愛さずにいられない —第十五話—


赤のエースで妄想してみた その1 愛さずにいられない —第十五話—


 ある日の夕方、リコスの散歩を終えたアンリが医務室に戻ると、オリヴァーが紅茶を飲んでいた。

 カイルは隣で瓶ビールをあおっている。

「オリヴァー、こんなところで何やってるの?」

「納品のついでに、お前にロイヤリティーの説明をしておこうと思ってな」

 きょとんとするアンリの前に、オリヴァーが直径5cmほどのゴムボールのようなものを取り出した。端っこに小さな金具が付いている。

「これがアンリ玉試作品1号。中にはお前のレシピに従ってつくった例の激臭のする液体が満たされている」

「……もしかして、カイル用目覚ましブレンドのこと?」

 カイルが思い出したように顔をしかめて、舌を出す。

 オリヴァーは呆れ顔でカイルを横目でみながら、続けた。

「まあ、本来の目的がなんだったか知らんが。赤のジャックからあれを武器に転用できないかという依頼を受けた。これはその試作品だ。このままの状態では絶対に中の液体が漏れることはないが、このピンを外してから何か衝撃を与えると……」

 オリヴァーが説明しながらピンを外し、カイルの顔面に投げつけると、ゴムボールはカイルの顔面で破裂し、中の液体を撒き散らした。

「オリヴァー、てめえ!」

「安心しろ、これは中身はただの水だ……だが、これが例の液体だったら」

 カイルがタオルで顔を拭きながら、再び思い切り顔をしかめて舌を出す。

「殺傷能力はないが相手に大ダメージを与え、一時的に戦闘不能にすることができるわけだ。ちょうど話を聞いた黒のエースも興味を持って、同じような弾丸が作れないかと依頼してきた」

 ちょっとした精油のブレンドが、妙な展開を見せている。

 唖然としているアンリに、オリヴァーは電卓を見せる。

「俺とお前の共同開発、ということにして、まあ、相場としてはこんな感じだな」

「そういうのはもうオリヴァーに全部任せるけど……」

「けど?」

「さっき言ってた『アンリ玉』って名前だけはなんとかならない?」

 ビールを本格的に飲み始めたカイルとオリヴァーを医務室に残し、アンリは一足先に部屋に引き上げることにした。廊下の窓からふと空を見上げると、まだ明るさの残る空に、蒼い半月がかかっていた。これから満ちてゆく月だ。あと8日で満月になるはずだった。次の満月には、ブランがロンドンに行き、探偵ケアリの調査結果を持って帰ってくることになっていた。

(ケアリさんの結果がわかるまで、まだ何も決められないけれど)

 アンリは妙な焦燥感を感じ、ふっとため息を漏らした。

 窓から離れ、部屋に戻ろうとした時、目の端に何か動くものが映った。アンリはもう一度窓に近づいて、そちらの方を見た。人影だ。倉庫の方へ、十人ぐらいの人影が移動している。そのうちの一人が、アンリもよく知っているマリクだった。

「マリク……?」

 他の兵士たちは陰になっていて判別がつかない。でも制服から、幹部でないことはわかった。アンリは数日前の夜、マリクがあざだらけで治療を受けていたことを思い出していた。

(なんか……いやな感じ)

 アンリは少し躊躇した後で、倉庫の方へ駆け出した。

 倉庫の角を曲がる前に、話声が聞こえてきて、アンリは足を止めた。あたりはもう暗くなっている。そっと様子を伺う。

「いい加減諦めたらどうだ。俺はお前たちの暴力には屈しない」

 マリクの声だ。だけどいつもの柔らかさはなかった。強い意志を込めた声だった。

「黙れ。お前があの男に尻尾を振っているのが目障りなんだ。赤の軍の面汚しが……!」

 険悪な張り詰めた雰囲気に、アンリは身を竦めた。

「いい加減に目を覚ませ。うちの隊長はお前たち如きがどうこうできるような男じゃない」

 人を呼びに行こうとしたアンリは、マリクの「うちの隊長」という言葉に再び足を止めた。

(ゼロが関係あるの?)

 雲がきれ、半分満ちた月があたりを照らした。

 マリクと十一人の兵士たちが対峙していた。

「俺も、エースの小隊長として、お前たちに屈することはできない。何人で来ても同じことだ」

 十一人を相手に、マリクは怯む様子もなく、毅然としている。

「くそっ、……おい、やれ!」

 十一人のうち、一番年長と見える男が言った。他の兵士達がマリクを取り囲むようにして構えた。

「……懲りないな、お前たちも」

 月明かりに照らされ、マリクが不敵に笑う。

 アンリのよく知っているマリクではなかった。

「うるせぇっ……!」

 一人がマリクに殴りかかったのをきっかけに、兵士たちが次々とマリクにかかっていく。

 マリクは軽やかに彼らの攻撃をいなし、鳩尾、あるいは首の後ろを一撃して倒していく。力量の差は歴然としていたが、相手は十人以上いた。マリクも全ての攻撃をかわしきっているわけではなかった。

