愛さずにいられない —第二十五話—


赤のエースで妄想してみた その1 愛さずにいられない —第二十五話—


 アンリは途方にくれた気持ちでスカートを握りしめ、そして自分が今、赤の軍の制服を着ていることに気がついた。制服が力を与えてくれることを、彼女はその時初めて知った。

 心を落ち着かせるためにこっそり深呼吸をしてから、気合を入れて笑顔をつくる。

「こんにちは、私は赤の軍の看護師、アンリよ。お姫さまたちを助けに来たの」

 地下牢の隅で怯えていた女の子たちの表情に、微かな希望が宿ったように見えた。

 一番年長に見える、12、3歳の少女が、悲し気に眉を下げた。

「でも、私は黒の領地の娘だから……」

 彼女の言葉に、他の小さな女の子も顔を曇らせる。

「赤のキングは、どの領地に住んでいてもクレイドルの大切な民だと考えていらっしゃるわ」

「民ってなあに?」

 5歳ぐらいの女の子が心細げに尋ねた。

「赤の領地のお姫様も、黒の領地のお姫様も同じように大切ってことよ」

「赤のキングはとても怖い人だって聞いたわ」

 今度はもう少し年長の女の子が言う。

「とても優しい方よ。クレイドルをとても大切に思っているわ」

「でも、黒の領地を攻めようとしたわ」

 おそらくアンリが来る前の出来事だ。

「悪い魔法使いに魔法をかけられていたの」

 アンリは話を作り出しながら、もしかしたら、これが事実に近いのかもしれない、と頭の片隅で思い始めていた。

 クレイドルの外からきたアンリやアリスでさえ、守ろうとしてくださった人。あの気高い人が私利私欲のためにクレイドルで戦争を起こすとは思えない。この国で戦争が起きれば、どうしたって無辜の民が傷つくことになってしまう。

 あの人が争いを起こすとしたら、それは、クレイドルか、あるいは大切な人を守るためだ。

「白バラの王子様みたいに?」

「そう。でも、もう大丈夫。悪い魔法は解けたの。赤のキングは本来の優しい人に戻ったのよ。赤の兵舎の王子様たちがみんなで助けに来てくれるわ」

 王子様、という言葉に、女の子たちの表情が明るくなる。

「……おうじさま?」

 傍から幼い声がして、ベッキーがむくりと起き上がった。あたりを見回し、不安そうな顔になる。

「ベッキー、目が覚めた?」

 アンリがそっと声をかけると、ベッキーはアンリを見つけ、泣きべそをかきながらしがみ付いてきた。

「アンリ」

 アンリはベッキーを抱きしめた。

「ありがとう。私を覚えていてくれたのね、嬉しい」

「アンリ、ここどこ?ママはどこ?」

「今、ここにはいないの。これからみんなで、ママのところへ一緒に帰ろうね」

「ママ……」

 ベッキーがアンリの腕の中で本格的に泣きじゃくり始めた。

 つられるように、他の女の子もしゃくり上げ始める。一番年長の女の子は、自分も泣きそうになりながら、小さな女の子の背中を撫でてあげていた。

「大丈夫よ。もうすぐ王子様たちが助けにきてくれるから」

 残せるだけの手がかりは残してきた。

 ゼロは、絶対に助けにきてくれる。

「お願い、私を信じて。心を、強く持って。王子様が迎えにきてくれたら、みんなで一緒にここを逃げ出すのよ」

「王子様は、ミリーのことも助けてくれる?」

 一人の女の子が、泣きぬれた頬を拭いながら、アンリのそばまでやってきた。

「もちろん。赤の兵舎にはたくさんの王子さまがいるのよ。ミリーはどの王子様に助けられるのかしらね」

 アンリはミリーの肩を抱いてやった。

「どんな王子様がいるの?」

 他の女の子たちも、泣きながらではあるが、アンリの顔を見て、アンリの話を聞いてくれている。

(なるほど、女の子はやっぱり王子様が好きね)

