赤のキングで妄想してみた その1 王子様とわたし —第四話—
シンシアは、最初の日にランスロットに許可をもらって兵舎の地下を探検していたので、赤の兵舎に地下牢があることを知っていた。
初めてみる牢は、石の壁としっかりした鉄格子に囲まれた頑強そうな造りで、まるで物語に出てきそうだった。彼女は今まで地下牢を見る機会などなかったので、とても興味深かった。鉄格子の外から空っぽの牢を眺めながら、地下牢の出てくる様々な物語を思い出したり、新しい物語を想像したりして楽しんだ。
もしかしたら、それが少し不謹慎だったから、罰が当たったのかもしれない。
(まさか自分が入ることになるとは思わなかった……)
彼女は今、地下牢の中に閉じ込められていた。
罪状は、「ランスロット暗殺未遂」だ。
夜、消灯間際にゼロとエドガーが突然部屋にやってきて、シンシアの釣ってきた魚を食べたランスロットが昏倒したことを告げると、彼女を地下牢に連行したのだった。
(ランスロット様は大丈夫だったのかしら……)
シンシアは一生懸命ランスロットの容態を聞いたが、ゼロもエドガーも目も合わせてくれず、答えてはくれなかった。
「怪我をさせたくないので大人しくしていてください」と昼間とは別人のような冷たい声で言った。
その時の様子を思い出すと、ぞくり、と寒気がして、シンシアはブランケットに包まるようにした。ただでさえ剥き出しの石の壁は寒々しく、地下牢の中はひどく冷え込んだ。
(どうしてこんなことになったんだろう)
森から兵舎に来るまでの間に魚が悪くなっていたの?でも今日は決して暑くはなかったし、兵舎についた時も魚は元気だった。シェフのタミエルさんもこれは活きのいい魚だと褒めていたもの。
じゃあ、魚自体に問題があったの?でもあの魚は一番美味しいってハールさんが太鼓判を押してくれたものだ。やっぱり釣ってきた魚に問題があったとは思えない。
シンシアは何度考えても同じ結論に行きついてしまう。
もしランスロットが魚を食べて昏倒したなら、他に原因があったはずだ。
父親が書いたミステリをいくつか思い浮かべてみる。毒は、食器に付着していたり、調理中に入れられたりしていた。そもそも生きた魚に細工するのは難しいのではないだろうか。
そうは思うものの、客観的に見ると、キッチン担当の使用人、クレイトンやタミエル、ジャズよりも、赤の兵舎に来たばかりのシンシアが一番怪しい。
シンシアは深いため息をついた。
間違いなく冤罪だけれども、それをどうやって証明すればいいのかわからない。
そういえば、父の小説にも、冤罪で投獄された青年の話があった。確かあの話は、青年の親友が長い年月をかけて青年の無罪を証明するのだ。そして青年の恋人と親友が結ばれるのだ。
あれ?冤罪になった青年はどうなったんだっけ……。
なんだか嫌な予感がして、シンシアは無意識に眉を寄せた。
必死で父の小説のあらすじを思い出す。細部まで思い出した彼女は、再び身震いした。
そうだ、冤罪になった青年は、最初の5ページ目ぐらいで、罪を着せられたまま、口封じのため亡き者にされたのだ……!
「シンシア様」
シンシアは突然声をかけられ、大きな悲鳴をあげた。
声をかけてきた兵士も驚いている。
「驚かせて申し訳ありません、シンシア様。お助けにあがりました」
「え……?」
牢の外に立っていたのは、赤の軍の制服を着た兵士だった。しかし、シンシアの知っている顔ではない。
「ここから一緒に逃げましょう」
「逃げる……?」
「ひどい目に遭われましたね。もう大丈夫です」
兵士は、同情を込めるように、眉を寄せながら微笑んだ。
たまたま父親の小説のあらすじを思い出し、自分が口封じのために殺されるような心持ちになっていたシンシアは、今までになく疑い深くなっていた。目の前の兵士の笑顔さえ、なんだか胡散臭く見える。
兵士は、戸惑うシンシアを安心させるように、優しい声で続けた。
「皆、ランスロット様が恐ろしくて逆らえないのです。だけど、私はあなたの味方です。あなたを助けようとする仲間もいます」
シンシアは兵士の言葉に違和感を覚えた。眉を僅かにひそめる。
兵士はどこからか鍵を取り出し、地下牢の鍵を開けた。
「どうしてあなたは赤の兵士なのに、ランスロット様に従わないの?」
シンシアを迎えにきた兵士は、一瞬、虚を突かれたようになった。
シンシアには、ランスロットが恐怖によって兵士たちを従えているとは思えなかった。
ゼロの話に出てきた一枚岩の赤の軍はどうなったのだ。ランスロットへの揺るぎない信頼はどこへ行った?
