リコスの特別な日


 リコスの大好きなご主人様、ゼロは、赤の軍の幹部なのでとても忙しい。昼間は書類仕事の時以外、ほとんど部屋にいない。

 だからリコスの1日の主な仕事は留守番だ。

 ご主人様を送り出した後は、帰ってくるのを楽しみに待つ。

 昼にはアンリが様子を見にきてくれて、時々一緒に遊んでくれたりもする。でもアンリもやがて仕事に戻ってしまうので、やっぱりまた、独りでゼロの帰りを待つ。

 部屋に独りでいるのは寂しいけれど、ご主人様が必ず帰ってくることを知っている。だからリコスはゼロに撫でてもらうのを心待ちにしながら、帰りを待つ。

 ところが、どうしたことだろう。今日はいつもと様子が違う。

 まだお昼なのに、アンリだけじゃなくてゼロもいる。

 大喜びで飛びつくリコスを、ゼロが優しく撫でてくれた。

「リコス、わかったからちょっと落ち着いてくれ」

 ゼロとアンリは、ソファとテーブルを動かして部屋に広いスペースを作ると、ブランケットを広げた。

「リコス、おいで。お前の誕生日を祝おう」

 大好きなゼロの声がリコスを呼んだ。

 誕生日?なあに、それ?

 それは、5日ほど前のこと。

 アンリは仕事を終え、ゼロと一緒に部屋に戻るところだった。

 窓の外では、木枯らしが寒そうな音を立てていた。

 ゼロが、独り言のように呟いた。

「リコスの誕生日はいつだろうな」

「誕生日?」

「あいつを拾ったのが、去年の今頃なんだ」

 アンリは、エドガーに聞いた話を思い出した。

 ゼロは去年の暮れの警ら中に、生まれて間もないリコスを保護したらしい。冷たい雨の降る日だったそうだ。

「……もしかして、お誕生祝い?」

 アンリがそっと尋ねると、ゼロが少し頬を染め、気恥ずかしそうに答えた。

「あいつの誕生日も祝ってやりたいと思って……、その、おかしいか?」

「すごく素敵だと思う!」

 アンリが力を込めて賛同すると、ゼロはほっとしたように微笑んだ。

「でも、いつ祝えばいいんだろう……」

「出会った日を誕生日にしてしまえばいいじゃないですか」

 いつの間にかそばに来ていたエドガーが、朗らかな声で会話に加わった。

「当時、目も開いていないぐらいだったでしょう。お前が誕生日を決めてやればいいんですよ」

「……そういうものか?」

「リコスとお前が出会ったこと、小さかったリコスが一年無事に育ったことを祝う日にすればいいでしょう」

 エドガーの言葉には十分説得力があった。そこで二人はリコスの誕生日を、12月7日、ゼロとリコスが出会った日に決めたのだった。

 リコスをテーブルにつかせるわけにもいかないので、二人で相談して、お誕生祝いはピクニック形式にすることにした。

 もちろん外はとても寒いので、暖かい部屋の中で。

 暖炉の前にブランケットを敷いて、人間用のご馳走とリコス用のご馳走を並べた。

 リコスの前には、バースデーケーキ。

 あの日、ゼロがリコスの誕生日を祝いたいと言い出した時、エドガーはやけに嬉しそうだった。そして、ケーキは任せておけ、と宣言し、リコス用のケーキを用意してくれたのだった。

「犬用のケーキがあるなんて知らなかったな」

「でもあいつが用意するケーキはやっぱりこんな色だったな」

 ゼロが苦笑する。

 ゼロのバースデーケーキと同じように、目にも鮮やかな、毒々しいと言ってもいいほどのレインボーカラー。

「でも、リコスは気にしてないみたいだね」

 リコスは、初めてのケーキがとても気に入ったらしい。勢いよく食べている。

「エドガーが、犬は色の見え方が違うらしいと言っていた。もしかしたら、こいつには美味そうに見えてるのかもしれないな」

 リコスのケーキの横には、カイルから贈られた犬用のシャンパンが用意されている。

 見た目は人間のシャンパンと変わらない。だけど好奇心旺盛なアンリが瓶の口についたものを舐めてみると、チキンスープの味がした。

 アンリは予想外の味に思わず顔をしかめたけれど、リコスは気に入ったようだった。

 ランスロットとヨナは、新しいおもちゃを贈ってくれた。

 ゼロの部下たちからは、ジャーキーの大きな袋が贈られた。

 たくさんの、ささやかな、優しい気持ちが、アンリは嬉しかった。

 きっとそれは、リコスだけではなく、ゼロへ贈られた気持ちでもある。

 ケーキをきれいに平らげたリコスが、もっと、とねだるように一吠えした。

「ケーキはもうないぞ。来年の誕生日にまた用意してやるから、元気に育ってくれ」

 ゼロが、リコスを優しく撫でながら、言い聞かせる。

 リコスが気持ちよさそうに目を細めた。

 幸せな光景に、アンリは思わず微笑む。

(ゼロ、お父さんみたい)

「アンリ?……なんだか顔が赤いぞ、大丈夫か?」

「だ、大丈夫。ちょっと想像しただけ」

「想像?」

「なんでもない、大丈夫」

 ちょっと心に思い描いてしまっただけだから。

 それほど遠くはない未来。

 ゼロと、アンリと、小さな子供。傍に、大きくなったリコス。

 アンリの心に浮かんだそれは、本当に幸せな光景だった。

 だけどもうしばらくは、このまま心の中に、大切にしまっておくことにした。

 いつか叶いますようにという願いとともに。

 これから大好きな散歩に行くのだ。

 リコスは新しいおもちゃをしっかりくわえ、喜び勇んで裏の丘を目指していた。

 まだ外は明るいから、ゼロとアンリがきっとたくさんたくさん遊んでくれる。

 新しいおもちゃはふわふわしていて、噛むと音がでた。

 リコスはその音がとても気に入った。

 ふと目の前に、リコスの大好きなもふもふが現れた。

 リコスは行儀良くその場にお座りして、もふもふの主を見上げる。

 リコスはこのもふもふの持ち主、ランスロットも大好きだ。時々、このもふもふで遊んでくれる。

 挨拶したいけれど、今は大切なおもちゃをくわえているので、吠えることができない。代わりに、たくさん尻尾を振ることにした。

 ランスロットは、リコスのおもちゃを見て、尋ねた。

「気に入ったか?」

 気に入りましたとも。

 そう答えたいけれど、大切なおもちゃがどこかへ行ってしまうと困るので、やっぱり吠えることができない。

 代わりに、さらにたくさん尻尾を振った。

 ちゃんと伝わったらしい。

「ならば良い」

 ランスロットの目が、優しく細められた。

 誕生日がなんなのか、リコスは知らないままだ。誰も教えてくれなかったから。

 でも今日は、珍しいものをたくさん食べた。新しいおもちゃをもらった。大好きなゼロとアンリがいつもよりたくさん一緒にいてくれる。

 だからきっと、誕生日というのはとてもいいものに違いない。

 毎日が誕生日だといいのにな。

 少しだけそう願ったけれど

 今、隣を見上げれば大好きなご主人さまが笑っている。

 それだけで、リコスはとてもとても幸せな気持ちになってしまって、誕生日のことはすぐに忘れてしまった。

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