 アンリは調子に乗って、話を続けた。

「赤の兵舎にはね……」

 ゼロの一行は、蹄の跡を確認しながら進み、魔法の塔の近くまできていた。

 あたりはもうすっかり暗くなっている。

「馬です」

 夜目の利くマリクの指差す方向を見ると、目撃情報と一致する特徴的な黒い斑のある馬が、大きな木の影に座り込んでいた。

「おそらくここで足がダメになって乗り捨てたのでしょう。蹄の様子からも、ずいぶん飛ばしていたようですから」

 エドガーの声を聞きながら、ゼロの表情が険しくなった。

「ここであの匂いも途切れている」

「徒歩ではなく、魔法で移動したのかも知れません」

「くそ、どうすればいいんだ」

 ゼロは魔法の塔を睨んだ。

「ゼロ、魔法の塔は今はクリーンな機関です。関わりはないでしょう」

 手がかりをなくし、立ち尽くす3人の目の前に、突然青い閃光と共に、

 黒い服を着た男が現れた。

「ハール・シルバー……」

 マリクの声は、驚きでかすれていた。

 エドガーも驚いている。

「まさか魔法の塔の最高責任者が出てくるとは思いませんでした」

「俺のテリトリーで騒いでいるのはお前たちだ。赤の兵士が3人揃って、一体何事だ」

 ハールはひどく憔悴したゼロを見た。

「……俺にできることがあるなら力を貸そう」

 全ての手がかりが途絶えた今、ゼロは、藁にもすがる思いでハールに打ち明けた。

「我が軍の看護師がさらわれた」

 ハールは目を見開いた。

「あの子が……」

「ここまで手がかりを追ってきましたが、ここから魔法で移動したらしく、お手上げです」

 エドガーがゼロの肩に労るように手を置き、説明を引き継いだ。

「ゼロ、アンリはあの髪飾りをつけているのか?」

「えっ……? ああ、今朝はつけていたから、今もつけているはずだ」

 ゼロがハールの質問に答えるのを、あとの二人は不思議そうな顔で見ていた。

「アンリを知っているのか?」

「以前、会ったことがある。……そんなことより、彼女があの髪飾りをつけているなら、彼女の居場所はわかるぞ」

「えっ」

 3人の驚いた声が重なった。

「あの髪飾りには、位置検知の魔法がかけてある」

 3人は一様に、ぽかんとした顔でハールを見た。

 ハールは居心地悪そうに目をそらした。

「まあ、経緯は後で教えてもらうとして、……まずはアンリのところへ案内してもらえますか?」

「ああ、わかった」

 エドガーの言葉に、ハールは頷いた。

 ランスロットとシリウスは森の中、並んで馬を走らせていた。

「じゃあお前は、コールからアモンの魔法石のありかを聞き出そうとしたんだな」

「そうだ。だが、奴には強い暗示がかけられていて、全てを聞き出すことはできなかった。やっと聞き出したのが、さっきの暗号だ」

 オリヴァーが拾い上げたメモには、ランスロットが魔法でコールから聞き出した暗号が記されていた。

『ライオンとユニコーンが仲違いするより昔共に暮らした住処』

「俺は手がかりを求めて、このところずっと倉庫にある、古い文献を調べていた。オリヴァーが言った『ライオンとユニコーンは王冠をかけて争った』というのは、500年前の、赤と黒が決別した戦いのことを示しているのではないかと考えた」

「あの廃墟は……」

「あの廃墟は500年前、一番初めの赤と黒の戦いが起きた城だ」

「そういうことか……ところでランス、キング自ら、軍を放り出してきて良かったのか」

 ランスロットが前を向いたまま微笑む。

「構わん。俺がいなくなっても機能するように育ててきた」

「いなくなっても?」

 シリウスが聞き咎め、眉をひそめた。

「いや……お前の方こそ、あの若いキングが助けを必要としているのではないか。このような事件、クレイドルでは前代未聞だ」

「あんまりうちのキングをみくびらないでくれ。それに、俺は魔法石の件とこれが繋がってるんじゃないかと踏んでいる。お前もだろう、ランス」

 ランスロットは答えず、馬の足を速めた。

 5歳のミリー、7歳のジュリアとパティ、10歳のクリスはアンリの話を聞くうちに、スウスウと穏やかな寝息を立て始めていた。14歳のアニーは、部屋の片隅に積まれていた毛布を4人にかけてやった。

