全ては、計画通り。
あの小面憎いルシファーが人間界からの留学生を溺愛しているという。メフィストフェレスも、RAD内を仲睦まじく歩く二人を度々見かけた。
あの人間の小娘をルシファーから奪ってやれば、やつはどんな顔をするだろう。最初はそんな単純な思いつきだった。
大魔女マディと手を組んだ。ちょうど退屈していたという彼女は、彼が持ちかけた企みに関心を示した。
全ては、計画通りに進んだ。
ひとけのない場所で隠れるようにして親しげに抱き合うマディとルシファー、そして離れたところからその二人を見つめるMC。
悪魔の企みをつゆほども知らず傷つく人間の娘の姿。物陰からこっそりとその様子を窺っていた彼の心は悦楽に浮き立った。
泣き崩れるかと思っていたMCは、しかしただぼんやりと二人を見つめるだけだった。
おそらく衝撃が大きすぎたのだろうと少々残念な気分で眺めていると、不意に、彼女がメフィストフェレスの方を見た。
彼は一瞬ぎくりとしたが、まさか、彼女がこの計画に気づくはずはない。きっと偶然だろうと思い直した。
彼女は何を見ているのか、どこか芒洋とした目でただこちらを見つめている。青ざめているかと思った顔は、頬が赤い。寒さのせいだろうか。
恋人の裏切りに傷ついているというよりは、むしろうっとりと夢見るようなその表情は、メフィストフェレスの心に強く焼きついた。
それ以来、MCが一人でいるところを見かけることが多くなった。ルシファーとMCの仲は脆くも壊れ、計画は上手く運んでいるのだとメフィストフェレスは満足げに微笑む。
次の一手は、傷心の彼女を慰め、こちらの手の内に取り込んでしまうこと。計画が成功した暁のルシファーの悔しそうな顔を想像すると、足取りも軽くなる。彼は一人でカフェテリアにいるMCを見つけ、さりげなく話しかけた。
「やあ、MC。久しぶりだな」
「メフィストさん!」
彼女は華やいだ笑顔を見せた。頬は淡く上気し、目は輝いている。期待していたほど落ち込んでいる様子は見られなくて、彼はまた少しがっかりした。しかしおそらくあえて元気に振る舞っているのだろうとすぐに思いなおした。
「以前新聞に載せた君のインタビューが結構好評でね。できればまた人間界の話を聞かせてもらいたいのだが」
「もちろん、わたしでお役に立てるなら」
拍子抜けするほど容易く彼女は心を開き、放課後新聞部の部室に遊びに来ると約束した。
全ては、計画通り。
メフィストフェレスが他の部員たちを言いくるめ人払いした部室に、MCはなんの警戒心も持たず、のこのことやってきた。勧められるままに提げてきた大きな鞄を下ろし、ソファに腰掛ける。
「紅茶でいいかな」
「あっ、よかったらわたしに淹れさせてください。バルバトスさんにお勧めの紅茶を分けてもらったんです。殿下のお気に入りだって」
彼は「殿下のお気に入り」という言葉に、昔彼と一緒に過ごした時間を懐かしく思い出した。
「……それなら、頼もうかな」
「任せてください。美味しい紅茶の淹れ方も教わってきたんです」
彼女は嬉しそうな笑顔で、持ち込んだ大きなカバンから紅茶の缶と小さなまるい瓶を取り出し、部室の片隅に設置されたコンロでいそいそとお湯を沸かし始めた。
彼はソファに座って待つことにした。
魔界には馴染みのない歌を口ずさみながら楽しげに紅茶の用意をするMCを眺め、やはり労働は人間の方がよく似合うと彼は思う。
やがて目の前で淹れたての紅茶がカップに注がれた。金色に近い液体が華やかな芳香を放っている。悪くない紅茶だ。
彼がカップを手に取ろうとすると、ちょっと待って、と止められた。
MCが丸い瓶からとろりとした黄金色の液体を匙ですくい、二つの紅茶にたっぷりと入れる。
「なんだそれは?」
「この紅茶に合うシロップなんです」
彼女がにっこりと答えた。
「あまり甘いものは好まないのだが」
