赤のキングで妄想してみた その5 イケレボ 本編応援CP補完ショート
その場所を見つけたのは、偶然だった。
森に住む大魔法使いハールの家に遊びに行き、家主不在の間に、アリスにケーキの作り方を教わった帰り道。
シンシアは青い美しい鳥を見かけた。入らずの森にはよく遊びに来ているが、初めて見る鳥だ。小さめのカラスぐらいの大きさの体から伸びる、しなやかで長い尾をひらひらとなびかせ、木から木へと移っていく。
「綺麗な鳥ねえ」
シンシアの愛馬、スイーティーも興味深げに目で追っている。
「ついて行ってみようか」
日暮れまでにはまだ十分時間がある。
シンシアは鳥が飛んでいく方へ、馬を方向転換させた。
鳥はひらひらと長い尾でシンシアを誘いながら、セントラル地区の方へ飛んで行く。いつもと違う道を追いかけて進んでいくと、街に程近いあたりで、森が途切れ、視界が開けた。
「わあ……!」
思わず歓声をあげた後も、口を開けたまま眺め入ってしまう。
壮観だった。
淡いピンクの小さな花をたくさん付けた木々が、枝を広げ、広い野原に何十本も並んでいる。中にはずいぶん大きな木もあり、空を埋め尽くすように花を付けた枝を伸ばしていた。
ぽかんと開けていた口の中に、風に乗った花弁が入ってきて、シンシアは慌てて口を閉じた。
(こんなところがあるなんて、知らなかった)
どの木も今が盛りと花を咲かせているが、よく見ると、木によってアーモンドの花に似ていたり、花の色が濃かったり、花弁が薔薇のように何重にも重なっていたり。少しずつ違う。でもどの花も小さく、愛らしい。
シンシアは近くの小川で馬に水を飲ませると、しばらくこの景色を眺めることにした。
「あら」
シンシアをここまで案内してくれた青い美しい鳥が再び姿を現した。長い尾が優雅にたなびく。満開の花の間に、鮮やかな青い羽が見え隠れして、なんだか別世界に迷い込んだようだ。クレイドル自体が、本来シンシアにとっては別世界なのだけれど。
青い鳥が止まった木のやや上に伸びる枝に、もう一羽、少し小ぶりな鳥が現れた。尾は短く、肩のあたりに申し訳程度に青い色が見えるが、全身は地味な茶色い羽に包まれていた。青い鳥のような優美さはないが、丸っこくて、なんだか可愛らしい。
青い鳥がきれいな声でさえずると、茶色い鳥が近くによってきた。二羽は、同じ枝に並んで止まった。
「番かもしれない。スイーティー、鳥や虫は雄の方が華やかで美しいんですって」
シンシアは傍の愛馬に話しかけた。彼女はいつも、スイーティーには人間の言葉がわかっているような気がして、つい話しかけてしまう。
「人間とは逆なのね。鳥や虫を見ていると、私とランスロット様も自然の摂理にかなっているような気がするんだけどなあ」
スイーティーは肯定とも否定ともつかない表情で、鼻を鳴らした。
見上げると、淡い花の隙間から青空が覗く。
いつまでも眺めていられそうな美しさだった。
(ランスロット様がここにいればいいのにな)
そう思った途端に、美しかった景色が、少し寂しく見える。
ほんのわずかに風が吹いただけで、花弁がはかなく散った。
その夜は、シンシアはランスロットが部屋に戻るまで起きて待っているつもりだった。本当は昨日もお休みの挨拶ぐらいしたくて、起きて待っているつもりだった。だけどいつまでも帰ってこないランスロットを待つうちに、うっかり眠りこんでしまったのだ。
ランスロットはここ三日ほどひどく忙しいようで、シンシアは一昨日の夜から彼の顔を見ていなかった。
(今日こそは、絶対ランスロット様の顔がみたい)
机の上では、ハーブ園で摘んできた眠気覚ましのミントとローズマリーが強い香りを放っている。
シンシアは相当な気合を入れて起きているつもりだったが、その夜はいつもよりずっと早く、ランスロットが帰ってきた。
すぐに隣の部屋へのドアをノックしようとしたが、先に向こう側からノックする音が聞こえた。
「入ってもいいか」
「はい!」
シンシアが返事とほぼ同時にドアを開けたので、一瞬ランスロットは驚いた顔を見せたが、すぐに表情を和らげた。温かな腕が伸びてきて、そっとシンシアを包み込む。
シンシアは二日ぶりの恋人の腕の中に素直に収まった。
やっぱり、ランスロットの腕の中は安心する。
だけどランスロットは、まだ寛ぐつもりはないようだった。
「今すぐ出かけられるな」
「えっ?」
確かにシンシアはまだ着替えてはいなかったし、靴も外ばきのままだった。
「つかまっていろ」
シンシアが答えるより早く、ランスロットの瞳が赤く染まり始める。
魔法で移動しようとしていることに気づいたシンシアは、とっさに止めようとした。
