赤のキングで妄想してみた その3 イケレボ もふもふイベント補完ショート 後日談
その日、シリウスはアリスに頼まれて、ハールの家を訪れた。
アリスから、シンシアとランスロットがハールの家に来るのだが、ちょっと不安なので同席してほしい、とこっそり頼まれたのだった。魔法の塔の騒動以来、旧友二人の間も雪解けを迎えたと思われる。アリスとシンシアのいるところでは、さすがにあの二人も派手に争いはしないだろう。しかし今回シンシアの身に降りかかった災難を聞いて、アリスが不安になるのも仕方ない、とシリウスは同席することにした。
もとより、旧友3人揃ってお茶を飲めるのは嬉しかった。
シリウスは、自分はいざという時以外は傍観者でいようと、静かに成り行きを見守っていた。
「これを……」
ハールがそっとシンシアに差し出した袋の中には、彼女が森の中に脱ぎ捨てていった服一式が揃っていた。
「どうもありがとうございます。ご迷惑をおかけしました」
「いや……こちらこそ、君をとんでもない目に合わせてしまった。本当に申し訳なかった」
「こいつに妙なものを飲ませるな」
ランスロットが憮然として言った。
「ランスロット様、私が無理を言って飲ませてもらったんですよ。ハールさんは悪くありません」
「お前も外で妙なものを口にするんじゃない」
「……ごめんなさい」
取りつく島もないランスロットの様子に、シンシアはしゅん、と肩を落とした。ここはフォローの一つもしておくべきか、とシリウスは思ったが、シンシアはアリスの焼いてくれたケーキを頬張ると、再び笑顔になった。
なかなかたくましいお嬢ちゃんだ。シリウスは感心した。
「またアライグマになってみたいな」
無邪気に呟くシンシアに、ランスロットは呆れた口調でため息混じりに言った。
「……お前はアライグマだろうが5歳児だろうがそれほど変わらんだろう」
またお前はそう言うことを、とランスロットを咎めようとしたシリウスは、彼の顔を見て固まった。手元が狂って、紅茶がカップからだーっとこぼれる。
「シリウスさん、こぼれてます」
シリウスを見たランスロットはいつも通りのどこか憮然とした表情に戻っていた。
「何をしている、シリウス。お前らしくもない」
「失礼……」
シリウスはアリスが慌てて持ってきたタオルを受け取った。アリスも、ハールも赤い顔をしている。シリウス、ハール、アリスは3人で、そっと目配せしあった。
——見た?今の顔。
3人は、互いに小さく頷いた。
5歳児だろうが、アライグマだろうが。そう言ったランスロットは、シリウスが見たこともないような甘ったるい顔で微笑んでいた。その青い瞳は、見ている方が照れるぐらい臆面もなく、愛しくてたまらない、と告げている。
言葉はアレだったが、実はランスロットはどんな姿でもシンシアは愛しいと言ったのだ。
当のシンシアはケーキに気を取られて気付いていなかったが。
(おいおいランス、お前そんな顔しちゃうのかよ?)
衝撃のあまり、シリウスの心は寄宿学校時代の少年の口調に戻ってしまった。
「シンシア、どうしてまたアライグマになりたいの?そんなにアライグマ楽しかった?」
アリスが気を取り直してシンシアに尋ねた。
「ランスロット様がアライグマに優しいの。ランスロット様、アライグマが本当にお好きなんですね」
「お前とそれほど態度を変えた覚えはないが」
「でも、アライグマの私を見る時、とても優しい顔してらっしゃいましたよ」
「そういえばアライグマの時は、お前とよく目があったな」
ああ、微妙に噛み合わない歯車を見ているようでハラハラする。
シリウスの世話好きの血が騒ぎ始めた。
もういい大人なのだから、友人としてここは静かに見守るべきだ。
だけど。
「お嬢ちゃん、アライグマじゃない時はあんまりランスロットを見ないのか?」
「え?そんなことはないと思いますけど。こっそりよく見てます」
「こっそり?」
「人間の時は目を合わせるのになんだか照れてしまって」
シンシアはハールのようなことを言って頬を赤らめた。
「恋人同士なんだ、そんな遠慮することないだろう、慣れだ、慣れ。今ちょっと練習してみな」
「ええっ!」
シンシアは驚いたが、ハールとアリスがシリウスに同調するようにこくこくと頷いたので、わかりました、と答えた。
「ランスロット様、失礼します」
シンシアは改まって言うと、えいっと気合を入れるようにして、隣のランスロットを見上げた。
ランスロットも泰然としてシンシアの視線を受け止めた。