「大丈夫、甘くはないですよ。ルシファーは時々デモナスに入れて飲んでます」
「そうなのか」
不愉快な男の名が出て、メフィストフェレスはつい眉を寄せた。不快な気分を誤魔化すように、カップを口に運ぶ。さすがバルバトスが勧めるだけあって、良い香りの紅茶だ。すぐに気分は良くなった。
一口飲んで顔を上げると、MCがじっと彼を見守っていた。
「悪くない」
たった一言で、ぱっと彼女の表情が明るくなった。
「よかった、飲んでもらえて」
MCはほっとした笑顔で自分のカップを持ち上げると、頬を染めながらメフィストフェレスを見つめる。
彼が微笑んで見せると、MCはますます頬を赤くして俯いた。
彼女の好意はもはやあからさまだ。
——全く、ちょろすぎるぞ人間の娘。
ルシファーの悔しがる顔がありありと浮かんで、メフィストフェレスは緩みそうになる頬を意識して引き締めた。
全ては順調、計画通り。——そう、思っていたのに。
「首尾はどう?」
突然思いがけない声がして、メフィストフェレスはぎくりと体を硬らせた。
いつの間に入ってきたのか、マディがドアの近くに立っている。
(こんな時に姿を現すなんて、なんのつもりだ、マディ)
彼は動揺した。
勝利は目前だと言うのに、下手をするとせっかくうまくいっていた計画がバレてしまう。彼がどうこの場を誤魔化すか忙しく頭を働かせていると、MCが朗らかな笑顔でマディに駆け寄っていった。
「お師匠さん!」
お師匠さん、だと?
状況が掴めず訝しげなメフィストフェレスに、マディは極上の笑みを向けた。
「そういえば紹介したことなかったわね、坊や。私の愛弟子、MCよ」
二人は親しそうに肩を寄せ合って彼に笑いかける。
「お師匠さんはね、ソロモン師匠が教えてくれないようないろんなことを教えてくれるの」
MCはそこで俯き、少しもじもじとためらった後で口を開いた。
「あのね、わたし本当はメフィストさんがお師匠さんに頼んだことを知っていたの。ルシファーとわたしを別れさせようとしたって」
メフィストフェレスはマディを見た。
彼女は悪びれる様子もなく、上機嫌な微笑を浮かべている。
裏切ったのか。
彼はぎりり、と歯を噛み締めマディを睨みつけた。
「マディ、貴様……」
「メフィストさん、誤解しないで。お師匠さんはわたしたちのことを思って教えてくれたの!あのね、ルシファーはわたしが他の魔物たちに絡まれないように恋人同士のふりをしていただけなの」
MCの説明を聞いて、メフィストフェレスは愕然とした。
なぜ気づかなかったのか。あのルシファーが人間の小娘に入れ上げるよりは、ずっとあり得そうな話ではないか。
七大君主のお気に入りに手を出すような愚かな魔物はそうそういない。
MCはメフィストフェレスの表情の変化に気づかないのか、うっとりとした表情で続けた。
「騙してまで手に入れたいなんて、そんなにメフィストさんがわたしのことを好きでいてくれたなんて知らなかった」
今、なんて?
一体何を言っているのだ、この人間の娘は。
「その話を聞いてから、ずっとメフィストさんのことを考えるとどきどきして」
MCは夢見るような表情のまま、そっと自分の胸に両手を重ねた。まるでそこに大切な宝物がしまわれているように。
「これがきっと恋だと思うの」
彼女はメフィストフェレスのよく知る言語を喋っていた。
それなのに、彼には彼女の言っていることが理解できない。
「すぐにでもメフィストさんに伝えたかったんだけど、お師匠さんが、こういう時は男の人から言ってくるのを待ったなきゃダメだって。でも、メフィストさんがわたしに話しかけやすいようになるべく一人でいるようにはしてたの」
「そ……」
メフィストフェレスはそんなバカな、と立ち上がろうとしたが、再び脱力したようにがくんとソファに沈み込んだ。
(何が起きている……?)
