王子様とわたし    —第八話—


 赤のキングで妄想してみた その1 王子様とわたし  —第八話—


 翌日はよく晴れた、うららかな日だった。穏やかな風が時折葉ずれの音を立てる。つい目を細めてしまうような心地よさだった。

 赤の兵舎では、兵士たちも、使用人たちも平常通り、手際良く、規律正しく働いている。

 シンシアは、朝食の片付けを終え、綺麗に片付けられたキッチンで、スーシェフ・ジャズの作ったケーキを頬張っていた。

「美味しい!」

 ジャズはシンシアの心からの称賛を聞いて、誇らしげな笑みを浮かべた。

 今キッチンでは、タミエルとクレイトンも紅茶を飲んでいた。

「じゃあ、みんなも知らなかったのね」

「はい、私どもはお嬢さんが地下牢で世を儚んでお亡くなりになり、ご遺体は罪人のものとして破棄されたと伺っておりました」

 クレイトンはニコニコと人の良さそうな笑顔で恐ろしいことを言った。

「もちろん信じてはおりませんでしたが、やはり今朝お嬢さんのお元気なお顔を拝見したときは、嬉しゅうございました」

 今朝食堂で会ったときにクレイトンが涙ぐんだように見えたのは、気のせいではなかった。

「信じてなかったの?」

 シンシアは、みんながランスロットの言うことを盲目的に信じているものだと思っていたので、少し驚いた。

「地下牢に女性を閉じ込めるようなことも、たとえ罪人のものであっても遺体を破棄するようなことも、ランスロット様は決してなさいません」

 穏やかな表情でクレイトンはキッパリと言った。

「ですから何か事情がおありなのだろうとは思っておりました。私どもはただランスロット様のご指示に従うのみです」

(そうか。ランスロット様ご自身に全幅の信頼を置いているから、ランスロット様の言葉を信じなかったんだ。でも、だからこそ、どんな時でもランスロット様の命令に無条件に従うんだ)

 それは無敵の忠誠心だ。

 赤の軍は使用人も含めて一枚岩なのか。

 シンシアが静かに感動していると、じゃがいもの皮をむき始めたジャズが混ぜっ返すように言った。

「それに、お嬢さんが世を儚んでって言うのも何だかありえないって言うか」

「こら、ジャズ!」

 クレイトンはジャズを咎めるような声を出したが、顔は笑っていた。

 シンシアも怒って見せたものの、すぐ一緒になって笑ってしまった。 

「ジャズ、今こうやって笑っていられるのも、お嬢さんのおかげなんだぞ。何しろお嬢さんが一番最初に怪しい人物に気づいたんだから」

「えっ?」

「おや、お嬢さんが一等最初に洗濯室のジェーン・ドゥを見つけたと聞きましたよ」

 洗濯室のジェーン。

 シンシアは、地下を探検した時に、ふかふかのタオルの秘密を教えてくれなかった洗濯メイドを思い出した。

「もしかして……、あの人、ここの洗濯メイドじゃなかったの?」

「うちのメイドにジェーンという名のものはおりませんよ」

 シンシアは、それとは知らずに兵舎への侵入者、もしかしたらランスロットを狙っていた刺客と話していたことになる。

 今更ながらぞっとした。

 そしてランスロットは、シンシアの些細なおしゃべりから、すぐに侵入者に気づいたのだ。

(名前ぐらいしか言ってないのに……)

「もしかしてランスロット様は兵舎で働いている使用人の名前をみんな覚えているの?」 

「ええ、そうですよ。全部で50人ほどになりましょうか。私どもは深紅の血統ではありませんが、それでも兵士たちと同じように、赤の軍を支える大切な人員だとランスロット様はおっしゃいます」

 クレイトンは誇らしげに微笑んだ。

 使用人たちは、シンシアがジェーンに会った夜には、自分たちの持ち場を注意深く監視するようにという指令を受けていた。そして見慣れぬ人物を見つけても危険だから気付かぬふりをすること、ただし後で必ず報告することを命じられていた。