ように見えた……、が。
「わっ、ランスロット様、見えません」
3秒もたたないうちに、ランスロットが突然片手でシンシアの目を塞ぐようにして、顔を背けた。
突然目を塞がれたシンシアがびっくりした声をあげる。
(うええ?ランスお前どうしちゃったの)
シリウスの紅茶が再びだーっとこぼれた。
今度はアリスもハールもぽかんと口を開けランスロットを見ている。
ランスロットは頬を赤らめ、照れていた。
「ランスロット様?」
「待て、落ち着け」
(いや、お前が落ち着けよ。お前がそんな初心なわけないだろう、ハールじゃあるまいし)
あまりに想定外の出来事で、フォロー魔のシリウスでさえ言葉をなくしていた。
ランスロットは深呼吸とともに顔を元に戻すと、気を取り直すように咳払いをし、厳かに言った。
「シンシア、こういうことは人前でするものではないだろう」
「あっ、それもそうですね。私ったら」
シンシアは素直に納得すると、またケーキに意識を戻した。
それ以上、誰も何も言わなかった。言えなかった。
クレイドルの秋の日暮は早い。ハールの家を訪ねていた3人は、森が暗くなる前に帰路に着くことにした。
「ランス、お前馬はどうした」
「あれが森を歩くのが好きらしいので歩いてきた。赤の領地に出たら馬車を拾う」
ランスロットが視線で示す先には、ハールたちと話すシンシアがいた。
シリウスは、再び目を丸くした。
「本当に可愛がっているんだな」
「当たり前だろう」
ランスロットはなぜ驚くのか、とむしろ訝しげに眉を寄せた。
シンシアがクレイドルにきたばかりの頃の二人には、ライオンに咥えられたチャツネを見ているような、なんとも言えない不安な気持ちにさせられたものだが。いつの間にか二人は自然に並んでいるようになった。
シンシアは残ったケーキを包んでもらい、嬉しそうに笑っている。
「そろそろ冬支度ですね。そのうち、お手伝いにきてもいいですか?」
「ああ、助かる。君は頼りになりそうだな」
ハールが微笑んだ。
「私にも、いろいろ教えてくれる?」
アリスがシンシアに尋ねた。
「もちろん。でも、私よりハールさんの方がずっとお詳しいですよ」
ハールは自分を見上げるアリスに微笑む。
「もちろん君のことも頼りにしている」
アリスはハールの言葉に嬉しそうな顔をした。
(あのお嬢ちゃんは、こういう気遣いはさらっとできるのに、なぜ自分とランスのことには無頓着なんだろうな)
シリウスはそっと肩を竦めた。
ランスロットが何かを思い出したようにふと微笑んだ。
「お前がそれほどアライグマでいることを気に入ったなら、今日は3日前と同じように過ごそうか」
「はい!」
シンシアがぱっと顔を輝かせた。
ランスロットの青い瞳が愉しげに細められている。彼が何かを企んでいる時の顔だ。
それなりにランスロットの性癖を理解しているシリウスとハールは不穏な何かを感じて、わずかに眉をひそめた。
(おいおい大丈夫か、お嬢ちゃん)
手を繋ぎ並んで帰る二人の後ろ姿は一見睦まじいが、二人が全然別のことを考えているらしいことはシリウスにもハールにも明らかだった。
いつの間にかハールがシリウスの隣でランスロット達を見送っていた。
「なあ……今日、すげーもん見たような気がすんだけど」
ハールの口調も寄宿学校時代のものに戻っている。
「ああ、赤面するランスも初めて見た」
「……見なかったことにするか」
「だな」
二人の意見はそこで一致した。
それにしても。
可愛くないとは言わないが、あのどこかとぼけたお嬢ちゃんの一体どこが、我が友ランスをそんなに惹きつけるのだろうか。
シリウスはこっそり首を傾げた。
黒の兵舎で4日ほど彼女を預かった時も、ガキどもに好かれてはいたが、あれはどう見ても、預かった子猫か仔犬が珍しくてつい構ってしまうのと似たような感覚だったはずだ。
まあ、我が友人が幸せならそれでいいが。
うん、確かにランスは幸せそうだった。
とんでもない表情を見せてくれた。
恋とはかくも凄まじいものか。
そう言えばハールの奴も結構にやけてたな。
クレイドルに平和が訪れ、旧友達の親交も元に戻りつつある今、シリウスは、ふと、旧友二人がうらやましくなった。
「俺のところにも可愛いお嬢ちゃんが落ちてこないかねえ」
シリウスは自然とこぼれてしまった自分の呟きに頬を緩めながら、森を後にした。
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