえり、スウ。シンシア、どうだ。スウと話せそうか?」
シンシアはわくわくしながらスウの方を見たが、ホウ、ホウ、といういつもの鳴き声しか聞こえなかった。
「いつもの鳴き声にしか聞こえません……」
シンシアが申し訳ないような気持ちで答えると、ハールも少し気落ちしたように、そうか、と肩を落とした。
「あ、でも飲み薬だし、効果が出るまでに時間がかかるのかも。帰りに森の動物たちに話しかけながら帰ってみます」
シンシアの前向きな言葉に、ハールがふっと微笑んだ。
「そうか。招待状をありがとう。出席する、と伝えてくれ」
「はい。アリスとロキにもよろしく!」
シンシアはハールの家を後にした。
シンシアは、ランスロットに頼まれた使いを無事終え、軽やかな気持ちで森を駆けていた。今日は珍しく夕方から時間ができる、とランスロットが言っていた。久しぶりに一緒に過ごせるのが嬉しくて、自然と頬が緩む。気まで一緒に緩んでしまったのか、シンシアは突然何かに足をとられ、コロコロと転がってしまった。
(はー、びっくりした。危ない危ない)
シンシアは転がった勢いのまま何歩か駆けて、ふと、自分が両手を使って駆けているのに気がついた。
(あ、あれ……?)
何かがおかしいぞ。
立ち止まり、じっと両手を見る。それは見慣れた自分の両手ではなく、黒い小さな獣の手だった。キョロキョロと辺りを見回すと、なぜか視点が低く、見上げると、木がいつもよりずっと大きく見える。足元に生えていた草は、今やシンシアの目と同じぐらいの高さがあった。
恐る恐る背後を見ると、茶色くぽてっとした、しましまの尻尾があった。
どうやら自分は何かの動物になってしまったらしい。
おそらくハールのところで飲んだ薬が原因だろう。
何の動物かも、大体見当がついている。シンシアはそっとため息をもらした。
ランスロットはその日一番厄介な仕事を終え、馬車に揺られていた。
「ランスロット様」
馬に乗って、前を走っていたはずのエドガーが、いつの間にか馬車の横まで下がってきて、馬車の窓越しに声をかけてきた。
「どうした」
「アライグマが並走していますが、いかがいたしましょうか」
「アライグマ?」
訝しげに眉を顰めたランスロットが見ると、エドガーのいう通り、馬車の脇を小さなアライグマが一心不乱に駆けていた。
そのまま放っておいてもいいはずだが、必死な形相がシンシアを彷彿とさせる。
「……馬車を止めろ」
ひとまず赤の兵舎に帰ってランスロットに相談しようと決めたシンシアは、ハート地区に入ってすぐにランスロットの乗った馬車を見かけ、そのまま追いかけていた。ランスロットに呼びかけたかったが、口から出るのはキィキィという獣の声だけだった。
馬や人に蹴られないように必死で馬車を追いかけていたが、突然馬車が止まった。
シンシアが不思議に思って立ち止まると、馬車から降りてきたランスロットが真っ直ぐにシンシアの元へ歩いてきた。
(ランスロット様、もしかして私のことをわかってくださったの?)
シンシアは喜んでランスロットに駆け寄ると、両手を胸に愛する人の名を呼ぼうとした。でもやはり獣の鳴き声しか出せなかった。
「何を言っているかわからん」
ランスロットの言葉に、そりゃそうだ、とシンシアはスカートを握りしめ、肩を落とした。黒い小さな手が握りしめたのはスカートではなくもふもふした毛皮だったけれども。
(どうすれば私だってわかってもらえるんだろう)
途方にくれた気持ちで俯いていたシンシアの足元に影が落ちた。
シンシアが顔を上げると、ランスロットの思いがけず優しい目が見下ろしていた。わずかに口角が上がるだけで、印象がずいぶん変わる。
(うわあ、ランスロット様こんな顔するんだ!初めて見た!)