「アンリ、あの、変な話だけど、あなたがきてくれて嬉しいわ。本当に、どうしていいのかわからなかったの」

 アニーが遠慮がちに小さな声でアンリに言った。

「よくがんばったわね、アニー。もう大丈夫よ」

 アンリが微笑みかけると、アニーの瞳からホロリと涙がこぼれた。

「ごめんなさい、私……」

 一番年長だから、耐えていたのだろう。

 アンリのそばで大人しくしていたベッキーが、アニーのそばに行くと、彼女の袖を掴んで言った。

「大丈夫よ、お姉ちゃん。赤の軍は強いの。じいちゃんがいつも言ってるの」

 アニーは泣き笑いの顔になって、そっとベッキーの頭を撫でた。

 突然牢の入り口で鍵の開く音がし、3人はびくりと肩を震わせた。

 のそりと1人の男が食事らしき紙袋を持って入ってきた。その後ろからもう一人、水差しを持った男が続いた。

 アンリは二人目の男を見て、思わず声をあげそうになった。

 水差しを持った男、ダリム・トゥイードルはアンリを見て一瞬驚いた顔をしたが、すぐに表情を消すと、アンリにだけ見えるようにそっと人差し指を口元に当てた。

 アンリももう一人の男に驚きを見せないように、そっと顔を伏せた。

(どういうこと……?)

 俯きながら、アンリは必死で考えを巡らせた。彼女はひどく混乱していた。

 上級魔法学者、ダリム・トゥイードル。以前医務室で会った時も、敵なのか味方なのかはっきりしなかった。だけど、ランスロットは、「クレイドルに害をなすような男ではない」と言った。

 ――今、彼は、敵なの?味方なの?

「食事だ」

 最初に入ってきた男はそういうと、紙袋を木箱の上に置いた。ダリムも何も言わずその横に水差しをおくと、二人は再び鍵をかけ、牢を出て行った。

 紙袋の中には、サンドウィッチが入っていた。どこかの店で調達してきたものだろう。

「食べましょう」

「食欲なんてないわ」

 アニーが細い声で答えた。

「アニー、食べておいて。逃げる時、あなたにも力を貸して欲しいの」

「私……?」

「逃げるとき、クリスとパティの手を引いてあげてもらえない?私はミリーをおぶって、ベッキーとジュリアの手を引くから。ベッキー、走れる?」

「うん、大丈夫」

 ベッキーはキュウリのサンドウィッチをかじりながら力強く頷いた。

 広い牧場を走り回っているベッキーの方が、お嬢様然としたミリーよりは走れそうだった。牧場で会った時は母親のスカートの影に隠れてしまうような子だったのに、今は何だか頼もしい。