体に力が入らなかった。いつの間にか視界に薄い紗がかかったようにぼやけている。口から漏れる息が、やけに熱い。
「そろそろ効果が出てきたんじゃない?」
大魔女マディがその美しい顔に満足そうな笑みを浮かべた。魔界でも名を轟かせる美貌。その隣には可憐な微笑のMC。ああ、目の前に、ひどく蠱惑的な人間が二人もいる。
——人間が、蠱惑的だと?一体私はどうしてしまったのだ。
「い……一体、何を、飲ませた……」
かすかに残る正気をかき集めるようにして、メフィストフェレスはMCを睨む。だけど本当に睨んでいたのかわからない。彼女はまるで邪気のない笑顔で答えたから。
「ゴールドヘルファイアイモリ・シロップ。悪魔を骨抜きにする媚薬だって。人間だけに有効で……」
そこまで話してからMCははっとしたように慌てた。
「お師匠さん、すぐに部屋から出て。メフィストさんがお師匠さんのこと好きになったら困るから」
「あら、せっかくだから私も楽しませてもらおうと思ったのに」
「お師匠さん!」
慌てるMCを見て、大魔女は心底愉快そうに喉の奥で笑った。
「仕方ないわね、ここは可愛い愛弟子のお願いを聞いてあげることにしましょう。その代わり、後でじっくり報告を聞かせてちょうだい」
マディはそう言うと、チラリとメフィストフェレスに意味ありげな視線を投げてからすうっと姿を消した。
MCがメフィストフェレスの方へ一歩、二歩と近づいてくる。焦ったいほどにゆっくりと。ころん、ころん、と彼女が身につけているベルの音とともに。
「あの、わたしまだ男の人とお付き合いしたことがなくて」
MCは頬を染め、恥じらうように目を伏せた。
「お師匠さんに、好きな人とずっと仲良くいるためにはどうすればいいかって聞いてみたら、その……、一緒に気持ち良くなるのが、一番だって」
ふわふわとした髪、白くふっくらとした頬、なだらかな丸みを帯びた華奢な体。その全てがメフィストフェレスを誘う。彼女に触れたいという狂おしいほどの欲望が突き上げてきた。
「だけどわたし、自信がなくて。胸もその、小さいし、男の人とそういうことするのも初めてで、メフィストさんががっかりしてしまうんじゃないかと思ったら怖くて……それで悩んでいたら、お師匠さんがこのシロップのことを教えてくれたの。人間と悪魔が、一緒に気持ち良くなるシロップだって」
人間如きに、なぜこの私が。
彼のプライドは人間への欲情など決して許さない。
それなのに、彼の手は彼の意思を無視して人間の娘の方へと伸びる。自らの手の動きを視認していても、どうすることもできない。彼女が欲しくてたまらない。
——そうだ、一緒に気持ちよくなろう。
——たかが人間如きに。
相反する気持ちがぐるぐると入り混じって荒れ狂い、おかしくなりそうだ。
彼の手がMCに届くかと思われた瞬間、彼女は小さく身を引いた。
「あ、待って、メフィストさん」
そして小さな声で何か詠唱した。通気口から突然するすると蔦が伸びてきて、その蔓がメフィストフェレスの両手首に巻きつき、彼の両腕の動きを封じる。蔦は見た目よりずっと強く、どういうわけか彼の魔力を持っても引きちぎれない。
「な、なんだこれは」
「地下迷宮の蔦。仲良しなの」
MCは邪気のない笑顔で言った。
いつの間にこの小娘は迷宮まで使い魔にしたのだ?