「ランスロット様、魔法は……」
しかし言い終わるより早く、青く眩しい光に包まれ、シンシアは慌ててランスロットにしがみついた。強く、目を閉じる。
夜風が頬を撫でた。
そっと目を開くと、そこは昼間訪れたばかりの、美しい花の園だった。
「この木は、桜というそうだ。この秋に、遠くの国から我が国の外交官が運んできた」
ランスロットの静かな声が告げた。
「桜……」
シンシアは、初めて聞く花の名前を口の中で繰り返す。
ちょうど今夜は満月だ。
思いの外明るい月明かりに照らされ、静かにたたずむ桜の木々は、ぞくりとするほど美しかった。
美しすぎて、恐ろしい。
一人でいる時の、ランスロットのようだ。
シンシアは無意識に、ランスロットにしがみついた手に力を込めた。
「見事なものだな」
ランスロットはゆっくりと辺りを見回した。
月光に透けた金の髪を、夜風が揺らした。
花弁が風にはらはらとはかなく舞う。
舞い散る花弁の中、桜を見上げるランスロットは、この世のものとは思えない美しさだった。
シンシアはランスロットが“何か”に攫われてしまいそうで、しがみついたままの腕にまた力を込めた。
「寒いのか?」
ランスロットがシンシアを抱き込むように、肩に腕を回した。穏やかな微笑を浮かべ、彼女を見下ろす。
シンシアは、自分が微かに震えているのに気づいた。
「夜の桜が、少し怖いです」
昼間見た満開の桜も、迫力があった。だけど空いっぱいに伸びた枝と花に優しく包み込まれるようで、心は安らいだ。
夜の桜の美しさには、昼にはない妖しさがある。
凄絶な美しさ。
はかなげなのに圧倒的な、それはランスロットと同じ類の美しさだ。夜の桜とランスロットがあまりにも似ているのが、シンシアは恐ろしい。
馬鹿げた空想だとわかっていても、不安が消えない。
「ランスロット様を何処かに連れて行ってしまいそうです」
「……ふ。おかしなことを」
シンシアを抱き寄せる腕にわずかに力が込められる。
「お前を置いて何処かに行くわけがないだろう」
不安な気持ちのまま見上げた青い目は、優しい。
「その不安は、満月の度に俺が抱えるものだ。月の女神がお前を取り戻そうとするのではないかと」
シンシアは思いがけない言葉に驚いた。
ランスロットがそんな風に思っているなど、想像もしなかった。
ランスロットを抱きしめるようにして、彼の胸に顔を埋める。
「私はどこにもいきません。ずっと、ランスロット様のそばにいます」
「それならば、俺たちは何も恐れることはない」
シンシアが見上げると、そっと、唇に触れるだけの口づけが落とされた。
誓うような神聖なキスに、少しだけ安心して、シンシアは微笑みを返す。
ランスロットにしがみつく腕は、やっぱり離せないけれど。
ランスロットが小さく笑う。
「お前がこうしてずっとしがみついているなら、夜の桜も悪くない」
シンシアはランスロットにしがみついたまま、頬を染める。誤魔化すように、今日の昼間、この場所を偶然訪れたことを説明した。
「ランスロット様と一緒に見たいと思っていたので、一緒に桜が見れて嬉しいです」
「そうか。お前が昼間の桜を楽しめたのならよかった。本当は明日、お前をここに連れて来るつもりで仕事を詰めていたのだが……、天気ばかりはどうしようもない。明日の嵐で全て散ってしまうだろう」
ランスロットが微笑む。
「もう散ってしまうのですか?」
微かな風にさえ花弁を散らす桜は、とてもはかない。
残念そうに表情を曇らせたシンシアを、ランスロットの静かな声が慰める。
「来年も、再来年も、桜は咲く。来年は青空の下で桜を楽しもう」
来年も、再来年も。
これからもずっとランスロットと桜を楽しむことができる。シンシアはすぐに笑顔を取り戻した。
「楽しみです」
突然強い風が吹き抜け、桜の花弁を盛大に散らした。
少しずつ風が強くなってきている。嵐が近づいているのかもしれない。
「明日はそんなにひどいお天気なんですか?」
「ああ、外に出るのは無理だろうな。せっかくお前と過ごす時間をつくったというのに」
「私はランスロット様と一緒なら、どこで過ごしても幸せです」
ランスロットは微笑んだ。
「そうか。決して退屈はさせんから、安心しろ」
ランスロットのその時の微笑みは、例えばシリウスが見たら眉をしかめそうな、妖しい艶をたたえていたけれど。
シンシアは少しも気づかず、ただランスロットと共に過ごせるのがとても嬉しくて、満面の笑みを浮かべたのだった。
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