「……わかったわ」

 アニーは目に強い光を宿すと、サンドイッチを手にとった。

「ありがとう。今のうちに、力をためておいて」

 アニーはぎこちなく、それでも力強く微笑んだ。

 アンリたちがサンドイッチを食べ終え、水を飲んで一息ついた頃。

 再び、牢の扉が開いた。

 アンリは今度こそ、小さな悲鳴をあげた。

「やあ、お嬢さん。……ダムに聞いたときは冗談かと思ったが、本当にあんたとはな」

 入ってきたのは、スタンリー夫人の家で会った彼女の甥、フィルだった。

「どうしてあなたがこんなところに……あなたも、彼らの仲間なの?」

「ああ、縁があってね」

 男は悪びれもせず、ニヤリと歪に笑った。

 なんていうことだろう。

 スタンリー夫人が知ったらどれほど悲しむだろうか。

 彼女の気持ちを思うと、アンリの胸がひどく痛んだ。

「なあ、いいもん見せてやるよ。来いよ」

 フィルが急にアンリの手首を掴み、引っ張った。

 目に好色そうな色が浮かんでいて、アンリは密かに眉をひそめた。

 いとこのベンジャミンと同じ、即物的な欲に満ちた目。

 だけど今のアンリは、ベッドと机のバリケードの陰で震えて泣いているだけの子供ではない。制服のポケットの中には、武器が後一つ、残ってる。

 アンリは頭を働かせた。

 逃げる前に、建物の中を少しでも把握しておくことは有用だ。できるだけ、情報を集めよう。そのためには、この男について外に出た方が良い。

 アンリがそっとアニーの方を見ると、アニーが力強く、コクリと頷いた。

 ――女の子たちは任せて。気をつけてね。

 そう言ってるのがわかる。

 ほんの短時間の間に頼もしい相棒の顔になったアニーに、アンリはそっと微笑むと、フィルの後について、牢を出た。

 ハールとゼロたちは、魔法の塔からアンリの元へ向かって、魔法で移動した。ハールが言うには、アンリがいる方角はわかるが、その近辺に不思議な結界のようなものがはられていて、彼の魔力を持ってしても、中が見えないらしい。そのため、ある程度アンリのいる場所に近づいてからは、様子を見ながら、徒歩で向かうこととなった。赤の軍の3人は馬に積んでいた武器を全て身に付けていた。

「あの雑貨屋には、今も時々木工細工の小物を置いてもらっている。いつもロキが納品にいくのだが、たまたまあの日、ロキが熱を出したので、代わりに俺が行った」

 ハールは歩き始めてから、ポツポツと話し始めた。

「そこで、髪飾りを買いにきていたゼロと鉢合わせした」

 若い女性であふれる雑貨屋で、強面の赤のエースと元お尋ね者のジョーカーが鉢合わせ。

「……なかなかシュールな光景ですね」

 その店に居合わせてもそれほど違和感はなさそうな容姿のマリクが呟いた。

 お互い店の中で、居心地の悪い思いを抱えていた二人は、不思議な共感を感じて、店の片隅で挨拶しあった。

「ゼロが持っている髪飾りには小さな魔法石がついていた。ゼロはお守りになるらしい、と言っていたが、時間の経過のせいか、元々守りをつけた者の腕が悪かったのか、石の守りは消えかけていた」

「そうだったのか」

「その……余計なことかとは思ったが、俺が守りの魔法をもう一度かけようと思った」

 気まずそうに告げるハールを、3人は不思議そうに眺めた。

 ハールは3人の方を見ずに続けた。

「どんな子に贈るんだ、と尋ねたときに、ゼロが、『仔犬みたいに元気で、放っておくとすぐどこかへ走っていってしまいそうな子だ』と」

 エドガーとマリクが笑いを堪えて、肩を震わせた。

 ゼロは気恥ずかしく、黙って頬を赤らめた。

「それで、位置検知を兼ねた守りの魔法をかけておいた……まさか本当に役に立つとは思わなかったが」

 ハールはゼロの方を向くと、安心させるように微笑んだ。

「守りの魔法はまだ発動していない。彼女はそれほど危険な目には合っていないはずだ」

「ハール、お前はどうして……」

 ゼロがハールに何か言いかけたときに、マリクの腰についた装置が警告音を鳴らした。大きな音だったので、4人は一様にびくりと肩を震わせた。

「わっ、すみません」

 慌ててミュートボタンを押したマリクが、画面を見たまま固まった。

「どうした」

「隊長……表示画面がレッドです」

「魔法の塔じゃないんですか?」

「それが、魔法の塔の方向ではなく、俺たちの進行方向を示しています……」

「その装置は?」

 不思議そうに尋ねるハールに、エドガーが説明した。

「天才発明家のつくった魔法石探知機です。500m以内に大量の魔法石があったときに反応します。……魔法の塔の近くでさえ今のアラートはならなかった。つまり、魔法の塔にあるよりも多くの魔法石が、この先にあるということです」