 マリクが背後をとられ、まともに鳩尾に一撃を喰らった時、アンリは我慢できず飛び出そうとした。が、その瞬間、誰かに強く肩を引かれた。

「何をしている、お前たち。兵士たちの私闘は禁じられているはずだ」

 アンリの肩を引いた男の、凛とした声が響き渡った。

「ボリス!おい、まずい、いくぞ」

 マリクを囲んでいた兵士たちは散り散りに逃げ出した。

 ボリス、と呼ばれた兵士が、マリクを助け起こす。

「全く、何やってんだお前は」

「助かった、ボリス」

 二人は親しい間柄のようだった。呆然と見ていたアンリはハッとすると、マリクに駆け寄った。

「マリク!」

「アンリさん……、これは、お恥ずかしいところをお見せしてしまって」

 一瞬だけ動揺した表情を見せたマリクは、服についたホコリをはたきながら、いつもの如才ない微笑みを見せる。

「彼は俺の新兵時代のルームメイトのボリスです。ジャックの隊の小隊長なんですよ」

 マリクは、自分を助けおこした男の肩に手を置き、アンリに紹介した。

 魔法石の灯りの届くところでボリスを見上げたアンリは、彼に見覚えがあることに気づいた。医務室でアンリにひどく不遜な態度をとった兵士だった。

 彼はアンリを見下ろすようにして、忌々しげに舌打ちをした。

「あんたは馬鹿か。あそこであんたが飛び出したら事態は最悪だったぞ」

「えっ」

「あいつらは、深紅の血統でない者が赤のエースでいることに不満を抱いている連中だ。赤のエースの女なんか、いい餌食だ」

 かあっと顔に血を昇らせたアンリに構わず、ボリスはマリクに向き直った。

「お前もだ、マリク。赤のエースは馬鹿じゃない。部下が目をつけられないように、あいつは誰とも距離をとっていたはずだ。それを犬みたいになついて後をついて回ってるから、お前までこんな目にあうんだろう」

「ボリス……でも俺は隊長を尊敬している。俺は俺のやりたいようにやる。あんな奴らに屈するつもりはない」

(そうか、だから……)

 アンリは、ゼロが何故部下と距離をとっていたのか、今やっとわかった。

 まさかこんなことがあるなんて。

 ふつふつと静かな怒りが、心の奥から湧いてくる。

「全く、なんだってあんな男が赤のエースになったんだ」

 ボリスが吐き捨てるように言った。

「何寝言言ってるの」

 アンリの口から静かな暴言がこぼれた。

 ボリスとマリクが不思議なものを見るように、アンリを見た。

「私もゼロも深紅の血統ではないけれど、あなたたちに見下されるような人生は生きてないわ。あなた何か勘違いしているんじゃない?たまたま深紅の血統の家系に生まれてきた自分が立派だとでも思っているの?」

 アンリはもう自分でも止められなかった。今は、アンリが目にしてきた様々な理不尽や、逃げていった連中への怒りも、全てまとめてボリスに向いてしまっている。

「立派なのは今まで赤の軍とクレイドルを守り続けてきた先人達よ。みんな生まれた時から自分に課せられた重責に耐えて、壮絶な努力をしてきた人たちよ。自分たちの今の上司を見ればわかるでしょ。だから深紅の血統は尊いの。あなたはちゃんとその身分に見合うだけの努力をしているの?」

 その重責を、努力を少しでも知っていれば、ゼロを見下すことなどできないはずだ。だから赤の幹部は、ゼロを認めている。アンリの握りしめた拳に力がこもった。

「ゼロはね、それに見合うだけの、……ううん、それ以上の努力をしてきた人なの。だからランスロット様も他の幹部も、彼を認めているのよ。ここにきて一月もたたない私にもわかることがわからないなら、新兵からやり直したほうがいいんじゃないの」