ああ、そんなことはもうどうでもいい。
彼女が欲しい。
シロップの媚薬効果は強烈で、メフィストフェスは早々に情欲に抗えなくなってしまった。
「この手を離してくれ。早く君に触れたい」
どうせ端からそのつもりだった。彼女の心も身体も自分のものにして、ルシファーを悔しがらせるつもりだったのだから。ルシファーが実際には彼女の恋人ではなかったことも、もはやどうでもいい。
「だめ。最初に、わたしがメフィストさんを気持ちよくするの。メフィストさんがわたしから離れられなくなるぐらい」
一体誰に何を吹き込まれたのか。微かに疑問は感じたが、それでも彼女の言葉はひどく甘く響いた。
メフィストフェレスは身の置き所のない熱に浮かされ、体をよじらせた。
「それなら、早く……、早く来てくれ。おかしくなりそうだ」
「もう少しだけ待って、メフィストさん。ちゃんと準備しなくちゃ」
彼女はそう言うと、ここに持ち込んだ大きな鞄をゴソゴソと探り、やがて目の前のコーヒーテーブルの上に、ことり、ことりと何やら並べ始めた。
「どうすればメフィストさんを気持ちよくできるのか聞いたら、お師匠さんやアスモが色々教えてくれたの。こんなことで男の人が気持ちよくなるなんて知らなくって、びっくりしたけど」
ことり、ことり。
熱っぽく滲む視界で、彼女は不思議な器具を並べている。棒状のものや丸みのあるきのこのような形をしたもの、形状は様々だが、右に行くにつれ、その器具は大きく太くなっていく。
MCは一番左に置かれていた黒く小さな球が連なった棒状の器具を手に持ち近づいてきた。
一体何をするつもりなんだ。
本能的な恐怖を感じたメフィストフェレスは、ソファの上で後ずさろうとした。
「逃げないで、メフィストさん。このままじゃ辛いでしょう?」
MCは心から心配する表情でそっと手を伸ばす。
「……は……あっ」
彼女の手が膝に触れた途端に、そこからじわりと痺れるような快感が身体中に広がった。思わず目を閉じ、身をよじる。下腹部に溜まる重苦しい熱をなんとか逃がそうとしていると、かちゃかちゃという金属音が聞こえた。
目を開くと、MCがメフィストフェレスのベルトを外しているのが目に入った。
「何を……っ」
彼女の右手にある器具を警戒して足を動かして逃れようとすると、しゅるりと左右からまた別の蔦の蔓が伸びてきて、彼の両足首に絡みつく。そのまま蔦に両足を持ち上げられ、上体がソファからの背もたれから滑り落ち、尻を突き出すような体勢になった。
「暴れたら怪我しちゃう」
MCは咎めるように言うと、彼の両足の間に体をいれるようにして、また彼のベルトを外そうとした。右手に持つ器具が邪魔になったのだろう、彼女がそれをいったんテーブルの上に戻したので、メフィストフェレスはほっとした。彼女は空いた両手で躊躇なくベルトを外し、制服のスラックスのボタンを外し、ファスナーを下ろした。
すでに硬く立ち上がっていた屹立を押さえ付けていたものがなくなり、彼は開放感に思わず吐息を漏らした。
彼女はそのままスラックスと下着を強引に一緒に引き下ろした。下着から飛び出した昂りが腹を叩く。
MCが露わになった股間を見つめ、コクリと小さく喉を鳴らした。
「たの……、頼む、MC、触ってくれ」
メフィストフェレスはなりふり構わず懇願した。早くこの苦しさから解放して欲しい。
「待って、これが邪魔で」
MCは必死にメフィストフェレスの腰のあたりで止まっているスラックスと下着をさらに引き下ろそうとしている。彼女の上体が両足の間にあるせいで、それ以上引き下ろせないことに気づくと、一旦体を引き、メフィストフェレスの足を閉じさせ、一気に足首のあたりまでずらした。
「ひっ」
蔦の蔓が今度は剥き出しになった腿に巻きついてきた。そのざわざわとした感覚にメフィストフェレスの口から短い悲鳴のような声が溢れる。MCがスラックスと下着をすっかり抜き取った後で、蔦は容赦無く彼の両足を左右に開かせた。内腿を蔦の小さな葉が掠めるたび、その刺激がさらに彼を追い詰める。
