調教師とわたし


赤のキングで妄想してみた その3 天使or悪魔イベント補完ショート


 もう春はすぐそこだというのに、風が寒そうな音を立てて窓を叩く。

 消灯後、シンシアはランスロットのリクエストでジンジャーミルクティーを届け、そのまま彼の部屋で過ごしていた。

 暖炉の火が、柔らかく部屋を照らしている。

「魔法のトランプですか?」

 シンシアはランスロットの手の中にあるカードの束を眺めた。

 カードは、天使と悪魔の絵が描かれた裏面を上にして重ねられていた。

「うかつにめくるなよ。魔法にかかるぞ」

 何気なく一番上のカードをめくってみようとしていたシンシアは、慌ててその手を引っ込めた。

 耳元で、ランスロットが小さく笑う気配がする。

 ランスロットは子供に絵本を読み聞かせるように、シンシアを膝の上に座らせていた。

 暖かな腕に包み込むように抱かれ、シンシアは天使の羽に守られているかのように安心しきっていた。

 彼女はランスロットの胸にもたれるようにして彼の顔を見上げた。

「どんな魔法にかかってしまうんですか?」

「赤のカードをめくると、その人の天使の部分が引出され、黒のカードをめくると、悪魔の部分が引出される」

 一体どんな時に使うのだろう。パーティーグッズか何かだろうか。

 シンシアはこっそり首を傾げた。

「巷の恋人たちの間で流行っているらしい」

「あら」

 シンシアの意外そうな声を聞いて、ランスロットがまた笑った。

「わからないか?」

「……恋人に、天使みたいに優しくされたいって気持ちはわかるような気もしますけど……」

 ランスロットはいつも優しいので、シンシアには必要ないが、中にはそんな恋人たちもいるかもしれない。

 でも、黒いカードは一体どんな恋人たちが使うんだろう。

 そういえば親友のブリジットが、そういう「特殊な趣向」を持つ人間もいるのだと教えてくれたことがある。だけど極々少数だろうと思っていた。

 もしかしてクレイドルには、そんな特殊な恋人たちが結構たくさんいたりするのだろうか。

 シンシアは眉を寄せた。

「お前の思考はわかりやすいな」

「えっ」

「世の中の人間が皆お前のように分かり易かったら随分気楽だろう」

 決して褒めているわけではないことは、シンシアにもわかる。

 だけどそっと見上げてみると、ランスロットは殊の外優しげな表情でシンシアを見つめていた。

 なんだか気恥ずかしくなってしまい、また視線をトランプに戻す。

 背中越しに、ランスロットが小さく笑った気配が伝わった。

「シンシア」

 彼が頬を寄せるようにして耳元で名前を呼ぶ。

 ただ、それだけで。

 体のずっと奥の奥の方に、小さな火がぽっとともる。

 ランスロットだけがともすことのできる、小さな火。

 彼は、時折シンシアの体に起きる、この小さな変化でさえお見通しなのだろうか。

「お前の好きなカードをめくってやろう」

 ランスロットの思いがけない言葉に、シンシアは確認するように彼を見上げた。

「どちらでも、お前の好きな方を」

 どこか艶っぽい微笑を向けられ、シンシアの頬が熱を持つ。

「……でも、ランスロット様は、いつだって天使のようにお優しいです」

 その身を投げ出すようにして、国を守った人。

 ランスロットはいつだって、クレイドルの、赤の軍の、そしてシンシアの守護天使だ。

「ほう。お前はそう思うのか」

 ランスロットは意外そうに呟いた。大きな手が、そっとシンシアの右手を包み込む。手を重ねるようにして、ランスロットの指先が手の甲を滑り、チリチリと微かに痺れるような感覚が駆け上った。

 さっき灯った小さな火が、いつの間にか少し育ち、シンシアの体を内側から温めはじめている。

「では黒いカードをめくってやろうか?」

「え……」

 シンシアの瞳が心細げに揺れた。

 ランスロットの中の意地悪な悪魔。

 それを、彼女は知っている。

 こくり、と小さく喉がなった。

「……ふ。全く、俺が天使だなどと」

 彼女の心を読んだように、ランスロットは小さく笑った。

「昨夜もお前を散々泣かしただろうに」

 シンシアの手を包み込むように重ねられた大きな手。

 長くしなやかな指が、滑るようにしてシンシアの指の間に差し込まれた。

 見覚えのある手の形。

 昨夜。

 シーツの上で。

 同じように組まれた手が、涙で滲んだ視界の端に映っていた。

 後ろから肩に歯を立てられて、あられもない嬌声をあげた。その時の感覚がありありと蘇り、シンシアは浅く震える息を吐いた。

 ランスロットが完全にシンシアを支配してしまうひととき。

 シンシアは恥ずかしさに泣いて、もどかしさに泣いて、快楽に泣いた。

 泣いてしまった、けれど。

「では、赤いカードをめくってやろうか」

 シンシアは途方にくれたような思いでランスロットを見上げた。

 ランスロットはゆったりとした微笑を浮かべるだけだ。

「そうすれば、お前を泣かせるほどいじめることもないだろう」

 さっきランスロットが体の奥にともした小さな火は、確実にシンシアの体を温め、緩やかに芯を溶かし始めていた。

 確かに、シンシアは泣いてしまうけれど。

 でも。

「いつもの」

 シンシアは俯き、消え入りそうな声で答えた。

 自分の言おうとしている言葉の意味を思うと、顔から火が出そうなほど熱くなる。

「いつもの、ランスロット様がいいです」

 天使でなくていい。

 微かに笑った気配がし、ランスロットの指が、シンシアの顎をすくった。

「お前は時折、ひどく愚かな選択をする」

 見上げたランスロットはやっぱり微笑んでいて、どこか満足げにも見えた。

「愚かで……、愛おしい」

 静かなささやきと共に、ゆっくりと唇が重ねられた。

 くちづけに、ゆるゆると、ほどかれながら。

 ランスロットに支配される時間はとっくに始まっていたことに気づく。

 きっと今夜も泣いてしまう。

 泣いてしまうけれど。

 全てを奪われ、支配されたその先にある、愛する人に満たされる喜びをもう知っている。

 今シンシアの心を満たしているのは、恐れに似た期待だった。

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