「あなたの上官は誰なの?」
考えれば考えるほど、目の前の兵士は怪しく見えてくる。
シンシアは詰問するような口調になっていた。
しかし彼は動じずに答えた。
「赤のジャック、エドガー・ブライトです」
「エドガー?じゃ、これはエドガーの命令なの?」
兵士の笑顔が陰り、彼は無遠慮にシンシアの手首を掴み、引っ張った。
「そうですよ、さあ、早くここから出てください」
兵士の様子がおかしかったので、シンシアは思わず抵抗した。
「行かない、私」
「逃げたくないのですか?」
「私、……私は、ランスロット様がここにいろとおっしゃるなら、ここにいる」
今シンシアが信頼できるのは、見ず知らずの兵ではなく、やはりランスロットだった。たとえ地下牢に入れられたとしても。
舌打ちが聞こえた。
驚いて顔を見ると、目の前の兵士はもう微笑んではいなかった。
「それでは困るんですよ」
「痛っ」
苛立ちを隠さず、兵士はシンシアの肩を抱えるようにして、乱暴に腕を引いた。
シンシアの手首はひどく痛んだが、彼女はもう片方の手で鉄格子にしがみつくようにして抵抗した。
(怖い……!)
「離して……、誰か……」
助けて、そう叫ぶ寸前に、シンシアの腕を引く力が緩み、離れていった。
恐る恐る顔をあげると、兵士は青ざめた表情で直立し、降参するように両手を顔の横に上げていた。
兵士の背後に立つゼロの短刀が、兵士の首筋にピタリと当てられている。そして兵士とシンシアの間に立つエドガーの剣先は、正確に兵士の喉元に付けられていた。
シンシアは声も出せず、鉄格子に縋り付いたまま、その場にずるずると座り込んだ。
「お前が俺の名前を出してくれたことはいい手がかりになりました」
エドガーは優雅な微笑を浮かべたまま、兵士の顔を間近で見つめた。
「お前を部下に持った覚えはないが、お前の顔には覚えがある……」
エドガーは優しい微笑を浮かべているのに、兵士はさらに真っ青になって、震え始めた。
「『彼』も、せめて面の割れてないものを使えば良いのになあ。ねえ、そう思いませんか?」
真っ青になって震えていた兵士が、目を強く閉じ、わずかに口を開けた。その瞬間、エドガーはペンを男の口に滑り込ませた。男の歯がペンに当たってガチリ、と痛そうな音を立てた。
「舌を噛むなんて、許しませんよ。もう少しお話ししてもらわないと困りますからね」
柔らかな声でそう告げた後、エドガーはゼロに目配せした。
兵士の首の付け根にゼロの手刀が落とされ、兵士は意識を失い、がくりと倒れ込んだ。
倒れた兵士の手足を手際良く縛っているゼロを背に、エドガーはシンシアと目線を合わせるように膝をついた。彼は困ったような微笑を浮かべている。
「お怪我はありませんか?……ああ、手首が赤くなっていますね」
エドガーはシンシアの手をそっと持ち上げると、眉を寄せた。
シンシアは片手で鉄格子を掴んだまま、呆然とエドガーを見ていた。
「すぐに手当てさせましょうね……怖い目に合わせてしまって申し訳ありませんでした。もう少し早く止めるべきでした」
エドガーは思い出したようにクスリと笑った。
シンシアは何が起こっているのかわからず、声も出せない。
「でも、あなたの『ランスロット様がここにいろとおっしゃるなら、ここにいる』は素敵でした。あなたは我が軍の兵士でもないのに、ランスロット様にとても忠実ですね」
エドガーは、微笑を浮かべ、興味深い生き物を観察するような目でシンシアをじっと見つめている。
見つけて欲しくないことまで見つけられそうな居心地悪さに、シンシアは身動ぎした。
「もしかして、もう我が主に魅入られてしまいましたか?」
シンシアは微かに肩を揺らし、エドガーを見つめた。
エドガーの目に、ほんのわずか、同情のような色が浮かんでいる。
シンシアはエドガーの質問にはどう答えればいいのかわからなかったので、聞かなかったことにした。そしてずっと気になっていたことを訴えた。
「エドガー、私お魚には何もしてないの。だから、もしランスロット様が本当に倒れられたとしたら、他に犯人がいるの。ここにいろっていうなら私はここにいるから、お願い、ランスロット様をお護りして」
エドガーは目元を和らげると、そっとシンシアの手をとって、彼女の耳元に顔を寄せた。シンシアだけに聞こえる、小さな小さな声で囁く。
