王子様とわたし   第七話 


 赤のキングで妄想してみた その1 王子様とわたし  第七話


 ドアを開けたハールは、シリウスの顔を見た途端顔色を変えた。

「何かあったのか」

「あー、いや。落ち着いてくれ。ランスから連絡はない。ちょっと相談があってな」

 ハールは体をずらすようにして、シリウスを家に招き入れた。

「お前は宣言通り、家にいたんだな」

 二日前、ランスロットと二人でシリウスを訪ねてきたとき、ハールはしばらく家にいることにする、と宣言した。何かあったときにすぐ連絡がつくように、という意味だ。

 彼なりにランスロットを心配してのことだと、二人ともわかっていた。

 本人は認めないだろうけれど。

「ここしばらく休みをとっていなかったからな」

 意地っ張りなハールらしい返答に、シリウスは声を立てずにそっと笑った。

「シリウスさん、いらっしゃい」

 キッチンにいたアリスが出てきて、笑顔で迎えてくれた。

 アリスが昨日焼いたというパウンドケーキと、紅茶がテーブルの上に並んだ。

 お菓子屋さんで働いていたというアリスのケーキはいつもさすがの美味しさだが、なぜかどのケーキにも、アプリコットが山のように入っている。

 旬の紅茶は、薔薇のように華やかな香りがした。

「それで、今日はどうしたんだ」

 紅茶の香りに気を取られていたシリウスはハールの声にハッとした。

 ハールの家では、ついうっかり寛ぎ過ぎてしまう。

「預かったお嬢ちゃんが、ずいぶんランスを心配しているようだ。今朝は、昨日よりはよく眠れたみたいだったが……、レイとセスの話では、昨夜、部屋で一人で泣いていたらしい」

 ハールとアリスが揃って眉を寄せ、シンシアを思いやるような表情を見せた。

「みんながいるところでは元気そうに見えたからうっかりしていた」

「シシィはガーデンであった時からそうでしたね」

 アリスが微笑んだ。

 彼女はみんなの心配そうな顔に気付くと、慌てて笑顔を見せようとした。

 シリウスも、それを覚えていた。

「優しい子だ。だから、せめて彼女がもう少し安心して待っていられるように、ランスの現状を教えてやれないかと」

 ハールは考えながら口を開いた。

「俺が魔法で兵舎に潜り込むのは容易いが、刺客と戦っている赤の軍の兵士たちを撹乱してしまう恐れがある」

 それはシリウスも十分考えたことだった。

 ハールもシリウスも黙り込んでしまった。

 アリスが遠慮がちに口を開いた。

「あの……手紙でも、なんでもいいんです。無事なことさえわかれば、待っている方はずっと心が楽になると思うんですけど……」

 ハールはアリスの方をみた。

「そうか……直接行かなくてもいい。手紙なら、なんとかなるかもしれない」

 ハールは立ち上がると、棚に並んでいた木彫りの小物から、白い小鳥らしきものを取り上げた。慎重に触り、触った手を確認する。

「うん、乾いているな」

 テーブルに戻り、小鳥をテーブルの上に乗せた。

「これを使う」

 ハールは魔法石を取り出し、小鳥に手をかざした。小鳥は白く淡い光を纏い、本物の小鳥のようにふさふさとした羽毛に包まれた。大きさも、木彫りの時は掌にのるサイズだったのに、今は鳩ぐらいの大きさになっていた。

