坊っちゃま、これは恋ではありません


メフィストフェレスが生まれる前から使用人としてこの屋敷で働いていて、物心ついた頃には世話役として側にいた伊吹。

この世に生を受けてから、ずっと。

いつだって、メフィストフェレスを導いてくれるのは伊吹だった。初めてポニーに乗った時も、初めて夜会に出ることになった時も、必要な知識を与えてくれたのは伊吹だし、練習に付き合ってくれたのも伊吹だ。一緒にいた時間は、親よりもずっと長い。

だから、学校に通うようになってから、自分の性の知識がどうも同級生達とかけ離れているようだと気づいたメフィストフェレスが伊吹に相談するのも、伊吹がそれに応えるのも、当然だった。

夜遅く、警ら係以外の屋敷のものが皆自分の寝室に篭る時間。

メフィストフェレスは伊吹の部屋を訪れていた。

几帳面に整えられた清潔な部屋。自室よりもずっと狭くて質素なのに、不思議と居心地の良いこの部屋は、密かなお気に入りだ。

いつもならこの部屋で心を落ち着けることができるのだが、今日は少し勝手が違う。

心臓が耳の隣に移動したかのように騒々しい。どうしても荒くなる呼吸音と混じって、耳鳴りのようだ。

「坊っちゃま、どうすればよいかお分かりですか?」

伊吹が優しく問いかける。

メフィストフェレスは二人の間に支え合うようにして立ち上がっている二つのペニス——伊吹と自分のペニスを、震える両手で包み込むように握り、ゆっくりとその手を動かした。

彼にマスターベーションの仕方を教えてくれたのもやはり伊吹だ。ほとんど同じ行為だというのに、そこに他人の体温がわずかに加わるだけで全く違ったものになることを、メフィストフェレスは初めて知った。

「ああ……坊ちゃま、とてもお上手ですよ」

初めて見る伊吹の淫蕩な表情に、思わず息をのんだ。

早急に自分自身を追い立てようと動きを早めたメフィストフェレスの手を、伊吹は嗜めるように上から包み込む。

「坊っちゃま、そんなに慌ててはいけませんよ」

伊吹はゆったりした喋り方のままそう言うと、立ち上がり、トラウザーズと下着を一緒に脱ぎ捨てた。

ランプに照らされる白い体をメフィストフェレスはぼんやりと見つめる。

はだけたシャツ一枚の姿で再びベッドの上にのぼった伊吹は、足を広げて座ると言った。

「では、こちらを使ってみましょう」

上体を倒しながら、白い手が下へと滑る。彼が自らの尻の肉をかき分けるようにして示した場所は、すでに柔らかく開かれ、メフィストフェレスを迎え入れる準備を整えていた。

日頃決して目にすることのない、伊吹の秘められた場所がランプの灯の下にさらされている。メフィストフェレスが思わず凝視すると、そこがまるで生き物のようにひくりと震えた。

知識がなくても、どうすればいいのか本能的に理解している。

それでも確認するように伊吹の顔を見ると、彼は頬を上気させたまま、ゆったりと微笑んだ。

「優しく……ゆっくりと、挿れてください」

淫蕩と無垢。相反するものだと思っていたふたつが当たり前のように共存する伊吹の微笑。

導かれるままに、ペニスの先端をそこに押し付ける。その温かさに、ざわざわとしたもどかしさが巻き起こった。伊吹は柔らかく、温かく、包み込むようにメフィストフェレスを呑み込んでいく。

「うあ、あ……」

すっかり体を沈めた時には、メフィストフェレスの目から涙が溢れ出していた。伊吹のそこを凝視していたせいか、それとも初めて味わう快感のせいか。身体中の水分が出口を求めて荒れ狂っている。それなのに、うまく動けない自分がもどかしい。滑稽なほど荒い自分の息の音が耳障りだ。

焦る気持ちを落ち着けるように、伊吹がゆったりと背中を撫でてくれた。

大丈夫ですよ、というように。

こんな時でさえ、彼の手は心を落ち着けてくれる。

伊吹の中は熱く柔らかい。はやる気持ちを抑えるように、メフィストフェレスは恐る恐る腰を動かした。

「そう、最初は、ゆっくり……」

やがて少しずつ、ぎこちなかったメフィストフェレスの体の動きと伊吹の体の動きが噛み合い始めた。

熱い。

さっきまでゆったりと背中を撫でてくれていた伊吹の手が、いつの間にか余裕を無くしたようにシーツを掴んでいる。

「あ……!あ、あ、あ、……」

ベッドの軋む音と同じリズムで伊吹の口からあえかな声が溢れる。

完璧に噛み合った歯車が抵抗を無くし、暴走し始めるかのように、メフィストフェレスの腰は彼の意思を無視して動いていた。

「は、あ、ああっ……」

伊吹の声が啜り泣きのように変わった。

シーツを掴んでいた手が伸ばされる。縋りつく伊吹に応えるように彼を抱きすくめ、動き続けた。

「坊っちゃま、坊っちゃま!お見事、お見事でございますッ……あ、ああっ……」

 伊吹ががくがくとベッドに体を打ちつけるように激しく震え、大きくのけぞった。

「う、あっ」

吸い込まれるような感覚に、メフィストフェレスは抗う術も無く吐精した。

二人の荒い呼吸が重なる中、やがて凪いだ時間が訪れた。

メフィストフェレスはまだ興奮冷めやらぬ思いで体を起こすと、伊吹を見下ろした。

伊吹はどこかぼんやりとした満ち足りた表情で、満足げな吐息をつく。

その顔を見た途端、メフィストフェレスの心に、言いようの無い愛おしさが込み上げてきた。衝動のままに、深く口付ける。

伊吹はほんのわずか、メフィストフェレスの拙い口付けに応えたようだったが、すぐにそっと彼の肩を押しやった。

「いけませんよ、坊っちゃま。これは恋人同士がすることです」

 恋人同士。

 そうか。

 吐精直後の澄み渡った思考が、すぐに正しい答を導き出した。

「これは恋だ、伊吹。私はお前に恋をしている」

 この世の真実にたどり着いたかのように。

 メフィストフェレスは至上の喜びとともに自信を持って伊吹に伝えた。

 ところが伊吹は彼の目を見て、きっぱりと言い切った。

「いいえ、坊っちゃま。これは恋ではありません」

予想とは違う反応に、メフィストフェレスは困惑した。

「恋では、ない……?」

「私はただセックスがどのようなものなのかレクチャーしただけです。でも、性の快楽にまだ不慣れな坊っちゃまが間違えてしまっても無理はありません」

それほどに強烈なものですから、と伊吹は優しく微笑んだ。うっかり教わったばかりの作法を間違えた時、あるいは問題の解法を間違えてしまった時、彼はいつもこんな顔で諭してくれた。メフィストフェレスを否定することはなく、だけどきっぱりと「それは間違いですよ」と。

間違いなのか?

今も感じるこの息苦しいような愛おしさが錯覚だというのか。

目の前の伊吹をまだ抱きしめていたいと、もっと触れたいと思うのは、ただ性の快楽に流されているだけなのか。

メフィストフェレスの混乱は深まるばかりだ。 初体験、恋の自覚から失恋を一瞬にして駆け抜け、呆然とするメフィストフェレスを一人残し、伊吹はバスルームへと消えた。

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