お人形さんごっこ    第一話


赤のエースで妄想してみた その11 お人形さんごっこ  第一話


 日毎に日差しが強くなり、夏の気配を感じ始める頃。

 アンリは兵舎の倉庫で探し物をしていた。

「確かこの箱じゃなかったかな……あ、あった!」

 薬瓶の詰まった箱から、小さな犬の絵が描かれた真新しいチューブを取り出す。カイルが以前サンプルとしてもらったが、使うことがないだろうと倉庫に片付けてしまった犬専用の傷薬。

 昨日の夕方の散歩で、ちょっと油断した隙に、リコスが大きなカラスに毛を毟られてしまったのだ。可哀想なリコスは、頭のてっぺんのあたりに小さなハゲができてしまった。

 エドガーの話では、きっと巣材にするのだろう、ということだった。

(そりゃあリコスの毛はふさふさ柔らかで気持ちいいけど)

 ちょっと血の滲んでしまったリコスの頭を思い出し、アンリはぎゅっと眉を寄せ、口を尖らせた。

 うっかりリコスから目を離した自分にも、乱暴なカラスにも腹が立つ。

 膨れっ面をしていると、突然、目の前に精緻なビスクドールのような顔が現れた。

「何怖い顔してるの」 

「わっ、ヨナさん」

 アンリの顔を覗き込んでいるヨナは、大荷物をのせた2台の荷車と、数人の部下たちを引き連れていた。

「すごい荷物ですね」

「今日調査に入った店が、予想よりずっと手を広げていたみたいで、怪しいものが次々出てきてさ」

 ヨナは首を軽く振りながらため息をついた。

「今日中に全部確認するのは無理だから、一時的に、半分はここに保管しておくことになったんだ」

 荷車には、古びた本や壺、鍵のついた函、得体のしれない液体の入った瓶などが積まれていた。

「違法な魔法道具だよ。ほとんどが子供騙しみたいなものだけど、危険なものもあるかもしれないから、気をつけて」  

「わかりました」

 アンリはヨナの忠告に従って、素直に荷車から距離をとった。

 ところが、ちょうどその横を通り過ぎようとしたときに、反対側にあった棚から、小さな生き物が飛び出してきて、足元を横切った。

「ひゃ、ネズミ!」

 悲鳴と共に思わず飛び退いたアンリの肩が、荷車の積荷にぶつかってしまった。

「あっ」

 兵士の声がした。

 ヨナがとっさに手を伸ばした。

 だけどヨナの手が届く前に、黄色い壺が積荷から転がり落ち、アンリの足元で勢いよく割れた。

 皆が見守る中、アンリは青い閃光に包まれた。

「ずいぶん珍しい魔法にかかったものだ」

 ランスロットが頬杖をつきながら、机の上のアンリを見下ろしていた。

 アンリは倉庫で、皆が見つめる中、みるみる間に縮んでしまい、掌に乗るぐらいの大きさになっていたのだった。

「珍しい魔法なんですか?」

「近頃ではまず見かけない。半世紀ほど昔、家畜を輸送するために使われていた魔法だ」

「家畜……」

 家畜、という言葉にショックを受けた様子のアンリを見て、ランスロットの口元が綺麗な弧を描く。

「なかなか安定せず、輸送途中に家畜が元に戻ってしまうトラブルが多くて、結局使われなくなってしまった古い魔法だ。人間がかけられても問題はないから安心しろ」

 ランスロットは顔を上げると、表情を和らげた。

「ゼロ、そんな顔をするな。半日も経たぬうちに解ける魔法だ」

「はい」

 静かな返事に振り向くと、ゼロと目が合う。

 ゼロは安心させるように、アンリに微笑みかけた。

 ゼロの笑顔をみただけで、肩の力が抜けて、気持ちが楽になる。無意識に、アンリの口からほっと小さな安堵の息がこぼれた。

 二人の様子を見ていたランスロットは、穏やかに目を細めた。

「ゼロ、お前にはアンリが元に戻るまでの警護を命ずる。小さなアンリがうっかりその辺で踏み潰されてしまわないように、注意を怠るな」

 アンリの警護を拝命したものの、もちろんゼロには他の仕事もたくさんあった。自室でいくつかの報告書を書き上げた後は、エースの隊の訓練だ。

 アンリは、訓練場に向かうゼロの制服の胸ポケットに収まっていた。

 仕事をするゼロを見ていられる機会なんて貴重だし、こんなに長く一緒にいられるのも久しぶり。どうしても心が浮き立ってしまう。ポケットの中で、子供みたいに足がパタパタ動いてしまった。

  ゼロが小さく笑う気配がした。

「アンリ、足がくすぐったい」

「あ、ごめん。一緒にいられるのが嬉しくって、つい」

 アンリが照れ笑いしながら素直な気持ちを伝えると、ゼロはピタリと立ち止まり、ぎゅっと眉を寄せて難しい顔になった。

「ゼロ……?」

 アンリは不安な気持ちでそっと呼びかけた。

 ゼロはポケットの中のアンリを見ると、困ったように眉を寄せたまま微笑んだ。

「……早く元に戻ってくれ」

(ちょっとはしゃぎすぎて煩かったかな……、ゼロは仕事中だもんね)