 アリスは両手を口元に当て、目を輝かせて見つめている。

「シリウス、ランスロットに伝えたいことを手短に」

「お嬢ちゃんが心配している。俺たちもだ。可能なら現状を知らせてくれ」

 ハールの指示に従って、シリウスはすぐにランスロットへのメッセージを口にした。

「頼んだぞ」

 ハールがそっと鳥に言うと、鳥は応えるように羽ばたいた。

 ハールの魔法で勢いよく開けられた窓から、元気に飛び立っていく。

「すごい……!あんな魔法、私見るの初めてです」

 アリスが感激しながら、輝くような笑顔を見せた。

 ハールは目を細める。

「俺も初めて見た」

 シリウスも驚きを隠さなかった。

「俺も試すのは、初めてだ」

「えっ、おい、大丈夫か?」

「いくつかの簡単な魔法を組み合わせただけなんだ。一つ一つの魔法は何度も使って慣れているものだ」

 ハールはどこか楽しそうな表情を浮かべていた。

「お前は根っからの魔法学者だな」

 シリウスが笑った。

 赤の兵舎のランスロットの私室には、部屋の主人の他に、カイルとヨナ、そしてエドガーがいた。

 ランスロットはこの2日間、部屋から外に出ていなかった。

 表向きには、彼は危篤状態が続いており、主治医のカイルが付き添っていることになっている。ヨナは護衛だった。

 この配置は、赤の軍最弱のカイルを警護すると言う意味でも都合が良かった。

 ランスロットは椅子に腰掛け、エドガーの報告を聞いていた。

「目撃情報があったジェーン・ドゥ並びに厩番として潜り込んでいた一名、倉庫に潜んでいた不審者を一名確保しました。隊員の方は、一昨年入隊した2の隊のリンツ、昨年入隊した5の隊のマクダネル、9の隊のマテウス。今年入隊のフライシュ、ソーン、スコット。以上がクローディアスが送り込んだ者だということが判明しました」

 ヨナが驚愕の表情になる。

 ランスロットは表情を変えなかった。

「6名とも本人か?」

「ソーン、スコットは本人であることが確認できています。家ぐるみクローディアスに抱きこまれていました。本物のフライシュは外国で病気療養中。リンツ、マクダネル、マテウスについては、本人でないことは判明していますが、本物の3人の消息については不明です」

 ランスロットが微かに眉をひそめた。

「おそらく偽物を締め上げれば判明するでしょう。現在彼らにはカイルの処方した睡眠薬で、監視の元、眠ってもらっています」

 ランスロットはひょいと眉を上げ、カイルを横目で見た。

 患者の治療以外に医療を利用するのを嫌うカイルにしては、珍しいことだった。

「背に腹は変えられねえ」

 カイルは不機嫌そうな顔でランスロットに言った。

「カイル“先生”の判断で彼らは命拾いしました。この非常事態です。眠ってくれなければ、あとは順に切り捨てていくしかありませんから」

 エドガーは穏やかな笑顔で物騒なことを言った。

 カイルは無言でエドガーを睨んだが、エドガーは涼しげな表情でそれを受け止めると、報告を続けた。

「叔父は屋敷にはおりませんでした。しかしセントラル地区のフラットに隠れ家があり、そこに4名の手下と共に潜んでいることを確認しました」

「……そうか」

「それでは、ただいまより叔父クローディアスの討伐に向かいます」

 ヨナが神妙な表情になった。

「エドガー、ゼロを連れて行け」

 ランスロットの言葉に、エドガーは首を傾げて見せた。

「俺一人で十分ですよ?」

 ランスロットは表情を和らげた。

「お前のことは信用している。あいつに師匠の背中を見せてやれ」

 エドガーは意表を突かれたように目を見開いたが、すぐに再びいつもの読めない微笑を浮かべて、一礼した。

「仰せのままに」

 ランスロットは、かすかな惻隠の情を浮かべながら、エドガーの背中を見送った。

「ヨナ、お前は少し休め」

 ランスロットはエドガーを送り出すと、ヨナに声をかけた。

「いえ、俺は大丈夫です」

 ヨナは姿勢を正す。

「昨夜から寝ていないだろう。交代だ。俺のベッドで我慢してもらうことになるが」

「えっ、そ、そんな恐れ多い……」

 ヨナが赤くなったり青くなったりしていると、窓を叩く音がした。

 見ると、白い鳥が羽ばたきながら窓を突いている。

 普通の鳥はなかなかしない行動だ。

「下がってください、我が主」

 ヨナが警戒してサーベルに手をかけた。

「……ハール?」

 鳥を凝視したランスロットは、訝しげにこの場にいない旧友の名を口にした。

 鳥には、魔力を持つものが見れば一目でハールの仕業だとわかるように、例えるなら画家のサインのような魔法が施されていた。

「ヨナ、大丈夫だ。窓を開けてやってくれ」

 ヨナが窓を開けると、白い鳥はまっすぐにランスロットの元へ飛んできて、机の上に止まった。翼は白く美しいが、一見何の変哲もない普通の鳥が、黒いつぶらな瞳でランスロットを見上げた。

