赤のエースで妄想してみた その3 天使&悪魔イベント補完ショート 後編
ゼロが書類と上着を持って部屋を出ていってからすぐに、アンリは執務室に入る時はちゃんと上着を着ていなくてはならないことを思い出した。
トランプのせいで、ゼロがランスロットやヨナに意地悪したらどうしよう、と落ち着いて座っていられなかった。
執務室へ止めに行こうかと駆け出したが、でも仕事の邪魔をしてしまうかも、と引き返す。そんなことを繰り返し、結局ウロウロと部屋を歩きまわるだけだった。
「ただいま」
しばらくして、上着を着たゼロが帰ってきた。
にこやかに微笑んでいたゼロは、部屋の真ん中に突っ立っているアンリをみて、不思議そうな顔になる。
「どうしたんだ?」
ゼロがいつも通りの優しい笑顔を浮かべて戻ってきたので、アンリは安堵の笑みを浮かべた。
(よかった。やっぱりゼロの中には天使しかいないから、トランプは効果がなかったんだ)
「なんでもないの、お帰りなさい。お仕事はもう終わり?」
「うん」
ゼロが腕を広げたので、アンリは当たり前のように彼の腕の中に収まった。
「ふふ」
安心し切ったアンリの頭に、キスが落とされる。
だけど次の瞬間には、ゼロは突然アンリを横抱きに抱き上げた。
「わっ」
油断しきっていたアンリは、慌ててゼロにしがみついた。
ゼロはそのまますたすたとベッドに向かい、アンリを抱えたまま、ベッドに腰掛ける。
ゼロがアンリをベッドに抱えて行くのは初めてではない。だけど、なんだかそういうのとはちょっと様子が違うようだ。
「ゼロ……?」
アンリの声が、少し不安げになる。
すぐ近くに、大好きなゼロの微笑み。
ゼロは何かを企む子供みたいな目をしてアンリを見ると、にっと笑った。
「捕まえたぞ、このいたずら娘」
ゼロは左手の人差し指と中指で挟むようにして、魔法のトランプを見せた。アンリがさっきゼロの上着のポケットに忍ばせた、スペードのエース。
アンリは思わず両手で口元を押さえた。
とっさに逃げ出そうとしたけれど、ゼロは上手にアンリを抱えていて、身動きできない。
「こら、赤のエースから逃げられると思うのか?」
額を合わせるようにしてそう言われてしまえば、もう観念するしかない。
「うう……ごめんなさい」
アンリは素直に謝った。
ゼロは楽しそうに笑って、アンリを膝の上に抱え直す。
「怒っちゃいない。だけど、どうしてこんなことしたんだ?」
俯いたアンリの顔を覗き込むゼロは、いつもの優しい微笑を浮かべている。
アンリはますます申し訳ない気持ちになってしまった。
「そのトランプは、日頃その人の中に隠れている一面を引き出すって聞いて……いつもゼロは天使みたいに優しいのに、本当にゼロの中に意地悪な悪魔がいるのかなって思ったら、すごく会ってみたくなったの」
ちゃんと謝って白状すると、気持ちがすっと楽になった。
ほっと小さく息をついて、ゼロの胸に頭を預ける。
「ごめんなさい」
ゼロは、項垂れるアンリの髪を撫でながら苦笑まじりのため息をついた。
「俺は天使なんかじゃない。……お前、俺の頭の中覗いたら、びっくりしてひっくり返っちゃうかもな」
アンリはそっとゼロを見上げた。
柔らかな微笑を浮かべたゼロは、やっぱり優しい天使にしか見えない。
「怒ってないの?」
「そんなかわいい理由白状されたら、怒れないだろ」
ゼロはアンリの唇にちょん、と短いキスをした。
それだけで、神妙な表情をしていたアンリは、頬を緩める。
そんなアンリを見て、ゼロはまた微笑んだ。
今度はもう少しだけ長いキス。
じゃれるように繰り返されるキスは、少しずつ長くなる。
アンリは、時々頬や耳元に落とされるキスがくすぐったくてクスクスと笑い出した。
ゼロは、すっかりリラックスした様子のアンリをみて、目を細める。
「医務室で俺を引き止めるお前があんまり可愛かったから、お前に思う存分困らせてもらおうと思って大急ぎで書類を片付けたのにな」
ゼロは手の中のスペードのエースを眺めながら言うと、アンリの目を覗き込んだ。
どこか色っぽい見慣れない表情に、アンリは思わず見入ってしまう。
「お前は、俺に困らせて欲しかったのか」
「えっ」
ゼロはアンリを抱えたまま、くるりと器用に体勢を変えた。
一瞬でアンリはベッドに仰向けになって、ゼロに見下ろされていた。
気付かないうちに外されていた髪留めを、ゼロはカードと一緒にベッドサイドに置く。
ゼロの腕の中で、短いキスを何度かしていただけなのに、いつの間にかアンリの体はくったりと力が入らなくなっていた。
心臓の音だけが騒がしい。
ゼロは、目をまん丸にして見上げるアンリに微笑んだ。
「お前のお願いなら、なんだって聞いてやる」
それは、アンリが今まで見たことないような、艶っぽい微笑みだった。
カードはもうベッドサイドに置いたはずなのに。
戸惑うアンリを見下ろすゼロは、なんだか楽しそうだ。
こんなゼロ、知らない。
初めて見る、天使じゃないゼロ。
天使じゃないけど。
天使じゃないけど、もっと見たい。
――天使じゃないけど、やっぱり愛おしい。
アンリはそっと両手をゼロの頬に伸ばして、微笑んだ。
ゼロは虚をつかれたように、一瞬動きを止めた。頬に添えられたアンリの手を優しく握り、困ったように笑う。
アンリの大好きな表情。
「お前は本当に、困ったやつだな……」
ゼロは、アンリを腕の中に閉じ込めるようにして、額を合わせた。
「手加減するから、少しだけ困らせてもいいか?」
ゼロは少しかすれた声で尋ねると、アンリの返事をまたずに深く唇を合わせた。
アンリは言葉で答える代わりに、そっと背中に手を回し、大好きなゼロを抱きしめる。
そうして、ゆっくり時間をかけて。
この世にはとてつもなく甘い意地悪が存在することを、アンリはゼロに教わった。
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