「MC、MC、早く、してくれっ……」
剥き出しの下半身をMCの眼前に晒しながら、メフィストフェレスはたまらず身を捩り、腰を揺らす。自分がどんなに無様な有様かということは頭の片隅で理解できていた。だけどどうすることもできない。
彼女に触れたい、触れて欲しい。
MCの手がメフィストフェレスの下腹部に伸びてくる。
彼はやっとこの重苦しい熱から解放されると思った。
ところがいつまで経っても待ちかねた刺激は与えられない。彼女は指でメフィストフェレスの腹に何か描きながら聞いたことのない呪文を詠唱している。
彼女の指がもどかしい刺激を伴って腹の上を滑る。それなのに、一番触れて欲しいところには触れない。
「MC、頼むから、もう焦らさないでくれ」
メフィストフェレスは泣きながら懇願する。
MCは真剣な顔で詠唱を続けた。
やがて腹の奥が温かくなり、軽くなるような不思議な感覚があった。
MCはふう、と一仕事終えたような笑顔で息をつき、額の汗を拭った。
「準備完了」
「一体、何を……」
「アスモが教えてくれた、お腹の中を空っぽにする魔術」
わけがわからない。でもそんなことはどうでもいい。どうでもいいから。
「MC、早く……」
「もうちょっと待って……」
MCは今度は自分の右手の人差し指と中指にたっぷりと小瓶の中のシロップを塗りつけた。
メフィストフェレスは涙を浮かべた目でその指を追う。今度こそ、待ちかねた刺激が与えられると期待したのに、その指はなぜか尻の方へいった。
「MC、何を、ふ……うぐぅ……」
メフィストフェレスの尻は、さしたる抵抗もなくMCの指を迎え入れた。
つぷん。ぬるり。自分の中で蠢く彼女の指がもたらす初めての感覚に、メフィストフェレスは震えた。最初ただの違和感だと思ったそれはすぐに別の感覚をもたらし始める。彼がもどかしさに腰を揺らし始めてからそれほど時間をかけずに、彼女の指はより強烈な快楽をもたらす場所を探り当てた。
「はあっ」
メフィストフェレスの体が大きく跳ねる。
MCは、さっき紅茶を褒められた時と同じようにぱっと表情を輝かせた。
「気持ちいい?メフィストさん!嬉しい、わたし、もっと頑張る!」
もう何も考えられない。ただ、与えられる快楽を受け入れ、流されるしか術はない。
メフィストフェレスは絶え間なく声をあげ、腰を激しく揺らし、それほど時間をおかずに吐精した。快感は長く続き、彼の体はがくがくと震え続けた。
ぐったりと疲れ果てているはずなのに、少しも体の熱は引かない。
「MC、MC……、もっと」
理性などかけらも残っていない。メフィストフェレスは涎をたらし、腰を揺すりながらMCに懇願する。
「うんと気持ちよくしてあげる」
MCは嬉しそうに、さっきの黒い器具を手にとった。
誰かが喚いている。
またメフィストフェレスの体の中で大きな快感が弾け、彼は掠れた悲鳴のような声をあげた。それでやっと喚いていたのは自分なのだと認識した。意識は朦朧としていて、それなのに腰の奥だけがまだ熱を持っている。
机の上に並べられていた器具は全てシロップと彼の体液にぬらぬらと濡れ、一番右側に置かれていた器具が、今、彼の尻におさまり、機械的な振動を繰り返していた。とうに空になったシロップの瓶が、並ぶ器具の横に転がっている。
「もう……」
指一本動かせない。解放されたい。それなのに体の中の熱はまだまだ貪欲に快楽を求めようとする。
「なあに?」
MCがメフィストフェレスの掠れた声を聞き取ろうと耳を寄せてきた。
「もう、これを抜いてくれ……頼む……」
MCは困り果てた顔になる。
「だって、メフィストさんのお尻が抜かせてくれないんだもん。きゅうきゅうに絞めてて」
メフィストフェレスは屈辱に顔を歪める。
全て、媚薬のせいだ。