 そして突然シリウスの声で喋った。

『お嬢ちゃんが心配している。俺たちもだ。可能なら現状を知らせてくれ』

 ランスロットは思わず椅子を鳴らしながら鳥から体を引いた。

「ハール……あいつはまた、妙な魔法を……」

 研究者気質と言うべきか。ハールは学生時代から時折、ランスロットが考えもしないような凝った魔法の使い方をして、彼を驚かせた。だからこそ齢14にして魔法の塔の特別研究生になれたのかも知れないが。

 ヨナも傍で顔をしかめて鳥を見ていた。彼は黒のクイーンと少し相性が悪い。

「すげーな、さすがジョーカーだ」

 カイルだけは目を輝かせ、無邪気な感想をもらした。

 ランスロットはため息をつくと、手元の引き出しから便箋を出し、さらさらと短い文章を綴った。封筒に入れ、封をする。そして目の前でじっとしている白い鳥を見て、ふと何かを企むように微笑んだ。

「このクチバシでは心許ないな」

 ランスロットは鳥に手をかざしながら、何かを呟いた。

「ヨナ、もう一度窓を開けてくれ」

 ヨナが窓を開けると、鳥は少し大きくなったクチバシにランスロットの手紙をしっかりくわえ、再び元気に飛び立っていった。

「おっ、帰ってきたぞ」

 新しく紅茶を入れ直しのんびりと語り合っていた3人は窓を開け、封筒をくわえた白い鳥を招き入れた。

 ハールは封筒を受け取ると、少し拗ねたような声で言った。

「クチバシが大きくなっている。やるな、あいつ」

「お前ら一体何の勝負してんだよ、この負けず嫌い」

 シリウスは笑いまじりで呆れたように言うと、ハールの持っていた封筒を覗き込む。

 アリスも封筒を覗くと、嬉しそうな声を上げた。

「シシィ宛だわ!よかった」

 封筒には整った筆跡で、シンシアの名前とランスロットのサインがあった。

『生きている。心配するな』

「うわっ」

 白い鳥が突然ランスロットの声で喋ったので、封筒に気を取られていた3人は、揃って驚きの声を上げた。

 白い鳥は、まるで躊躇うような間を置いてから、再びランスロットの声で『世話をかける』と呟いた。そしてそれを最後に、白い淡い光の中で再び元の木彫りの姿に戻り、ことん、とテーブルの上に転がった。 

 シリウスとハールはお互いに顔を見合わせ、笑みを交わした。

 アリスもそんな二人を見つめ、嬉しそうな微笑みを浮かべていた。

 シンシアは談話室で本を読んでいた。

 談話室には、ルカもいた。

 シンシアは兵舎の中を自由に動き回って良いと言われていたが、シリウスは必ず誰か幹部を一人、護衛につけてくれているらしい。昨日はフェンリル、今日はルカ。

 ルカと言葉を交わすことはほとんどなかったが、彼は今日はずっとシンシアのそばにいてくれた。

「お嬢ちゃん、ここにいたのか」

 開けられたままのドアから、シリウスが顔を覗かせた。

「ごめんなさい、もしかして探されましたか?」

「いや、いいんだ。ランスからの手紙を預かってきた」

 シリウスの言葉に、シンシアは勢いよく立ち上がった。膝の上に広げていた本が落ちて、慌てて拾う。

「すみません」

「落ち着け、お嬢ちゃん。手紙は逃げねえ」

 シリウスは苦笑しながら、シンシアに手紙を手渡した。

 シンシアはルカが手渡してくれたペーパーナイフで封を切ると、早速手紙を開いた。

 それは端正な文字で綴られた、便箋一枚にも満たない短い手紙だった。ランスロットも軍のみんなも無事なので心配いらないこと、そしてシリウスのそばはランスロットが知る限り一番安全な場所なので、安心するように、ということ。最後に、1両日中には全て方が付き、迎えに行けるはずだ、ということが書かれていた。

