愛さずにいられない —第十二話—


赤のエースで妄想してみた その1 愛さずにいられない —第十二話—


 アンリ、カイル、レイ、シリウスの四人を乗せた馬車は赤の兵舎へ向かっていた。

 アンリは隣に座るレイをそっと伺った。腕組みをして、少し俯いている。アンリが怪我をする前のように軽口を叩くこともない。

「あの……そんなに痛くもないし、もう気にしなくても大丈夫よ」

 レイはアンリの方を見て口を開こうとしたが、やはり再び黙り込んでしまった。

「朝はあんなに意地悪だったのに、そんなにしおらしくされると、調子狂っちゃう」

「何、お前俺にいじめられたいの?」

 レイが横目でアンリを見ながら、ふと意地悪な微笑みを浮かべた。

「そんなこと言ってない」

 アンリはそっぽを向くと窓の方を向いた。

 馬車はちょうど黒の領地の街中を走っている。重厚な威圧感のある建物が多い赤の領地に比べると、少し可愛らしいデザインの建物が多い。街中を子供が走り回っている様子は、ロンドンのダウンタウンに少し似ていた。赤の領地ほど裕福ではない格好をした子供もいるが、みんな表情は明るい。ここもきっと良い街なのだろうとアンリは思った。

「赤の領地とは様子が違うだろう」

「ええ、なんだか別の国みたいです。でも、私がロンドンで住んでいたところに少し似ています」

 アンリは窓の外を眺めながら、シリウスに答えた。

「へえ、お嬢ちゃんは下町育ちか」

 アンリが物珍しい思いでスペード地区の町並みを眺めていると、がくん、と馬車が大きく揺れた。

「わっ」

 窓に顔を近づけていたアンリは、ちょうどたんこぶができているところを壁にぶつけそうになり目をつぶったが、ぐっと体を引かれた。隣にいたレイが引き寄せてくれたのだった。アンリはその勢いのまま、レイにもたれかかるような体制になってしまった。

「あ、ありがとう、ごめんなさい」

 慌ててまっすぐ座り直そうとするが、再び馬車が大きく揺れて、レイの方にまた倒れかかってしまった。

「ここは道が悪いんだ、掴まってろ、怪我人」

「……ありがとう」

 アンリは仕方なく隣に座るレイの腕に捕まった。

 馬車はひどく揺れるのに、レイもシリウスも安定して座っている。赤の軍最弱のカイルさえ、アンリほど大きくよろけたりはしなかった。

 だけど、よく知らない男性の腕に掴まっているのはなんだか落ち着かない。俯いてしまったアンリに、シリウスが話しかけた。

「お嬢ちゃん、科学の国にあんたを守ってくれる男はいなかったのか?」

「お祖父様が亡くなってからはいないわ」

 祖父がなくなった後はロンドンの叔母の家に世話になったが、叔父さまも従兄弟のベンジャミンも、守ってくれるような人ではなかった。

 アンリの答えを聞いた三人は、一瞬きょとんとした顔になると、次の瞬間には笑い出していた。

「どうして笑うの?」

「いや、悪い。思いの外かわいい返事が返ってきたもんでな」

 シリウスさんは申し訳なさそうに笑っている。

 カイルに説明を求めようとしても、カイルも苦笑しながら、窓の方を向いてしまった。

「お兄様にお祖父様か。……お前本当に20歳超えてんのかよ。今時15、6の子供でももうちょっとマシな答えすると思うぜ」

 隣でレイが笑った。アンリは自分がバカにされているのはわかったけれど、原因がわからなかった。聞いてみたところで、さらにバカにされそうな気がしたので、諦めてそっぽを向いた。

「やっぱりあなたは、ちょっとしおらしくしてるぐらいがいいと思う」

 アンリの精一杯の捨て台詞に、レイは楽しそうな笑い声を返した。

 馬車はセントラル地区を抜け、赤の橋に向かっていった。

 四人が赤の兵舎の執務室に入ると、そこにはランスロットの他に、ゼロとエドガーがいた。ゼロとエドガーは仕事で昨日の朝からずっと留守にしていた。

「何があったんだ?」

 三人ともアンリの額を見て、一斉に顔をしかめた。

「どうしたんだ」

 ゼロが、眉を寄せる。痛そうな顔。

「ちょっとたんこぶができただけなの。大丈夫、そんな顔しないで。痛くないよ」

 アンリはそこまで言って、ゼロがよく似たセリフを言ったことを思い出して、小さく笑った。

「いつかと逆だね」

「自分が虎に引っ掻かれた方がずっとマシだ」

 ゼロは笑わず、痛そうな顔をしたまま言った。アンリの胸がぎゅっと痛んだ。

「ごめんなさい」

 謝るアンリに、ゼロは困ったように微笑む。

「シリウス、何があった?」

「うちのアライグマがお嬢ちゃんに飛びかかったんだ」

「アライグマ?」

 三人とも一瞬わけがわからない、という顔になった。

「まー、事故だ。事故。避け損なったアンリが転んで脳震盪起こしたんだよ」

 カイルが説明を引き継いだ。

「俺たちがついていながら黒の兵舎で彼女に怪我をさせた。申し訳なかった」

 レイが言って、シリウスと揃って頭を下げた。

「頭を上げろ、二人とも」

 ため息とともに、ランスロットが手のひらをアンリの額にかざした。

 アンリは熱を持った額がひんやりと冷やされるのを感じた。痛みが引いていく。アンリはランスロットが魔法で治療しようとしていることに気づいて、慌ててランスロットを止めようとした。