 反省して、しばらく大人しくしていようと誓うアンリの耳に、笑みを含んだ、軽やかな声が聞こえた。

「おや、これはいい場所を見つけましたね。居心地はどうですか?」

「エドガー!すごく快適よ」

 反省したばかりなのに、つい、少しだけ声がはしゃいでしまう。

 エドガーはゼロとアンリを見比べると、楽しそうに笑いだした。

「ふふ、なんだかリコスが来たばかりの頃を思い出しちゃいました……」

 不思議そうに見上げるアンリに、エドガーは続けた。

「ゼロがすごく深刻な顔で相談に来たことがありましてね」

「……エドガー、うるさい」

 エドガーはゼロの苦情を聞き流し、深刻な表情をつくってみせた。どうやら当時のゼロの表情を真似ているつもりらしい。

「リコスを見てると、時々もみくちゃにして力任せに抱きしめそうになってしまうんだ……潰してしまいそうで不安だ」

 声までゼロに似せて、低い声でそう言うと、エドガーは可笑しくて仕方ない、というように再びコロコロと笑い出した。笑いながら、ゼロの肩をぽん、と叩く。

「ふふ……、ふたたび試練の時ですね、ゼロ」

「お前はもうあっちへ行け」

「はいはい」

 エドガーは軽く肩を竦めると、アンリに手を振り、笑いながら執務室の方へ歩いて行った。

 ポケットから見上げるアンリと目が合うと、ゼロはちょっと頬を染めて気まずそうに前を向いた。

「ふふ、リコスがすごく可愛かったのね」

「俺は力が強いし、……力加減を間違えることがあるから心配になったんだ」

「でも、ゼロの手はいつも優しいよ」

「この間もお前の髪をぐしゃぐしゃにしてしまった」

「あ、そうだったね。ふふ」

 ゼロに髪を撫でられた時に、髪が乱れてしまって、結い直さなければならなかったことがあった。その時の、ゼロの『しまった』という表情を思い出し、アンリは笑い出した。

「気にしなくていいのに」

(髪が乱れても、うれしかったんだけどな)

 ゼロが触れる時はいつも、寡黙なゼロの心が、掌を通して伝わってくるような気がする。だから少しぐらい髪が乱れても、アンリはゼロに撫でられるのが大好きだ。

 もどかしいぐらい優しく触れるのが好き。

 リコスにするみたいに、くしゃくしゃと撫でられるのも好き。

 ……ベッドの中で、もみくちゃにされるのも好き。

 だけどこの気持ちをそのまま伝えるのは、なんだかはしたないような気がして、この場は黙っていることにした。

「わ、アンリさん小さくなっちゃって」

 訓練場に着くと、先に来ていたジョエルとマリクが目を丸くした。二人はエースの隊の小隊長で、ゼロが信頼を置く部下たちだ。

「魔法史の授業で聞いたことはあったけど、実際に目にしたのは初めてです」

「すごいな、本当にこんなに小さくなるんですね」

「訓練の間はどうなさるんですか?」

「うん、そうだな……」

 ゼロはちょっと考え込む。

 アンリをポケットに入れたままでは、ゼロもさすがに動きにくい。それに今日は剣を使うから、尚更危ない。

「あの、そこのベンチで大人しく見学しているから大丈夫」

 大切な訓練の邪魔はしたくないので、アンリはすぐにそう主張した。

 ゼロはアンリをじっと見る。心配そうな顔だ。

「本当に大丈夫か?」

 アンリはゼロを安心させるように、笑顔でしっかりと頷いた。

 ゼロはアンリをポケットに入れたまま、細心の注意を払いながら上着を脱ぐと、上着を木陰のベンチにかけた。ポケットから顔を出すアンリと目線が合うように、しゃがむ。

「いいな、勝手に何処かへ行ったりするなよ。何かあったら遠慮せず、必ず俺を呼べ」

「うん、わかった」

 アンリは力強く返事をしたけれど、ゼロはまだ心配そうにアンリを見つめる。

(う、信用ないな……無理もないんだけど)

 以前誘拐事件に巻き込まれたこともあり、ちょっと信用がないことを自覚しているアンリは、慌てて付け足した。

「ちゃんとここで大人しくしてるから」

 ゼロはふっと表情を和らげると、頼むぞ、と言い残して訓練を開始した。

 型稽古を行う背中を眺める。いつもは医務室から眺めているので、こんなに近くで訓練を見ることができるのが嬉しかった。白いシャツの下で動く背中がとてもきれいで、いつまででも眺めていられそうだった。

 ゼロは、剣を扱っている間は集中しているが、合間ごとに振り返り、アンリが無事でいることを確認した。

 アンリは、約束通り大人しく訓練を見学していた。

(暑いな、今日は)