 ボリスがかっと目を見開き、手をあげた。

 アンリは毅然としたまま、ボリスから目をそらさなかった。殴るなら殴ればいい。それでもここは譲れない。

 アンリとボリスが睨み合う。

 ボリスは舌打ちをすると、あげた手をそのまま下ろした。 

 それでも二人は睨み合ったままだ。

「あなたは見かけによらず口が立ちますね」

 よく聴き慣れた、軽やかな笑いを含む声がした。

 振り向くと、エドガーとゼロがすぐ近くまで来ていた。

「うちのボリス君は見た目よりずっと繊細なんです。どうか手加減してあげてください……ボリス、お前も喧嘩を売る相手は選んだ方がいい。彼女は強敵だ」

「隊長……」

 ボリスは気まずそうに目をそらした。

 いつもの読めない微笑みを浮かべるエドガーとは対照的に、ゼロは眉をひそめていた。ゼロはマリクの前に立った。

「マリク、今度のようなことはよくあるのか?」

「……」

 いつも饒舌なマリクが俯いて、答えあぐねている。二人の間に沈黙が落ちた。

「……もう少しお前の選んだ上官を信用してくれ」

 ゼロの言葉に、マリクはハッとしたように顔をあげた。

 ゼロは微笑んでいた。

 マリクの表情も明るくなる。

 アンリは少し意外な思いで、ゼロとマリクを見つめていた。二人の間には、何か通じる物があったようだった。

「悪かったな、気がつかなくて。近いうちに手をうつ。ただ、その前に特務だ。頼むぞ」

 ゼロがマリクの肩をぽん、と叩いた。マリクは満面の笑みで返事をする。

「はい!」

 ボリスはそんな二人を眺めながら、ずっと不機嫌そうな顔のまま、むっつりと黙り込んでいる。

「ボリス君はまだ仲良しのマリクと隊が分かれたことを拗ねてるんですか?」

 エドガーがボリスの肩を抱くと、覗き込むようにして、コロコロと鈴を転がすように笑った。

(すねてる……?)

 よく見ると、エドガーから目をそらしたボリスの目元が赤く染まっていた。

「アンリ、うちの新兵はね、訓練時の適正と幹部の希望、それから本人の希望で大体配属が決まるんですよ。オールラウンダーのマリクはボリスと共にぜひうちに、と思っていたのですが、本人がエースの隊を強く希望してね」

「へえ……」

 アンリが改めてマリクの顔を見ると、彼は少し照れくさそうに笑った。

 ボリスは不機嫌そうなままだ。

「マリクと同じ隊がよければ、つまらない意地を張らずにエースの隊を希望すれば良かったのにねえ」

「俺はジャックに入隊したかったんです」

「それは光栄です。そうだ、今回の特務はお前の大好きなマリクと一緒ですよ。よかったねえ」

 エドガーは今度はよしよし、と言わんばかりにボリスの頭を撫でる。

(軍隊の上下関係ってすごい……)

 アンリは呆気にとられて二人を眺めていた。

「あの、隊長、特務っていうのは」

 ボリスがもうエドガーのからかいに耐えられない、というように口を開いた。

「これから小会議室で詳しく説明します。参加するのは俺とゼロ、マリク、ボリスの4名です。ゼロ、お前はアンリにリコスのことを頼むのでしょう。先に行って、俺から二人に事情を説明しておきましょう」

 エドガーは言い残すと、マリクとボリスを連れて先に歩いて行ってしまった。エドガーは道道ボリスをからかっているようで、アンリはさっき睨みあったばかりのボリスが、少し気の毒になってしまった。

 彼の発言や態度にいろいろ許せないところはあるが、それでも彼はアンリを助けてくれたし、結局はアンリを殴りはしなかった。それに彼はエドガーが選んだ小隊長で、マリクの親しい友人らしい。

(いつか、もう少し歩み寄ることができたらいいな)

 アンリがぼんやりとそんなことを考えていると、ゼロが口を開いた。

「お前が一人で倉庫のほうに走っていくのを見かけて、気になって様子を見に来たんだ」

「マリクが、たくさんの兵士と一緒に倉庫の方へ行くのが見えて、気になったの」

「そういう時は、誰かを呼んでくれ。一人で危ないところへ行くんじゃない」

「……ごめんなさい」

「……俺は時々、本当にお前にリードをつけたいと思う」

 ゼロのため息まじりの言葉に、申し訳ないと思いつつもアンリは小さく笑った。

「お祖父さまが子供の頃おんなじこと言ってた」

「お祖父さまはその時どうしたんだ?」

 アンリはヒョイ、と手を差し出した。

「リードは困るけど」

 ゼロはふっと頬を緩めると、アンリの手を握った。

「なかなかいい考えだな」

(あ、あれ……?)

 ゼロの大きな骨張った手に自分の手が包まれた瞬間、急にアンリの心臓の音が大きく、早くなった。顔に血が上るのがわかる。

 ゼロはアンリの顔を見ると、一瞬目を丸くして、声を立てて笑い出した。

「自分から言い出しておいて照れないでくれ」

「お、思ったより……照れる……ね……」

 アンリは赤くなったまま俯いた。

 それでもそのまま、ゼロはアンリの手を離さず、ゆっくり歩き出した。

 夜の少し肌寒いぐらいの風が、ほてった頬に心地よかった。

「アンリ、明日からしばらく忙しくなりそうなんだ。リコスの世話を頼めるか?」

「さっき言ってた特務?」

「そうだ」

「危険なの?」

「いや、それは大丈夫。心配いらない」

 ゼロはアンリを見て、安心させるように微笑んだ。

「でも、兵舎にいる時間が短くなるから、リコスにかまってやれなくなる」

「わかった。リコスと一緒に待ってる」

 アンリの言葉に、ゼロが小さく笑った。

「ゼロも、あんまり無理はしないでね」

「ああ。気をつける。ありがとう」

 二人はそのあとは何も話さず、手を繋いだままゆっくり歩いて帰った。

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