ランスロットに魅入られたように動けないシンシアを、大きな手が掬い上げた。
兵士たちの方をみたランスロットはいつもの無表情に戻っていた。
「ランスロット様、連れて帰られるので?」
「こんなところを走らせておいては通行人の邪魔だろう」
驚いたように確認する兵士に、ランスロットは言い捨てると、シンシアを片手で持ち上げたまま馬車に乗り込んだ。
ランスロットは馬車に乗り込むと、ほっと小さく息をついた。片手で持っていたシンシアを両手で抱き直し、膝の上にそっと乗せる。
シンシアはランスロットの膝の上におさまったまま、彼の顔をじっと見上げた。
(ランスロット様、疲れてるのかな……)
両軍の対立が解消され、平和になった記念として、1ヶ月後に盛大な夜会が開催されることになっている。シンシアは今日、ランスロットに頼まれ、夜会の招待状をハールの元に届けに行っていたのだった。ランスロットも今日はそのための打ち合わせで、エドガーを連れ、公会堂まで出かけていた。
エドガーによれば、夜会を主宰する有力者の中に、ちょっと気難しい人がいて、ランスロットたちを煩わせているらしい。
シンシアの視線に気づいたランスロットが、指の背で、そっとシンシアの頬を撫でて、微笑んだ。
「心配せずとも良い。悪いようにはせん」
(ランスロット様、アライグマに優しい……!)
シンシアが心配していたのは、アライグマになってしまった自分のことではなく、ランスロットの体のことなのだが。ランスロットの微笑みは、シンシアの心を解きほぐしてくれた。
先のことはわからないが、ひとまずランスロットの元に戻ってくることができてよかった。シンシアは、ランスロットの膝の上に座ったまま、体の力を抜き、いつものように頭をランスロットの胸に預けた。アライグマの姿では、シンシアの頭はランスロットの腹に預けることになったが。
いつもより遠く頭上の方で、ランスロットが小さく笑う気配がする。
馬車の中で、ランスロットの手は優しくシンシアの背中を撫で続けていた。
兵舎に戻ると、ランスロットはまずシンシアをバスルームに連れていき、綺麗に洗った。森の中を駆けてきたシンシアの手足は、確かに泥だらけだった。
ランスロットはシンシアの体をよく知っている。多分シンシア本人よりもよく知っている。それはシンシアにもよくわかっている。
だけどランスロットの手で体を洗われるのは、それとは別の恥ずかしさがあった。まさかランスロットが手ずから洗ってくれるとは思っていなかったシンシアは、恥ずかしさのあまり身をよじって逃げようとした。
(ランスロット様、自分で洗えます!アライグマですし!)
しかしあの声で「おとなしくしていろ」と言われると、抵抗することもできず、おとなしくされるがままになった。
初めて会った時からそうだった。あの声と瞳には、何か逆らえなくなるような魔力が秘められているのでは、とシンシアは思っている。
(ああ、ランスロット様、そんなところまで……!)
シンシアは恥ずかしくて小さな黒い両手で顔を塞ぐと、もう何も考えないようにしようと、ぎゅっと目を閉じた。
一瞬だけランスロットの手が止まったが、すぐに再びシンシアの体を洗い始めた。
(私はアライグマ、私はアライグマ……)
ランスロットの大きな手は優しく、恥ずかしさにさえ目をつぶれば、シャワーは心地よかった。タオルで優しく拭われた後に、魔法の温風で綺麗に乾かしてもらい、シンシアはさっぱりし、毛はふかふかになった。
きれいになったシンシアは、ソファに座るランスロットの隣に寄り添うように腰かけた。隣にランスロットがいるのが嬉しくて、じっと彼の顔を見上げた。人間の姿だと恥ずかしくてつい目を逸らしてしまうが、今はアライグマだから大丈夫。
ランスロットは何か考え込むような顔でしばらくじっとシンシアを見ていたが、やがて立ち上がると、サイドボードの上においてある皿から、小さなリンゴを持ってきてくれた。
シンシアはランスロットの隣でリンゴをかじった。駆けずり回ってお腹が空き、喉も乾いていたシンシアには、みずみずしいリンゴは最高の御馳走だった。
時々隣のランスロットを見上げると、必ず目が合って、彼は優しい目で微笑んでいた。
シンシアは、アライグマでいると、たくさんランスロットの笑顔を見れる気がした。
リンゴを食べ終えると、ランスロットの大きな手が首の辺りを優しく撫でた。シンシアはうっとりと目を閉じる。
(ランスロット様は、やっぱりアライグマに優しい……!しばらく、アライグマのままでもいいかな。時々アライグマになったりできないかな。ハールさんに頼んでみようかな……)
お腹がいっぱいになったシンシアは、そのままうとうとし始めた。
ランスロットがシンシアを優しく抱き上げ、ベッドの枕の上に寝かせてくれた。ふかふかの枕は心地よかった。
「そこで眠ると良い、俺は仕事の残りを片付けてくる。小一時間ほどで戻る」
ランスロットの優しい声を聞き終える前に、シンシアは深い眠りに落ちていった。
シンシアは、居心地のよい水の中からゆっくり浮き上がってくるように、微睡んでいた。誰かが、優しく髪を撫でてくれている。気持ちいい。少しずつ意識が浮上してくる。この手は、よく知っている手だ。髪を撫でてくれるその手に誘われるように、ふっと目を開いた。
「お前はいつの間にそんなことを覚えたんだ?」
ランスロットの楽しそうな声がした。シンシアはつられるように微笑んだ。
「ランスロット様……」
髪を撫でてくれていたのはランスロットだ。まだ夢の中にいるようなぼんやりした気持ちでシンシアは髪を撫でてくれるランスロットの手に触れ、そして気づいた。
「人間に戻ってる……!」
シンシアは驚いて勢いよく起き上がった。
「やはりあのアライグマはお前だったのか」
「はい。ランスロット様、気づいてらしたんですか?」
「お前とあまりにも仕草が似通っていたので、もしやとは思っていた。馬鹿げているので口にするのは憚られたが」
ランスロットはふ、と笑った。
「お前がその姿でベッドで待っていたのは今日一日の仕事を終えた俺への褒美かと思っていたのだが」
(その姿……?)