「シロップの効果はどれぐらい続くんだ……」
「時間が経てばなくなるけど、人によってまちまちで、200年ぐらい続いた悪魔もいるって」
「に、200……」
「でもね、契約しているマスターの言うことを聞けば効果はなくなるって。メフィストさん、誰かと契約してる?」
「……してない……」
メフィストフェレスは絶望的な気持ちで答えた。
MCは同情を込めた表情になった。
「時間が経てば効果は切れるはずだけど……よかったら、わたしと契約する?」
「じ……あ……、ああ」
冗談じゃない、と答えようとしたが、尻の中で繰り返されていた無機質な振動に、いつの間にかまた新たな快楽の高みへと引きずられていく。
途切れ途切れに震えるような悲鳴ににた声をあげながら、メフィストフェレスはまた昇りつめた。
「頼むから、もう、これを抜いてくれ」
「だってメフィストさんのお尻がきゅうきゅうに……」
「言うなッ……う、ううっ……」
びくびくと絶頂の余韻に体を震わせるメフィストフェレスを覗き込むようにして、MCはもう一度尋ねた。
「契約、する?」
「うう……契約、します……」
メフィストフェレスが泣きながら口にした途端、二人の間に赤い円形の紋様が浮かび上がり、契約はあっけなく完了した。
「マスター……、どうか、命令を……」
「命令……」
MCは少し考えると、恥ずかしそうに言った。
「メフィストさんの口から、わたしのことが好きだって聞きたいな……なんて。まだ言葉で聞いてなかったから」
「……君のことが好きだ、MC……」
メフィストフェレスの体からあの狂おしいような熱が引いていった。
「う、うう……」
「わたしもメフィストさんが大好き」
MCは頬を染め嬉しそうな笑顔で、泣き崩れるメフィストに寄り添った。
数日間の欠席ののち、やっとRADに登校したメフィストフェレスに真っ先に声をかけてきたのは、意外なことにルシファーだった。
「お前がこんなに長く休むなんて珍しいな。体調でも崩したのか」
「うるさいな。お前には関係ない」
「関係なくもないだろう。お前は俺の大切な妹分の恋人だ」
メフィストフェレスは驚いてルシファーの顔を見た。
微笑を浮かべた彼は、メフィストフェレスとMCの関係を歓迎しているようにさえ見える。
「あいつは恋愛体質というか、男ができると周りが見えなくなる傾向がある。下手な人間や天使に興味を持たれるよりは、お前と一緒にいてくれた方がこちらとしても安心だ。それに、お前が魔界の住人であることも都合がいい」
ルシファーが不敵な笑みを浮かべた。
——こいつはもしかして、初めから全てを知っていたのか?
メフィストフェレスが言葉をなくしていると、コロコロというベルの音が聞こえてきた。その忌まわしい音に、聞き馴染みのある朗らかな笑い声が重なった。
「MC、嬉しい気持ちはよくわかるが、そんなに引っ張らないでおくれ」
ディアボロ殿下が、MCに腕を引っ張られながら苦笑している。
「メフィストさん!あっ、ルシファーも」
MCはメフィストフェレスを認めると、花が咲くように満面の笑みを浮かべた。
「メフィスト!驚いたな、君のことだったのか」
殿下が驚いた表情になる。
状況が把握しきれないメフィストフェレスに、MCは無邪気な笑顔で説明した。
「殿下にね、好きなひとができたら教えるって約束していたの!」
殿下が屈託なく笑った。
「君なら安心だ、メフィスト。ルシファーの妹分なら、私にとっても妹のようなものだから、ちょっと心配してたんだよ。ねえ、ルシファー」
ルシファーは同意するように微笑んだ。
殿下はメフィストフェレスの肩に手を置くと、真っ直ぐに彼の目を見て微笑む。
「どうか、大切にしてやっておくれ」
メフィストフェレスはなすすべもなく立ち尽くした。
全ては。
——全ては、計画通り?
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