「ランスロット様、魔法は……」

「たいしたことではない。あとで注射でもなんでもしろ」

「ランスロット様……」

「お前も俺に魔力を使わせたくなければこんな怪我などするな」

「ごめんなさい」

 アンリはおとなしくランスロットの『治療』を受けた。

 しばらくして、ランスロットは小さく息をつくと、アンリの額から勢いよくガーゼを外した。

「痛っ!ランスロット様、もう少し優しく」

「それぐらい我慢しろ」

 ガーゼを止めていたテープが剥がれる痛みに思わず涙を浮かべたアンリは、そっと自分の額を触ってみた。そこにあったたんこぶはなく、いつも通りのスベスベした自分の額だ。抑えても痛みもない。思わず笑顔になる。

「すごい、もう痛くありません。ありがとうございます」

「お前がこんなものをつけていると我が軍の士気に関わる」

 ランスロットはそういうと、わずかに頬を緩めた。

「もう少しマシな理由で怪我すればいいものを」

 確かにアライグマに激突されてたんこぶ、というのは恥ずかしい。

 アンリは黙って頬を赤らめた。

「それで、その真犯人のアライグマはどこです」

 今まで黙っていたエドガーが進み出ると、口を開いた。

「黒の兵舎にいるが……」

 シリウスが警戒するように答えた。

「うちの大事な看護師に怪我をさせた張本人でしょう。ここに連れてくるべきです……何なら私が直接黒の兵舎まで出向いても構いませんが」

「待ってくれ、それは……」

 シリウスの顔が険しくなる。

「エドガー、自分もアライグマと遊んでみたいって普通に言えばいいのに」

 アンリは呆れて言った。

「あれ、俺、そう言ってるつもりですけど」

 エドガーはアンリにしれっと笑ってみせる。

「シリウスさん、心配しなくても大丈夫ですよ。エドガーは人間には時々意地悪だけど、動物には優しいから」

 目を丸くしてアンリとエドガーのやり取りを見ていたシリウスは、ニヤリと笑った。

「赤のジャックが動物好きとは知らなかったな」

「トップシークレットだったんですけどね」

 執務室の空気が少し和らいだかと思うと、廊下を早足で歩く足音が近づいてきた。

 開け放たれていたドアから、ヨナが姿を現す。

 ヨナはアンリを見ると、ホッと小さく息を漏らした。

「なんだ、帰ってきたんだ」

「……そりゃ、帰ってきますよ」

 まるで帰ってきてはいけないようなヨナの口ぶりに、アンリは少しむっとして言い返す。

「何怒ってるのさ」

 アンリの返事に、今度はヨナが心外そうな声を出す。

「アンリ、ヨナさんは朝からずっと、アンリがもう帰ってこないんじゃないかって心配してたんですよ。だから、今のは安心したがゆえの『なんだ』だったんです」

「えっ?」

「黒の軍が気に入って帰ってこないんじゃないかって」

「なんでそんなこと……」

「アリスも赤の軍からは逃げ出したけど、黒の軍には楽しそうに滞在していましたしね。籠絡作戦も失敗に終わったし」

「あー。そういやそんなこともあったな」

 レイが笑いながら頷いた。

「籠絡作戦?」

「アリスを自分に惚れさせて赤の軍に協力させるって、こいつが」

「ちょっと。指をさすのはやめてくれないか」

 ヨナは今度はレイに噛み付く。

「だいたいなんで黒の軍がここにいるんだ」

「悪いな、赤のクイーン。ランスにちょっと相談があってな」

「相談?」

 ランスロットは訝しげに眉をひそめたが、思い直したように続けた。

「ちょうどいい。俺もお前に頼みたいことがあった。悪いが、外してくれるか」

 ランスロットは他の幹部たちに言った。

「エドガー、ゼロ、ご苦労だった。今日はもう休んでくれ。ヨナはあとでもう一度呼ぶ」

「わかりました」

 ヨナは少し不満げだったが、すぐにランスロットに従った。

 揃って執務室を出る。

「ゼロ、リコスの散歩に行くの?」

「ああ、昨日連れて行ってやれなかったからな」

「私も一緒に行きたい」

「ダメだ」

「え、どうして」

「お前はすぐ走るだろう。頭を打ってるんだから、今日はおとなしくしていてくれ。あとで、お前の好きな紅茶を淹れてやるから」

 ゼロはアンリの頭に手を置き、少し屈むと、アンリの目を覗き込むようにして言い聞かせた。まるでリコスにするのと同じ仕草で、アンリはなんだか恥ずかしくなる。

「うん、わかった」

 答えながらアンリは頭に置かれたゼロの手に自分の手を重ねた。