「……アモンの魔法石か。捜査に当たっているという報告は来ていたが……」

「まずはアンリを助け出すことを優先しましょう。ただしマリク、装置の作動には注意しておくように」

「はい」

 4人は再び進み始めた。

 やがて、茂みの向こうに、廃墟が見えた。

「アンリはここにいる。だが、やはり中は見えないな」

 魔法石を手にハールが断言した。

「クレイドルではあまり馴染みのない魔法だな……」

 建物を守る結界らしきものを探ったハールは、魔法学者らしい呟きをもらした。

 エドガーは地面から何かを拾い上げた。

「例のアンリ玉の残骸だ。上出来ですよ、アンリ」

「アンリ玉?」

 訝しげに聞き返すハールに、エドガーはにっこり笑って見せる。

「最近開発された新兵器です。なかなか強力でね」

「あの……探知機もこの建物を示しています」

 4人は顔を見合わせた。

 今、4人は茂みの影から廃墟を窺っている。見張りらしい男の姿が5人ほど見えるが、中や廃墟の裏側がどうなっているのかわからない。

「突入の前に少し探りを入れた方がいいですね。魔法で見えないとなると……物理的に行きましょう。マリク、お前行けますか?」

「はい」

「無理はするなよ」

 マリクは頷くと、身軽な様子で廃墟に近づいて行った。

 マリクの姿が闇に溶けてしばらくすると、足音が聞こえてきた。

 3人は足音のする方を睨む。

 ゼロとエドガーは、低く構え、サーベルの柄に手をかけた。

 ハールは魔法石を取り出し、握りしめた。

 しかし現れた人物を見て、ハールは微かな驚きの声をもらした。

「お前たち……」

 暗闇から現れたのは、ランスロットとシリウスだった。

 アンリは、フィルに連れられて牢をでた。牢の入り口には見張りらしい男が一人いた。見張りの男はフィルとアンリを見ると、ニヤリと下びた笑いを見せた。フィルも似たような笑いを返す。アンリは不愉快極まりなかったが、見ないふりをした。

 来る時は気づかなかったが、細い廊下を挟んで向かい側はドアも窓もなく、堅牢そうな壁が続いていた。右の奥から明かりが漏れ、人の話声が聞こえた。左側には少し離れたところに地上への階段があった。アンリたちが降りてきた階段だ。階段までに部屋がないのは逃げるのに有利だ。朗報と言えた。

 アンリはフィルについて階段を上った。建物はひどく朽ちていて、壁の内側にも蔦がはっていた。天井もひび割れ、所々星空が見えるほどだった。

 階段のある部屋の奥に観音開きの扉があり、フィルは軽やかな足取りでその部屋に入っていった。

 そして今、アンリは言葉を無くしていた。

「なあ、すごいだろう」

 フィルが奥の部屋の真ん中の床板を持ち上げると、そこは貯蔵庫のようになっており、中は魔法石で埋め尽くされていたのだった。床下が、どこまで深くなっているのかわからない。もし地下の、牢の前にあったあの壁の内側がこの貯蔵庫だとしたら、相当な量だ。

 貯蔵されている魔法石は、アンリが日常見かけるものと違い、歪な形をしていたが、輝きはいつかハールが持っていたものと同じぐらい強い。貯蔵庫からあふれる光は、目が眩むほどにまぶしかった。魔法石の輝きはフィルの持ってきたランプが不要なぐらい部屋を照らし、アンリは真っ直ぐ見ることはできずに、手をかざした。

