愛さずにいられない —第二十一話—


赤のエースで妄想してみた その1 愛さずにいられない —第二十一話—


 夕方と呼ぶには、まだ少し早い時間。

 魔法学者の一団との戦いから、早朝に無傷で帰還したゼロは、今、いくつかの打撲や擦り傷を拵えて、医務室の椅子に気まずそうに座っていた。

 隣には、ゼロを医務室まで引っ張ってきた、どこか誇らしげな様子のマリクが座っている。マリクは今日、任務完遂後の休養日なので、私服姿だった。自由な身で、ずっとゼロの様子を見ていたらしい。マリクが、何故ゼロが半日でこんな姿になってしまったのかを説明してくれた。

 医務室のソファでは、エドガーが優雅に紅茶を飲んでいた。カイルはマリクの話を聞いて散々笑った後、アンリに手当てをまかせ、穏やかな顔で成り行きを見守っている。

「だから、今朝『すまない』って言ったのね」

「すまない」

 申し訳なさそうにもう一度謝るゼロを見て、アンリはため息と共に微笑んだ。

 本当に、仕方のない人。

 胸にこみ上げてくる、この気持ちはきっと愛しさだ。くすぐったいような気持ちで微笑むと、アンリはゼロの手当てを始めた。

 今日は午前10時から、クイーンの隊の訓練があった。ヨナの隊は、美しく整った隊列を組んでヨナの指示を待っていた。

 訓練場に、ヨナの凛とした声が響く。

「今日は体術の訓練をする。二人1組になって、防御の形稽古から……ただし、ハドソン、マイリー、クラヴィス、ゲイズ、ラッツ、この5名は前へ」

 呼ばれた5人は、何事かと思いながらも顔には出さず、直ちに前にでる。他の者たちは形稽古を始めた。

「ゼロ!」

 ヨナが呼ぶと、訓練場にゼロが入ってきた。状況を悟りはじめた5人の顔色がみるみる悪くなった。

 ヨナは反論を許さない優美な笑顔で彼らに伝えた。

「喜べ。君たちには今日、我が軍のエースが直々に稽古をつけてくれるそうだ」

「よろしく頼む。時間があまりないから、形稽古は飛ばしてすぐ実戦稽古に入ろう。さあ、かかってきてくれ」

 ゼロは日頃の訓練と同じ生真面目な様子で、5人に向き合った。

 ヨナは後で、この時の5人の絶望的な様子が非常に哀れだった、とアンリに教えてくれた。

 マリクに悪質な暴力や嫌がらせを続けていた11人を、ゼロは忙しい調査の合間にあっさり調べ上げていた。

(この話をした時の、「彼が誰の弟子だと思ってるんです」と言う、師匠・エドガーの誇らしげな様子といったらなかった)

  クイーンの隊の5人、9の隊の3人、8の隊の3人。

 ゼロは今日、この11人に、彼らしい、全くフェアなやり方で、訓練を通して徹底的な制裁を与えたのだった。

 現場を見学していたマリクが言うには、ゼロは大きな怪我をさせず、でも圧倒的な力量の差を知らしめて、彼らの戦意を完全に喪失させたそうだ。すべての攻撃をかわされ、返され、彼らが疲れ果て、起き上がれなくなっても、ゼロは息も乱さず平然と立っていたらしい。