 シンシアはランスロットの無事がわかり、心から安心した。

「軍のみんなもランスロット様も無事だそうです」

 シンシアは隣のルカに笑顔でそう伝えた。そして正面のシリウスに向き直る。

「ありがとうございます、シリウスさん」

「ハールとアリスにもその笑顔を見せてやりたいな」

 シリウスはそう言うと、シンシアにこの手紙をどうやって手に入れたか説明した。

 ハールの鳥の魔法の話を聞くと、シンシアは目を輝かせた。

「シリウスさんのそばは、ランスロット様が知る限り一番安全な場所だから安心するようにって」

 シンシアは、ランスロットが彼女をシリウスに預けてくれたことが有難く、嬉しかった。そしてそれをシリウスにも伝えたかった。

 だが突然シリウスの顔から笑みが消えてしまった。

「そうか」

 シリウスは真顔のまま、手に持っていた包みを差し出した。

「これはアリスからのお土産だ。きっと大丈夫だから、甘いものでも食って元気出せって」

「ありがとうございます」

 シンシアはシリウスの微笑みが消えたので、何か良くないことを言ってしまったのかと不安に思いながら包みを受け取った。

「多分シリウスはすごく嬉しいだけだから大丈夫」

 隣のルカがボソッと言った。

「シリウスはその時の自分の気持ちを隠そうとすると、不自然に真顔になるんだ」

 ルカは、シンシアが初めてみる優しい微笑を浮かべた表情でシンシアに説明してくれた。

「滅多に見れないけどね」

「ルカ、恥ずかしい解説しないでくれ」

 シンシアは困ったような顔のシリウスを見て、つい微笑んでしまった。

「ケーキ食べるんでしょ。珍しい物を見せてもらったお礼にお茶を入れてあげる」

 ルカが談話室にあるティーセットに向かった。

「アプリコットたっぷりのパウンドケーキだ」

 シリウスが少し居心地悪そうな顔で、ケーキの説明をする。

「ふふ。きっとハールさんが、アプリコットお好きなんですね」

 シリウスはシンシアが何気なく言った言葉を聞いて、やっと腑に落ちたような表情になった。

「そうか、それで彼女のケーキにはいつもアプリコットがたくさん入ってるのか。……そういえばハールは甘酸っぱいものが好きだった」

「素敵なお二人ですね」

 シリウスは同意するように、穏やかな微笑を浮かべた。

 それからのシンシアは、黒の兵舎で泣くことも落ち込むこともなかった。不安がまた頭をもたげてきた時は、ポケットの中に忍ばせたランスロットの手紙に触れてみる。それだけで、安心できた。

 彼女の黒の兵舎での時間は、その後も、賑やかに、穏やかに過ぎていった。黒の兵舎は「賑やか」と「穏やか」がバランス良く共存する、不思議な場所だった。

 白い鳥がランスロットを訪ねてきた日からさらに二日程経った夜。

 赤の兵舎の執務室では、ランスロットが4日ぶりにキングの席に座り、エドガーの報告を聞いていた。

 ランスロットの傍には、変わらずヨナが控えている。部屋にはゼロとカイルもいた。皆疲労を隠し切れないでいるが、清々しい表情だった。

 赤の軍と兵舎の全使用人をあげて行われた、『大掛なネズミ退治』がやっと完了したのだった。

「兵舎に紛れ込んでいたクローディアスの手の者は全て排除いたしました。クローディアス本人及びセントラルに潜んでいた一味は全て収監され、関連する手続きも終了しました。報告は以上です」