「あなたが犯人だなんて、誰も思っていません。あなたをお護りするために仕方なくここに入っていただきました。ランスロット様にも厳重な警護をつけています」
シンシアは驚いてエドガーの顔を見た。
エドガーは変わらず微笑を浮かべている。
「エドガー、ランスロット様はご無事なの……?」
切実な声で問いかけるシンシアに、エドガーは困ったように眉を下げた。
「ごめんなさい、それは答えられません」
シンシアは何とか情報を読み取ろうとするように、エドガーをじっと見つめる。
エドガーは困ったように微笑んだまま、ため息をついた。
「……チョコレートはお好きですか?」
唐突な問いかけに、シンシアはきょとんとした。
「好き」
「おひとつどうぞ。怖い目にあった後は、甘いものを食べると心が落ち着きますから」
エドガーは胸ポケットからハンカチを取り出した。開かれたハンカチの上には、銀紙で包まれた小さなチョコレートらしきものが5つほど載っていた。
シンシアはエドガーの言うことはもっともだと思ったので、躊躇わずチョコレートを摘んだ。
「ありがとう」
銀の包みから出てきたのは、薔薇を象ったきれいなチョコレートだった。
シンシアは笑みを浮かべると口に放り込んだ。上等のチョコレートの味がする。ほろ苦い甘さが口の中に広がって、ホッとした。
「美味しい」
シンシアはエドガーに笑って見せる。
エドガーは微笑んでいるが、その顔はどこか寂しそうに見えた。
シンシアはチョコレートの甘さにほっとしたせいか、だんだんまぶたが重くなってきた。
そういえば、地下牢に入れられてからずいぶん経つ気がする。もう真夜中なのかもしれない。
口の中のチョコレートが溶け切って、ただ優しい甘さだけが残った頃には、シンシアはもう目を開けていなかった。目を閉じるのが早かったのか、彼女が意識をなくすのが早かったのか。シンシアの世界は、スイッチを切るように、ぷつりと途絶えた。
ぐらり、と揺れた体をエドガーが支えた。
エドガーはシンシアの口元に手をかざし、彼女がもう息をしていないことを慎重に確認した。
「あっさり食べちゃうんだもんなあ。リコスの方がお利口じゃないかな?」
「エドガー!」
リコスはゼロの愛犬だ。一昨日風邪薬を飲ませようと苦労したばかりだった。
ゼロはエドガーを咎めようと彼を睨んだが、彼の表情を見て言葉を飲み込んだ。
「これ以上向き合っていたら、余計なことを話しちゃいそうでした」
エドガーが苦笑した。
「せめてランスロット様の容態ぐらい教えてやっても良かったんじゃないか」
「それに関しては俺も同意見ですが、ランスロット様の御命令です」
「なぜランスロット様はそんな命令をしたんだ」
「さあ。今の兵舎では誰がどこで聞いているかわかりませんからね」
エドガーはひょいと肩をすくめて見せた。
動かなくなったシンシアの体をブランケットで包むエドガーを見つめ、ゼロは躊躇いながら尋ねた。
「お前の、叔父なのか」
「……間違いありません」
エドガーはゼロを見ないまま、表情を変えずに答えた。
「エドガー、俺はお前が何のために俺を鍛えたのか知っている」
ぴくり、とエドガーの腕が止まった。
「……だけど、俺はお前を助けるために鍛錬を積んだ」
エドガーが顔を上げ、ゼロを見つめる。
「もしお前ができないなら、俺が代わりにあいつを倒す」
ゼロは生真面目な表情で、まっすぐにエドガーの目を見た。
エドガーはふと眩しそうに目を細めたが、小さく吹き出すと、肩を震わせながら可笑しそうに笑い出した。
「ふ、ふふ……、100年早い、ゼロ」
可笑しくて仕方ない、というようにコロコロと笑い続けるエドガーを見て、ゼロは憮然とする。
「俺は本気で……」
「これは俺の仕事です」
ゼロの言葉を遮るように、エドガーは言い切った。エドガーもゼロをまっすぐ見てはいたが、いつもの読めない微笑をまとっている。
「あまり時間がありません。ゼロ、すぐに交代を寄越すので、それまでそいつを見張っているように」
エドガーはシンシアを抱き上げると、冗談とも本気ともつかない口調でゼロに言った。
「お前の友情には感謝しますよ」
ゼロは黙って、地上への階段を昇るエドガーの背中を見送った。
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