 訓練開始前には太陽を遮っていた大きな雲が、いつの間にか途切れて、むき出しになった初夏の太陽が訓練場に照りつける。

 ゼロたちは、初夏の強い日差しの中、真摯に剣を振るっていた。

 太陽が少しずつ移動していくにつれ、影も動いていく。アンリのいるポケットはまだ木陰の中だが、制服が半分ほど太陽に照らされ、温まってきていた。

 アンリもだんだん暑くなり、自分の頬がずいぶん熱を持っていることに気づいた。息も熱くて、なんだかのぼせてしまいそうだ。

(ちょっとだけ風に当たりたい)

 ゼロはちょうどマリクを相手に、隊員たちに手本を見せているところだった。今声をかけるのは、気がひける。

 ポケットから外に出るだけなら大丈夫だろう。

 アンリは自力でポケットから這い出した。ポケットの外に出ただけで体に涼しい風が感じられた。

 顔を手で仰ぐようにして、ほっと一息ついていると、ふと、目の前の影が濃くなったような気がした。

 見上げる間もなく、体が浮き上がる。

「えっ?」

 悲鳴も上げられないまま、アンリの体はぐん、と勢いよく上昇し始めた。

「アンリ!」

 ゼロが気付いて、必死でアンリに手を伸ばすが、その姿もどんどん小さくなっていく。

「ゼロ!」

 必死で名前を呼んだけれど、こんなに離れてしまっては声が届いたかどうかわからない。

いつの間にか兵舎の全貌が眼下に見渡せるぐらい、アンリの体は高く舞い上がっていた。自分の体が全く動かせない。首だけを動かして確認すると、ちょうどウエストのあたりと、足を、鳥の足らしきものにガッチリと掴まれていた。

 アンリの体は、そのまま森の方へと運ばれて行った。

 木の枝の上に、アンリは乱雑に落とされた。羽ばたく黒い翼が、朦朧とした視界の端に見えた。

(カラス……?)

 アンリはゆっくりと体を起こし、自分が落とされた場所を見まわした。木の枝や枯れ葉、古い紙など雑多なものが組み合わされている。

 どうやらカラスの巣のようだ。端の方に、人形の頭のような物が見えて、アンリはぎくりと身を硬らせた。リコスが毛をむしられたことや、昔見た、小さなネズミを咥えたカラスの姿を思い出す。

 巣材になるにせよ、餌になるにせよ、ここにいては危険だ。

 幸い、巣の主は再び何処かへ飛んでいってしまった。今のうちに、なんとかここを逃げ出さなくては。

 アンリはそっと巣の端から下を覗いてみた。葉の間から覗く地面は思っていた以上に遠い。

 目が眩みそうな高さだ。

 アンリは本当に目眩を感じて、慌てて頭を引っ込めた。そして目を閉じて深呼吸すると、制服のリボンを外した。このリボンは、エドガーの発案で、オリヴァーが細工した特注品だ。

『最大2mまで伸びて、あなた10人分の体重を支えられます』

 二人から、何通りかの使い方のレクチャーも受けていた。

(まさか本当に使う羽目になるとは思わなかったけど……) 

 アンリは教わった通りに、リボンを正方形に伸ばした。自分の身長と同じぐらいまで伸ばしたら、今度は隣り合った角をしっかり結ぶ。できた輪の部分に、片腕ずつ入れた。結び目が肩の前にきて、ちょうどリボンを背負うような格好で、再び巣の縁に立つ。足元を見ると、今にも挫けそうになる。だけど、カラスが帰ってくる前にここを抜け出して、ゼロの元へ帰らなくては。

 アンリはギュッと拳を握って、もう一歩前へ出た。微かに震えるつま先が、巣からはみ出す。

 心臓が忙しない。

 アンリは深呼吸した。

 3、

 目を閉じる。

 2、

 もう一度息を大きく吸う。

 1、

「えいっ」

 掛け声と共に、足で巣の端を思い切り蹴った。

 アンリの体は宙に飛び出す。

 直後、内臓が浮くような感覚があった。ぱん、とリボンが空気をはらんで膨らんだ瞬間、体がわずかに引き上げられて、そのあとは、ゆっくりと下降を始めた。

 アンリの体はゆらゆらと揺れながら、木漏れ日の中を緩やかに下降していく。

「オリヴァー、天才だわ……」

 オリヴァー特製のリボンは、立派にパラシュートの役割を果たしていた。

 きらきらと木漏れ日を受けながら、アンリは風に乗る種のように、優雅に落下していた。不思議な気分だった。

(こんな時でなければ、楽しめたかも)

 やがてアンリの足は、ゆっくりと地面についた。

 そのまま、膝の力が抜けて、へたへたと座り込んでしまう。力が入らない。

 ひとまず、カラスの餌食となる危機は脱した。

 アンリは座り込んだまま、のそのそとした動きで、リボンを元の大きさに戻し、首に結んだ。

 早く帰りたいのに、動く力が湧いてこなかった。

(ちょっとだけ休憩してから、歩こう)

 木の上から時計台が見えたので、街の方向はわかっている。

 木の根にもたれ、ぼんやりとしていると、どこからか湿気を含んだ、生暖かい風が吹いてきた。風はやんだかと思うと、また吹いてくる。

 アンリが妙に思ってそっと後ろを振り返ったのと、剥き出しの白い大きな牙がアンリに降りてきたのは、ほぼ同時だった。

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