「ご苦労だった。ヨナ、使用人たちに警戒体勢を解除し通常業務に戻るように伝えろ……彼らを労ってやってくれ」

「はっ」

 ヨナがランスロットの命を受け、執務室を出た。

 エドガーはランスロットに対し、深々と頭を下げた。

「我が身内による不祥事を深くお詫び申し上げます」

「顔を上げろ、エドガー。お前が背負う必要のないことだ」

 エドガーは顔をあげた。

 ランスロットは労わるように、微かに眉を寄せた。

「辛い仕事をさせた」

 エドガーの表情がかすかに揺れた。しかし彼はすぐにいつも通りの読めない微笑を取り戻した。

「いいえ、我が主。これは俺が遂行すべき仕事でした。……ありがとうございました」

 エドガーはもう一度頭を深く下げた。

 エドガーの後ろにいたゼロとランスロットの目があった。

 ゼロもまた、微かな微笑を浮かべ、ランスロットに深々と頭を下げた。

 カイルはただ静かにエドガーとゼロを見つめていた。

「ご苦労だった。ゆっくり休んでくれ」

 言い終えるが早いか、ランスロットは立ち上がった。

「何だよお前、どっか行くのか?」

 カイルが不思議そうに尋ねた。

「黒の兵舎だ。迎えに行く」

「今から?」

 カイルが驚いて時計を確認した。

 聞いていたエドガーとゼロも目を丸くして、顔を見合わせた。

 馬車をどんなに飛ばしても、黒の兵舎に着く頃には夜中だ。

「明日にした方がいいんじゃねーの?」

「黒の軍にこれ以上借りを作りたくない」

 ランスロットはそう言い捨てると、スタスタと部屋を出て行った。

 3人が何となく顔を見合わせていると、ヨナが不可思議そうな表情を浮かべながら戻ってきた。

「ヨナさん、どうかなさいましたか?」

「うん……」

 ヨナは確認するようにもう一度今自分が歩いてきた廊下を見た。

「今、廊下を走るランスロット様とすれ違った気がする……疲れてるのかな、やっぱり」

 我が主が廊下を走るわけないよね、とヨナは幻覚を見たのだと結論づけた。

 ゼロ、エドガー、カイルの3人は無言のまま再び顔を見合わせた。

「まあ、魔法さえ使わなきゃいいさ」

 カイルが愉快そうな声で言った。

 シンシアは机に向かって座り、ランスロットからの手紙を読み返していた。

 黒の兵舎に来てから4日、手紙を受け取ってからもうじき2日。彼女のもとにはまだ何の情報も入ってはこない。

(いつまで、こんな状態が続くのかな……)

 ランスロットは無事なのだろうか。赤の軍のみんなは。

 突然廊下をバタバタと駆ける慌ただしい足音がして、彼女は顔をあげた。

 にわかに部屋の外が騒がしくなる。

(もう消灯時刻もとっくにすぎてるのに、どうしたんだろう?)

 シンシアは読み返していた手紙をポケットにしまうと、様子を伺うために廊下に出てみた。

「あら!シシィちゃんちょうどよかったわ。呼びに来たところだったの。お迎えが来たわよ」

「お迎え?」

 嬉しそうに笑うセスに連れられ、わけのわからないまま玄関まで行くと、レイをはじめ、黒の軍の幹部たちが勢ぞろいしていた。一般の兵士たちも何事かと集まってきている。彼らの視線の先には、制服姿のランスロットがいた。