 優秀な使用人たちは、ランスロットの言いつけを誠実に守った。翌日シンシアが魚釣りに行っている間に、侵入者に気付かれることなく3名の不審者を見つけ出していた。

「すごいわ、みんな」

 クレイトンは感心した様子のシンシアを見て、にっこりと笑った。

 そして、ふと思い出したように尋ねた。

「そういえば、お嬢さんは月にご縁がおありで?」

「えっ?」

「……いえね、ランスロット様がご命令された夜に、『今、我が軍には月の女神の加護がある』と微笑まれたので……てっきりお嬢さんのことかと」

 シンシアの名前は月の女神のことだし、彼女の生まれ育った国とは満月の夜だけ行き来ができるが、ロンドンから来たことが秘密な以上、そこは誰にも言えない。だけど多分、そういうことじゃない気がする。

「……ランスロット様に、『月の女神の使い』と言われたことならあるわ」

 クレイトンたちはシンシアを3秒ほど見つめて、何も言わず顔を伏せた。

 みんな震えている。

 ジャズでさえ、ここで笑うのは失礼だと必死で我慢しているらしく、耳の後ろから首まで真っ赤だった。

「遠慮なく笑っていただいていいですよ」

 シンシアのため息まじりの許しを得て、皆声を立てて愉快そうに笑った。

 控え目に笑っていたクレイトンが、涙を吹きながら言った。

「そういえば、幼少期のランスロット様は、アライグマの子供を可愛がっておられたことがあるそうですよ」

 幼少期のランスロット様。

 それは一体どんな天使だったんだろう。

 いやいや、そうではなく。

「アライグマを?」

「はい。わたしの叔父がランスロット様のご生家で庭師をしておりましてね。その叔父から聞きました」

 アライグマは特別優美な生き物ではないけれども。

 ランスロットが子供の頃可愛がっていた生き物に例えられたのだとしたら。

 それは、そんなに――悪くはない、かな。

 シンシアは何となく心が弾むような感じがして、微笑んだ。

「シシィ、ここにいたのか」

 キッチンの入り口に私服姿のゼロがいた。

「カイルがもう一度念のため診察しておきたいらしい。一緒に医務室に来てくれ」

 シンシアはキッチンの皆に挨拶して、ゼロと一緒に医務室に行くことにした。

 キッチンを出てすぐに、騙し討ちのようなことをして申しわけなかった、とゼロに真摯に謝られ、シンシアは驚いた。

 カイルの診察は、簡単な問診だった。

 食欲にも体調にも何も問題はないことを確認し、カイルは安心したように微笑んだ。

「あの魔法薬のことは、知識としては知ってたけど、患者に投薬する機会なんてなかったしな。まあ、実際に使ったことのある医者なんてほとんどいないはずだ」

 確かに、仮死状態になる必要がある患者なんて、そうそういないだろう。

 シンシアがカイルの言葉に納得していると、医務室のドアがノックされ、エドガーが現れた。

 エドガーもやはりゼロと同じように、シンシアにまず謝った。

「謝らないで。みんな私を助けてくれたんでしょう?」

 ジェーンと顔を合わせ言葉を交わしたシンシアは口封じのため狙われる可能性もあり、魚釣に行ったときも尾行がついていた、と医務室に来る途中でゼロに聞いていた。地下牢に現れたニセ兵士は、彼女を人質にしようと企んでいたそうだ。