シンシアは自分が一糸まとわぬ姿でいることにやっと気づき、慌てて傍にある枕を抱え込んで体を隠した。
「……お前、それはわざとやっているのか?」
「え?」
「いや。別に隠さずとも良いだろう、お前の肌は隈なく知っている」
「それは、そうですけど」
「俺にはお前の体を鑑賞する権利がある」
「それも、そうですけど」
それでもやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。
「その、急だったから、心の準備が……」
「お前の準備はすぐだろう……いつも俺に早くしろとせっつくではないか」
ランスロットが妖しげに微笑む。
「え……?」
一瞬間を置いてから、ランスロットの言葉の意味がわかったシンシアは、首まで赤く染めた。
「ランスロット様……!」
思わず傍にあった他の枕をランスロットに投げつけようとしたが、投げる前に、枕を握る手をあっさり捕まえられた。ランスロットが楽しそうに笑う。
「準備が必要なら、いつものように手伝ってやろう」
ランスロットの長い指が、皮膚の薄い腕の内側を撫でるように滑る。それだけで、シンシアの肩がわずかに跳ね、握っていた枕が滑り落ちた。ランスロットは楽しげな光を宿す青い瞳でシンシアを見つめたまま、掴んだ手首に口付けた。指にかかる息が思いの外熱くて、肩が震える。ランスロットの熱い舌が指を辿り始めると、シンシアは見ていられなくて、目を伏せた。だけど自分の意思を無視して甘い声が溢れてしまう。シンシアは体を隠す枕に顔を埋めた。
ランスロットの触れた場所からじわりと溶け出すように、体の力が抜けていく。もう起き上がっているのが辛くなっている。軽く掴んだ腕を引かれただけで、シンシアはランスロットの胸に倒れ込んだ。力の抜けた体をランスロットの胸に預ける。だけど体を隠す枕だけは意地になって離さなかった。ランスロットが小さく笑う気配がする。
むき出しの背中をランスロットの掌が滑り、またシンシアの口から甘い声がこぼれた。自分の息も熱くなっている。
どうせ敵わないのに、どうして毎回抵抗してしまうんだろう。シンシアは、霞がかかったようになった意識でぼんやり考える。
きっとこれは、捕食される側の生存本能に近いものだ。
ランスロットの指が、唇が、少しずつシンシアの抵抗を取り去っていった。シンシアは声を抑えるのを諦め、最後の砦の枕も取り払われ、気がつけばはしたない格好でシーツにくったりと体を投げ出していた。恥じらいも何もかももうとっくに手放した。
「や……、ランスロット様、早く……」
体の芯に溜まった熱を持て余して、シーツを掴み、体をよじりながらランスロットに懇願する。さっきランスロットにからかわれたのと同じセリフを口にしているとわかっても、どうにもならない。
「準備が必要なのではないのか?」
ランスロットが婉然とした微笑を浮かべ、ゆっくりとシャツを脱ぎながら尋ねる。
耐えきれず泣きだしてしまったシンシアを眺め、ランスロットは満足気に目を細めた。
「可愛いな、お前は」
ランスロットはシンシアが泣き出してからはいつも優しい。
シンシアも、シンシアの体もそれを知っている。
シンシアは泣きながらも、どこか安堵に似た気持ちで、ランスロットの広い背中に縋り付いた。
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