「なあ、あんた俺の女になれよ。俺、本当はあんたみたいに清楚で大人しい女が好きなんだ」

 いつの間にかフィルがアンリのすぐ側に来ていて、彼女に手を伸ばした。

 大量の魔法石にあてられたかのように、妙に興奮して、息が荒くなっている。

 アンリはぞっとして、逃げるように後ずさった。

「近づかないで」

「つれないこと言うなよ、な、これだけの魔法石だ、山分けしても相当の量だ。贅沢させてやるぜ」

 アンリはポケットの武器を取り出そうとして躊躇した。できればこれは逃げるときのために、取っておきたかった。

 迷っているうちにフィルはアンリの腕を掴んで引き寄せる。

「離して……嫌!」

 アンリは悲鳴をあげ、ポケットに手を入れた。

 突然、フィルががくん、と倒れ込んだ。

 アンリはうまく避け、何とか下敷きになることを免れた。そっと離れたところからフィルの顔を覗くと、彼は満足そうなにやけ顔で眠っていた。

 何が起こったかわからず混乱していると、背後で聞き覚えのある声がした。

「そのお姫さまが清楚で大人しいっていうのは大いなる勘違いだと思うよ、フィル」

「ダリム……!」

 いつの間にかダリムが部屋の中にいた。

「やあ、まさかこんなに早く再会するとはね」

「フィルはどうなったの?」

「眠っているだけだよ。余計なことしたかな」

「そんなことない……。あの、助けてくれてありがとう」

 アンリは不本意な気持ちながら、お礼を言った。

「ふふ。彼は今夢の中で君とめくるめく官能的な時を過ごしている」

 アンリはダリムの言葉を聞くと、顔をしかめ、蛇蝎を見るような目でフィルを見下ろした。

「あはは、いい顔するなあ」

 ダリムが愉快そうに笑った。

「笑い事じゃないわ。おかしな夢を見せないで!」

「冗談だよ。せいぜい君の膝に甘えてる程度だろう」

「後で記憶を消しておいて」

「俺が覚えていたらね」

 どうせ何を言っても煙に巻かれるだけだ。アンリは気をとりなおして尋ねた。

「どうしてあなたここにいるの。本当に彼らの仲間なの?」

「さてね。俺には俺の守りたいものがある。ふ、ふふ……」

 ダリムは俯くと、肩を震わせ、愉快そうに笑い始めた。

 屈託のない笑い方に、アンリは戸惑った。

「全く、俺が迎えにいくまで待てなかったのかな、このお姫さまは。君はつくづく俺の計画をぶち壊すのが好きらしい」

 ダリムはアンリの手を取ると、掌を上に向け、何かを握らせた。

「今、なかなか豪華なメンバーがここへ向かっている。あとは彼らに任せて、俺は引きあげることにするよ。……使い所を間違えるんじゃないよ、お姫さま」

「これ……!」

 アンリは手の中にあるものを確認して、思わずダリムの顔を見上げた。

「さあ、怪しまれないうちに牢まで送ろう」

 アンリはダリムに導かれその部屋を出る時に、もう一度だけ魔法石が溜め込まれていたところを見た。ここからでもわかるぐらい、貯蔵庫の口は明るく輝いている。

(あんな魔法石は、ないほうがいいのに)

 今、クレイドルには十分な魔法石が流通している。クリーンな機関になった魔法の塔の人々が、誠実に働いている。

 目的のわからない犯罪グループにあんな大量の魔法石を持たせてはならない。もし、魔法攻撃に使われたら。

 アンリはゼロが重体で運び込まれてきたときのことを思い出して、強く目を閉じた。

(あんな魔法石、なくなってしまえばいい)

 アンリは心から、強く、とても強く、願った。

 ゼロは、何か柔らかい光が動くのを見たような気がして、廃墟の方を振り返った。

「どうしたんですか?隊長」

「いや……何か光ったような気がしたんだが、流れ星か何かかもしれない」

 空には満天の星空が広がっていた。

 十六夜の月が明るく輝いている。

 偵察から戻ったマリクの報告によれば、出入口は見張りたちがいる一箇所だけ。また、彼らの会話によれば、グループの他のメンバーも、誘拐された人々も、地下にいるらしかった。

「警戒すべきなのは魔法石による魔法攻撃ですが、そこはゼロ方式で」

 ゼロがジロリとエドガーを睨む。

 マリクが必死で笑いを堪えて真っ赤な顔をしていた。

「ランスロット様、ご指示を」

 ランスロットはハールとシリウスに向き直った。

「協力を要請する」

「普通に手伝ってくれって言えよ」

 シリウスが笑った。

「今回のみ協力してやる」

 ハールが静かに答えた。

 ランスロットは空を見上げた。雲が出てきていた。

「月が隠れたら突入する」

「あ、あれ?」

 マリクが突然場に似つかわしくない声をあげた。

「何事だ」

「申し訳ありません。装置の表示がいつの間にかグリーンになっていて」

「動作用の魔法石が切れたのではありませんか?」

 エドガーも、マリクの持つ装置の表示画面を覗き込みながら言った。

「昨日交換したばかりなのにな……」

 マリクは首をひねりながら、指示された位置についた。

「後にしろ。まずは人質の救出だ」

 ランスロットが廃墟から目を離さず言った。

 月が、全て雲に隠れた。あたりが闇に包まれる。

「行くぞ」

 6人は一斉に、静かに動き出した。

「ゆっくりお休み」

 ダリムは空に登っていく淡く優しい光を、目を細め見送った。

「やれやれ、あのお姫さまは本当に侮れないな」

 ダリムはふと口元を緩めると、青い閃光と共に姿を消した。

 後に残ったのは、静かな闇だけだった。

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