 確かに今日は、ゼロがここにくるまで医務室にくる怪我人はいなかった。

「それなのに、わざと一発ずつ殴られたの?」

「その方が彼らの気が済むと思ったから」

 その気持ちは彼らにも十分伝わっているはずだ、と傍に座るマリクは言った。

「俺は、……実は、もしかしたら、隊長は俺とも距離をおこうとするんじゃないかと心配してました」

 マリクがポツリと言った。

 ゼロはそんなマリクを見てふっと笑う。

「……お前たちはどうせ俺が距離を取ろうとしても気にせずついてくるだろう」

 ゼロの言葉に、マリクの顔がぱっと輝いた。

「わかってますね!さっすが隊長」

「だけど、最後にボリスが出てきたときは驚いたぞ。あれはお前の差し金か?」

 ゼロがエドガーの方を見た。

「午前中の稽古の話を聞いたボリスが希望したんですよ。休養日に訓練に参加したいと言う熱意にほだされて、つい許可してしまいました」

 エドガーは悪びれず、にこやかに答えた。

 最後に8の隊の3人の相手を終え、やっと一息ついた時に、なぜかボリスが8の隊の訓練に飛び入りし、ゼロに稽古をつけて欲しい、と言い出したのだった。

 規律正しい赤の軍なのに、今日の稽古はずいぶんイレギュラーが多かったようだ。

「ボリスに食らった一発だけは、わざとじゃない、本当に避け損なったんだ。あいつはなかなかやるな」

 ふ、とゼロが笑いを漏らした。ボリスとの対戦が楽しかったようだ。

「ゼロは、ボリスのこと嫌ってはいないのね」

 ボリスがゼロに失礼な態度を取るところを何度か見ているアンリは、少し意外な気持ちで尋ねた。

「そうだな。別に嫌いじゃない。あいつはいつも俺が気に食わないと言うことを俺に直接言うから、わかりやすい」

 ゼロの返事はあっさりしたものだった。ボリスと仲の良いマリクは嬉しそうに微笑んでいる。

「それにあいつは仕事では頼りになる」

「おや、それはぜひいつか本人に言ってやってください」

 エドガーが言った。

「そうか?」

 ボリスはそれを聞いたらどんな顔をするだろう、と想像して、アンリは小さく笑った。

 アンリが笑ったのを見て、ゼロも微笑む。

「今日は痛そうな顔してないな」

「本当は痛いの。でも、これからずっとゼロと一緒にいるんだから、こういうことにもちょっとは慣れなくちゃ……はい、おしまい」

 最後に腕の擦り傷を消毒し終えたアンリが顔を上げると、なぜかゼロがびっくりした顔をしていた。

「どうしたの?」

「いや……」

 ゼロはびっくりした顔のまま、アンリを見つめる。

 そして何かを確かめるようにカイルたちの方を見た。

 微笑むカイル。

 含みのある笑顔のエドガー。

 何も聞かなかったかのように俯いているマリク。

 ゼロはもう一度アンリに視線を戻すと、何か言いたげな、真剣な眼でアンリを見つめた。

 アンリは熱のこもった目で見つめられ、急に緊張する。

 目を、外らせない。

 ゼロが、思い詰めたような目で、口を開いた。

「なんだ、君たちまたここに溜まってるの」

 ゼロが何かいうより早く、医務室に入ってきたヨナの声が緊張を打ち破った。

 カイルが「惜しい!」と呟く。

 マリクは直ちに立ち上がると姿勢を正し、敬礼した。

 ヨナは手当てを終えたゼロを見て、軽く笑った。

「男前増したんじゃない?ゼロ」

「今日は訓練の邪魔をして悪かった」

「何言ってるの。元はと言えば、俺の監督不行届だ。申し訳なかった」

 ヨナは笑みを消して、真摯な顔でゼロに謝った。

「マリク、俺の部下が迷惑をかけたね。すまなかった」

 ヨナはマリクに頭を下げた。

「や、やめてくださいヨナ様」

 マリクが慌てる。

 クイーンの隊の5人は、誇り高き赤のクイーンが自分たちのために頭を下げてくれていることを知ったら、どう思うだろうか。

 アンリは真摯に頭を下げるヨナを、敬意を込めて見つめた。

 たとえ世襲制で手に入れた地位であったとしても、やはり人の上に立つ者には、相応のものが要求される。ヨナもゼロも、立派な幹部だ。

 幹部が揃ったので遠慮して退出しようとするマリクを、ヨナが引き止めた。

「せっかくだから君もアンリの制服姿を見ていきなよ」

「えっ?」

 アンリは急に自分の名前が出てきてびっくりした。

「君の制服が届いてるよ、アンリ。早く部屋に行って着替えておいでよ」

 ヨナが誇らしげに言った。

「わあ……」

 早速部屋で制服に着替えたアンリは、鏡を見て感嘆の声をあげた。

 部屋に戻ると、ベッドの上に淡いローズカラーのワンピース、エプロン、ジャケット、ナースキャップが用意されていた。ベッドの足元には真新しいブーツ。

 少しくすんだ、淡いローズピンクは驚くほどアンリによく似合っていた。いつもよりずっと顔色がよく見える。襟と袖口には、カイルの白衣の襟元のように、赤地に金糸の刺繍が施されている。邪魔にならない程度に膨らんだ袖と軽やかに広がるスカートは可愛らしい。

 白がベースのエプロンは、裾にやはり金糸で薔薇の刺繍が施されていた。

 胸元には、ワンピースより少し濃い色のリボンを結ぶようになっていた。胸元のリボンと同じ色のブーツはとても軽く、いくらでも走れそうだ。

 ジャケットはフードのついたAラインで、白地に赤のバイピングが施されている。

 アンリは嬉しくて、全てを身につけた後で、満面の笑みを浮かべ、鏡の前でくるりと回った。

 アンリは医務室に戻る前に、執務室に寄ることにした。ランスロットに制服を見せ、お礼を言いたかった。

 2回のノックの後で、ランスロットの許可の声を聞いてから、ドアを開ける。

 アンリがドアから顔を覗かせると、ランスロットが表情を和らげた。

「よく似合っている」

「ありがとうございます、ランスロット様」

「間に合ってよかったな」

「え?」

「今日の夜、ガーデンで事件解決の祝賀会がもたれることになった。黒の軍と合同で」

「それは素敵ですね!」

 アンリは口元で両手を合わせる。

「お前もその制服で出席するが良い……、我が軍の親善大使」

 ランスロットはそう言うと、ふっと口元を緩めた。

 シリウスあたりに聞いたのだろうか。アンリは恥ずかしくて顔を赤らめた。

「全く、お前は利口なのかとぼけているのかわからん」

 そう言いながらも、ランスロットは穏やかに微笑んでいた。

「お前を科学の国から追ってきた3人は、今日、ブランが戻ってきてから科学の国へ送り返す」

 今日は満月だ。

 トンネルが開いたらすぐに、ブランはロンドンへ向かうことになっている。そして、ケアリの調査結果を持って帰ってくる。アンリはガーデンでブランを待たせてもらうつもりだったが、どうやら今日は幹部皆とガーデンに行くことになりそうだった。