「ええ、あなたからジェーンの話を聞いてすぐ、ランスロット様は俺とゼロにあなたの警護を命じられました」

 赤の軍のナンバー3と特攻隊長が警護してくれていた。彼らには、他にも任務があっただろうに。

 シンシアは改めてランスロットに感謝した。

 エドガーはふと何かを思い出したように笑った。

「だからあなたが深夜ランスロット様の部屋の前でミルクティーを持ってウロウロ迷った挙句にランスロット様のお部屋に入っていかれるまで、ずっと見守っていました」

 シンシアは恥ずかしくなった。

「おい待てシシィ、お前何やってんだ。女が深夜に男の部屋を訪ねたりするもんじゃねーぞ」

 カイルが聞き咎めて顔をしかめた。

「違うの、お茶だけお届けして、自分の分は自分の部屋で飲むつもりだったの」

「俺だったら女性が深夜部屋の前で待っていたら誘われているのかと勘違いしちゃいそうです」

 エドガーがコロコロと笑う。

「ランスロット様はそんなことないわ」

 言いながら、シンシアはどんどん顔が熱くなっていくのを感じた。

「お部屋に入られてからはランスロット様が警護することになっていました。あの夜はランスロット様が一睡もせず警戒していたはずです」

 シンシアは言葉を無くしてしまった。

 彼女が呑気にはしゃいでいた夜だ。

「ごめんなさい。私、そんなに大変な状態だったなんて、少しも気付かなかった」

「軍人が一晩二晩眠らなかったからと言ってどうということはありませんよ。ただ、あまり長く続けるわけにもいきませんけどね。思ったより大掛かりなことになりそうだったので、あなたをまず避難させることになりました」

 そしてランスロットはハールとシリウスに協力を頼んだのだ。

「そうだったのね……」

 エドガーは目を細めてシンシアを眺めていたが、ポケットから包みを取り出した。

「ふふ。シシィ、グミはお好きですか?よかったらどうぞ」

 エドガーが取り出したのは、鮮やかなオレンジや赤の星形のグミだった。 

「ありがとう」

 シンシアが笑顔でひょい、と摘んで口に持っていこうとすると、エドガーは目を丸くして慌ててシンシアの手を止めた。

「あなた学習能力がないんですか?」

「え?」

「俺はあなたに薬入りのチョコレートを食べさせたんですよ」

「だって、それは必要だったからでしょう?わたし、死んだふりは兄弟達の中でも一番下手だったし、最初から薬のことを聞いていたら、怖くて飲めなかったと思うもの」

 だから、エドガーのやり方は正しかったのだとシンシアは思っていた。

 エドガーは珍しく、笑顔を消して、ぽかんとした表情をした。

 今はもう赤の兵舎は安全なのだから、シンシアが薬を口にすることもないはずだ。彼女はなぜエドガーが驚いているのかわからなかった。

 エドガーはクスクスと笑い出した。

「もしかして、このグミにも何か入ってるの?」

「いいえ。でもこれはゼロにあげましょう」

 エドガーはゼロの口を開けさせると、ぽい、と赤いグミを放り込んだ。

 ゼロはいきなりジタバタと手足を動かし始めた。

「えっ、毒?」

「いえ、チリペッパーフレーバーのグミなんです」

 カイルに水をもらいながら恨めしそうに睨むゼロに背を向け、エドガーはもう一つの包みをシンシアに差し出した。

「あなたには、こちらの方がお似合いです」

 それはミルキーピンクの花を象ったグミだった。

「可愛い!」

 摘んで口の中に入れると、苺とコンデンスミルクの甘く爽やかなフレーバーがひろがった。

「美味しい」

 シンシアの笑顔に応えるように、エドガーも嬉しそうに笑った。それはいつもの何を考えているのかわからない微笑みとは違って見えた。

「シシィ、この先、俺はあなたに甘くて美味しいお菓子だけをあげます。決して薬なんて飲ませません」

 エドガーは笑顔のままシンシアを見つめた。

「あなたを巻き込んでしまって、本当に申し訳ありませんでした」

 そしてエドガーは、今回赤の兵舎で起きた事件の主犯は、先代の赤のジャックであり、エドガーの叔父であるクローディアスだったのだと告白した。

 エドガーは両親を早くに亡くしており、クローディアスに養育されたらしい。

 クローディアスは魔法の塔の「悪い魔法使い」アモン・ジャバウォックと手を組み、クレイドルの支配を目論んでいたこと。彼はアモンの失脚により全てを失い、虎視淡々と復讐の機会を狙っていたこと。また、彼は赤の軍とランスロットに恨みを抱いていたこと。