 ゼロが安心したように微笑む。

「ゼロ、じゃあ先に紅茶淹れて行ってよ。アンリとケーキ食べるからさ」

 ゼロは言い放つヨナを見て何か言おうとしたが、諦めたように小さなため息をついた。

「わかった」

「ケーキがあるの?」

「約束したじゃないか、一緒にミルフィーユを食べるって。ちゃんと美味しいのを買ってきてあるよ」

 ヨナが嬉しそうに答えた。

「ヨナさん、黒の兵舎も楽しそうだったけど、私は赤の兵舎が大好きです」

「……当然だよ」

 ヨナの言葉は高飛車なものだったが、その表情は花がほころぶように嬉しそうだった。

 シリウスとレイが医務室に現れたのは、それから二時間ほど過ぎた頃だった。

「本当にこいつら医務室でお茶飲んでるぞ……」

 レイが呆れたように言った。

 医務室ではケーキを食べ終えたヨナとアンリ、そしてリコスの散歩を終えて戻ってきたゼロがお茶を飲んでいた。

「なー、おかしいだろ?どういうわけかすっかり医務室が集会所になってんだ」

 すでにビールを飲み始めていたカイルが笑った。

「お二人もいかがですか?」

「いや、もう遅くなるからな。遠慮しておこう。お嬢ちゃんに挨拶したくて寄っただけなんだ」

 シリウスが微笑んだ。

「馬車までお送りします」

「俺も行こう」

 ゼロが続いた。

 ヨナはランスロットに呼ばれ、執務室に向かった。

 外はもう夕闇が降りてきていて、薄暗い。魔法石の灯りが、門までの道をポツポツと照らし始めている。夕暮れの涼しい風が心地よかった。

「お嬢ちゃん、あんたは立派な親善大使だったな。昼間は笑っちまって、悪かった」 

 シリウスが微笑みながら言った。

「ぜひ黒の兵舎にもまた遊びに来てくれ。今日はえらい目に合わしちまったが、あんたには黒の軍も好きになってもらいたい」

「ありがとうございます。ぜひ」

「親善大使?」

 ゼロが不思議そうにアンリを見た。

 アンリは昼間の話をかいつまんで説明した。

 ゼロはカイルみたいに笑わなかった。ただ、いつものようにそうか、と言って微笑んだ。

 ちょうど馬の世話をしていた兵士が馬車を出してくれることになった。

 馬車に乗ろうとしたレイが、ふと振り向いて、アンリに近づいた。

「なあ、あいつもお前の『お兄様』なのか?」

 レイは『あいつ』のところでゼロを見た。

「えっ……。どう、かしら」

 予想していなかった問いかけに、アンリは返答に詰まった。

 ヨナも、エドガーも、ランスロットもアンリは優しい『お兄様』のように感じていた。だけどゼロは。ゼロをそのお兄様たちの仲間に入れてしまうことに、なぜか違和感を感じた。理由がわからず、アンリ自身も戸惑ってしまった。

 違和感の正体を探ろうと考え込むアンリに、レイはふと表情を和らげた。

「わからないなら、今は考えなくていい。なあ、さっきシリウスも言ってたけど、またうちに遊びに来いよ。親善大使だろ?」

「うん、ありがとう」

 突然話題が変わったので、アンリの思考も途切れた。

「もう絶対お前に怪我させたりしない。一緒に猫だまりに行こう」

 レイはアンリが今日見た中で一番優しい微笑を見せると、馬車に乗り込んだ。

 アンリも二人に笑顔を返した。

 二人を乗せた馬車が小さくなるまで見送って、アンリとゼロは兵舎に向かって歩き始めた。

「さっき、黒のキングはお前になんて言ってたんだ?」

「うん?親善大使なんだから黒の兵舎に遊びに来いって。猫だまりに連れて行ってくれるって」

「行くのか?」

「うん……でも、アライグマがどこから飛んでくるかわからないから、今度はゼロも一緒に行ける時にする」

「俺が?」

「うん。ゼロなら、アライグマのタックルも避けられるでしょ?」

 見上げるアンリに、ゼロはふ、と笑いを漏らした。

「どうかな。アライグマと対決したことはないが」

 アンリの頭に優しく乗せられた手が、髪を撫でる。

「お前のことは必ず守る」

 誰よりも優しいゼロ。

 そばにいると、一番安心するゼロ。

 どうして、お兄様、と言われて違和感があったのか。

 やっぱりみんなに飼い主ってからかわれすぎたからかな。

 アンリはその夜何度か考えてみたけれども、まだ答えは見つからなかった。

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