Childhood’s end


 ポットにお湯を注ぎ、紅茶が抽出されるのを待つ。手持ち無沙汰で窓の外をぼんやりと眺めていると、薄曇りの空から、ちらりちらりと白いものが舞い始めた。

 どうりで朝から冷えるわけだ。

 ハールは暖炉に薪を足した。

 暖炉の前では、ここまで大はしゃぎで駆けてきたというリコスがのんびりと寝そべり、うとうとしていた。

 薪をくべたハールにお礼を言うように、しっぽがパタリ、パタリとゆっくり往復する。

 その寛ぎきった様子に、少し緊張が解けて、ハールはそっと微笑んだ。

 カップに紅茶を注ぐと、華やかな香りが立ち上った。以前シリウスに分けてもらった、とっておきの紅茶だ。なんとなくもったいなくて使う機会がなかったが、今日はこの紅茶にふさわしい日だと思う。

 紅茶を受け取ったゼロは、香りを楽しむようにカップを持ち上げ、穏やかな声で言った。

「いい紅茶だな」

 成人したゼロと話すのはこれが初めてではない。だけどハールの心の中では、ゼロはいつも10歳の時の姿なので、こんな風に彼が年相応の振る舞いをするたびに、ひどく感慨深い気持ちになる。

「魔法薬の影響を受けていた時間のことは全く記憶には残ってはいないんだが、お前にはまた随分世話をかけてしまったと聞いた。申し訳ない。本当にありがとう」

 ハールは静かに首を横に振った。

「君が悪いわけじゃない。元気になってよかった」

 先日、彼が事故で古い魔法薬を浴びてしまい、ハールまで赤の兵舎に動員されるような、ちょっとした騒動があった。

 今日、ゼロは休みをとって、その時の礼を伝えるためにハールの家を訪ねてくれていた。ランスロットからは上等のワイン、アンリからは手作りのパイを預かり、そして彼自身はキャンディボックスを携えて。

「その後、何か問題はないか?体調の方は」

「ああ、体調の方は問題ない。ただ……」

 ゼロはそこで言い淀んだ。

 ハールはふと不安になる。彼が浴びた魔法薬は強力な上に、たいそう古い物だった。記憶障害の方は完全に解消したものの、なんらかの後遺症があっても不思議ではない。

「何か問題が?困っていることがあるならなんでも言ってくれ」

「いや、問題というか……その……ヨナが毎日ケーキを一緒に食べたがったり、エドガーが毎日一緒に遊びたがったり、ランスロット様とアンリがやたら頭を撫でたり……する」

 訥々とそう語ると、ゼロは困ったように眉を下げた。

 どうやらゼロ本人ではなく、周囲に後遺症が残ってしまったようだ。

 ハールは申し訳ないと思いながらも、つい笑ってしまった。

「それで困っているのかい?」

 ハールが尋ねると、ゼロはますます困ったような顔になる。

「別に、嫌なわけじゃないんだ。でも、……どうしていいのかわからない」

「みんな、君のことが好きなんだ」

 ハールの言葉に、ゼロはちょっと目元を赤らめ、目を伏せた。

 きっと彼もわかっているのだろう。戸惑いながらも、こうしてゆっくりと、人に愛されることにも慣れていけばいい。

 子供時代に与えられなかった様々なものを、彼は自分で勝ち取ったのだから。

 ハールの心の中には、いつも10歳のゼロがいる。

 苛烈な日々の中、普通の子供が当たり前のように与えられるものを何一つ持たず、それでも誰かの役に立ちたいと願った健気な子供。

 自分も子供だったハールが、助け出したくて、それでも助けられなかった子供。

 魔法の塔を出てからも、ロキと暮らし始めてからも、彼の姿を思うたび、自分の無力感に打ちひしがれた。

 だけど今。

 ハールの心の中の10歳のゼロは、赤の兵舎でみたゼロと同じように、無邪気に笑っていた。彼の顔に浮かぶのは、未来への——希望。

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