「奴らが持っていたブランのボタンも取り上げた。あの3人が再びクレイドルに来ることはないだろう」

「はい」

 ロンドンからクレイドルに来るにはクレイドルの物を、クレイドルからロンドンへ行くにはロンドンの物を何か身につけている必要がある。彼らは、ここへ来る直前の乱闘でちぎり取った、ブランのジャケットのボタンを持っていたのだった。

 調査結果のことを思い出すと、アンリはわずかに緊張した。

(できれば、あれ以上悪いことが起こってなければいい)

 祈るような気持ちで、そっと目を閉じる。

「心配する必要はない。何か問題があっても、お前のお兄様たちを頼れば良い」

 ランスロットは愉快そうに微笑んでいた。

(……シリウスさんの、おしゃべり……)

「ありがとうございます」

 アンリは赤い顔のまま、すまして礼を言うしかなかった。

 アンリが医務室に戻ると、いつの間にかレイフや他の幹部たちも揃っていて、歓声と共に迎えられた。

「やっぱり君、その色似合うね」

 ヨナが嬉しそうに言った。

「さすがヨナさんですね。生地はヨナさんの見立てなんですよ」

 エドガーも同意した。

「ありがとう、ヨナさん」

「みんなの意見を取り入れてるんだよ。例えば年長組の2と4はナースキャップに並々ならぬこだわりがあってね」

「ナースキャップは大切だ。ランスロット様もおっしゃっていた」

 生真面目に答える赤の4、ゲイブに対し、レイフはちょっと恥ずかしそうに頬を赤らめていた。

「3と5と6は俺たちの制服と同じように、ジャケットを防刃にしろって。魔法石が織り込まれている繊維でできてるんだ」

「え、すごい」

 アンリは改めて自分の着ているジャケットを見た。

「貴方がそのような危険な目に合わないのが一番ですが、何事も備えておいた方が良い」

 堅実な彼ららしい意見に、アンリは口元を綻ばせた。

「ありがとうございます」

「カイルは仕事の邪魔にならないように華美な装飾は避けろって。俺はもう少し華やかなデザインにしたかったんだけど」

「ありがとう、カイル」

 カイルがひらひらと手を振る。

 レースやフリル満載のデザインにならなくてよかった。

 アンリはこっそり胸を撫で下ろした。 

「8、9、10はエプロンのデザインを」

「セントラルの看護師に意見を聞いて、使いやすいデザインを考えました」

「彼のデザインはそっけないものだったので、俺はその刺繍にこだわりました。我々の制服と同じものです」

「ありがとうございます。使いやすそうなエプロンだし、刺繍もとても素敵です」

「そして俺は大きなポケットと丈夫なリボンを」

 エドガーが微笑んだ。

「そのポケットは例のアンリ玉を隠すのにちょうどいい大きさです。胸元のリボンはオリヴァーに特注したもので、2メートルまで伸びて、貴方10人分の体重を支えられます」 

「……ありがとう」

「ちょっとエドガー、君、アンリに何か危ないことさせようとしてない?」

 アンリが感じたのと同じ危惧をヨナも感じたらしい。

「いやだな、まさか。『何事も備えておいた方がいい』と思っただけですよ」

 エドガーがさっきの赤の6のセリフを繰り返した。相変わらずエドガーの微笑みは、何を考えているのか読めない。

 アンリは気を取り直し、みんなに改めてお礼を言った。

「ありがとうございます。それに、この靴も、すごく軽くて、嬉しい。とても走りやすそう」

 アンリが一番気に入っていた部分を言うと、みんなは「やっぱりそこかー」と残念そうな口調で言った。

「俺たちはせっかくだからもっと可愛いデザインがいいと主張したんだけどね。ゼロが、『あいつはよく走るから、走りやすい靴にしてやってくれ』って、そこだけは譲らなかったんだ」

「すごい。さっすがゼロ。わかってる!」

 アンリは満面の笑みでマリクと同じようなセリフを言った。

「一番いい笑顔だ。やっぱりゼロが一番アンリのことはわかってるんだね」

 ヨナがため息交りに言うと、みんなの中に静かに佇んでいたゼロが微笑んだ。

 ガーデンに向かう馬車の中からみたクレイドルは、いつもと変わらなかった。慌ただしい夕暮れ時。家路を急ぐ人々、1日の仕事を終え片付け始める店、これから開店する店。仕事を終え待ち合わせる恋人たち。

 人々は、この一週間の、両軍の魔法学者との戦いを知らされないまま、日々の穏やかな営みを続けている。

 誰に労われることないまま、それを不満に思うこともなく、両軍の兵士たちは今日もクレイドルを守り続ける。

 アンリはそんな軍のために働けることが誇らしく、嬉しかった。

 自分が今着ている、真新しい制服を見下ろす。

 私も、私にできる方法で、クレイドルのために働こう。

 アンリは街を眺めながら、決意を新たにした。

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