 ランスロットはシリウスと何か話していた。

「ランスロット様!」

 シンシアは、まっすぐにランスロットに駆け寄った。

 だけど駆け寄ったものの、言葉が出てこなかった。

「お嬢ちゃん……」

 振り向いたシリウスはシンシアの顔を見て驚いた後、困ったように微笑んだ。

「何を泣いている」

 ランスロットはシンシアの泣いている理由が本当にわからないという顔だ。

「お前が無事で安心したんだよ。……よかったな、お嬢ちゃん」

 シリウスの優しい声にも、返事ができない。

 無事を喜びたいのに、言葉が出てこない。

 ランスロットは無言のままだらだらと涙を流して泣くシンシアを見つめていたが、小さくため息をつくと、突然シンシアを抱き上げた。子供をあやすように、背中を優しく叩く。

「俺はそう簡単にくたばりはせん」

 シリウスは心底驚いたかのように目を丸くした。

 シンシアは何も考えられず目の前のランスロットの首に縋り付くようにして泣いた。

 ランスロットの体温が、彼がちゃんと生きている証のように感じられて、ただ嬉しかった。

 初めて会った時もそうだった。

 ランスロットの腕の中は、見かけよりずっと温かい。

「……少し痩せたんじゃないか。ちゃんと食わせていたのか?」

 ランスロットは眉を寄せ、シリウスを見る。

「いや、人並みには食べていたと思うが」

「人並み?こいつは手品のように食うぞ」

「て、手品……?」

「この小さな腹に到底収まるとは思えない量がスルスルと入っていく」

 ランスロットは真顔で言った。

「……深窓の令嬢だから、口に合わなかったのかも」

 二人のやりとりを聞いていたルカがボソリと言って、考え込む。

「……ルカ、ひょっとしてお前まだそのガセ信じてたの?」

 フェンリルの呆れた声がしたが、考え込むルカには聞こえない。

「もっと味付け工夫してみればよかった」

「ルカのせいじゃないと思うわよ。ほら、前にフェンリルが捜査で3日ほど帰ってこなかった時、シュシュがあんまりご飯食べなくなっちゃったでしょ。あれと一緒じゃないかしら」

 セスは柔らかい微笑を浮かべ、ランスロットを見た。

「ご無事で何よりだわ、赤のキング。こんな子が悲しむところは見たくないもの」

 ランスロットはセスを見ると、訝しげに眉を寄せた。

 レイが面白そうに付け足した。

「そうだな。お前が無事で本当によかったよ」

「俺もあんたが無事で嬉しい」

 フェンリルもすかさず笑顔で参加した。

 ランスロットの眉間のシワがますます深くなる。

 シリウスが喉の奥で笑った。

「なんて顔してんだよ、ランス。俺たちはただ、お前の無事を喜んでるだけだ」

 ランスロットは何か言いかけるように口を開いたが、何も言わずにまた閉じた。そして再び居心地悪そうに微かに眉を寄せた。

「……世話をかけた」

「どういたしまして。……俺たちは、もう敵じゃないんだ」

 レイが微笑んだ。

 ランスロットはレイに目礼すると、シンシアを抱えたまま踵を返す。

「あ、おい、ランス、ちゃんとハールにも連絡しとけよ」

 ランスロットは一瞬足を止めたが、何も言わず出て行った。

 それでもシリウスには彼が了承したことが伝わった。ほっと息をつくシリウスの肩を、フェンリルが拳で軽く叩く。 

「っんだよ、シリウス。赤のキングの女なら最初っからそう言っとけよ」

「あー、あれやっぱりそうなの?」

 ランスロットが出て行った途端に眠そうな顔になったレイが、今し方ランスロットが出て行ったドアを眺めながら言った。

「どう見てもそうだろ」

「……意外なタイプだったな」

「あら、結構お似合いじゃないかしら」

 勝手なことを言う仲間たちと笑いながら、シリウスは内心の動揺を押し隠していた。

 シンシアがランスロットにほのかな思いを寄せているらしいことは、シリウスにも一目瞭然だった。そしてそれは、それほど不思議でもなかった。シンシアのような素朴な女の子がランスロットに憧れることは、学生時代からよくあったから。

 ランスロットはそれを気に留めることもなかったが。

 だけど、ついさっきシンシアを抱き上げたランスロットは、やけに優しい目をしていた。

 ――あいつ、あんなことする奴だったっけ?

 シリウスは、疑問と驚きを隠しきれない表情で、ランスロットの出て行ったドアを眺めていた。

「そう泣いてくれるな」

 揺れる馬車の中、ランスロットの穏やかな声がした。

 ランスロットは抱えたシンシアの背中をあやすように叩いている。

 シンシアの涙はなかなか止まらなかった。

 だけどランスロットはシンシアを厭うことも咎めることもなかった。

「心配をかけて悪かった」

 小さな声で呟いたランスロットは、少し苦い微笑を浮かべた。

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