 おそらくはエドガーにとっても辛い話だと思われたが、彼は穏やかな微笑を浮かべたままシンシアにわかりやすく説明してくれた。

「アモンの失脚により、あの叔父との縁も切れたものだと思っていたのですが……でもこれで、全て終わりです」

 話し終えたエドガーは、清々しさと寂しさの混じった笑顔を浮かべ、窓の外へ目をやった。

「ところで、あなたはどうして医務室に?」

「カイル先生が念のためもう一度診察しておくからって。もう終わったから図書室にでも行こうと思っていたんだけど」

「待て待て、お前はもうちょっとここにいてくれ。なるべく部屋の真ん中に」

 シンシアが医務室を出ようとすると、カイルに止められた。

 エドガーの目が興味深そうに光った。

「なるほど、……もしかして、箱罠ですか?」

「箱罠って?」

 首を傾げながら部屋の中へ戻るシンシアに、エドガーが笑顔で教えてくれた。

「ほら、動物を捕獲する時に、ケージの中に餌を置いて、入ってくるのを待つ罠ですよ」

「へえ、あの罠は箱罠っていうのね」

 でも、その箱罠がどうしたというのだろう。

 シンシアは再び首を傾げた。

「さて、うまく行きますかねえ」

「俺は絶対うまくいくと踏んでいる」

 エドガーとカイルは何だか楽しそうだ。ゼロも口元に微かな微笑みを浮かべていた。

 シンシアがあと3つほどミルキーピンクのグミを味わった頃。

 ランスロットが憮然とした表情で医務室に現れた。

「なぜこんなところにいる」

「えっ?えっと、カイル先生がもう一度診察しておきたいからと」

「いやー、自分から来るとは感心感心。さ、腕を出せ」

 カイルは満面の笑みで左手を差し出しながらランスロットを迎えた。すでに右手には注射器が握られている。

 ランスロットはカイルを見て眉をひそめると、無視して再びシンシアを見た。

「兵士に命じて黒の兵舎の荷物を引き取ってきた。お前の部屋に入れておく」

「あっ!」

 ここにきてシンシアは初めて、自分が黒の兵舎に荷物も何もおきっぱなしで、挨拶もせずに出てきたことに思い至った。

「どうしよう。私あんなにお世話になったのに、ご挨拶もしてない」

 シンシアは両頬を押さえ、青くなりながら思わず立ち上がった。

「気にせずとも良い。俺が依頼し、彼らがそれを引き受けたのだ」

「でも……」

 黒の軍の人々は、ランスロットを心配して沈みがちなシンシアに、本当によくしてくれたのだ。

 困った顔でランスロットを見上げると、ランスロットは小さくため息をついた。

「警護の兵をつけて黒の兵舎まで送らせる」

「ありがとうございます!」

「ただし、後にしろ。これからハールの家に行く。お前もくるが良い」

「はい」

 ランスロットは医務室を一刻も早く出ようとするかのように、大股でドアへ向かった。しかしドアの前へゼロが素早い動きで立ち塞がった。

「おいおいランス、まだ今日の治療が済んでねーぞ。早くこっち来い」 

 ランスロットはゼロを恨めしそうに見つめた。

「お許しください、我が主」

「お前はなぜ笑っているんだ」

「申し訳ありません」

 ドアの前に立ち塞がったゼロは、なぜか微笑を浮かべていたのだった。

「……お前、師匠に似てきたんじゃないか?」

 ランスロットが言い捨てると、ゼロはひどく衝撃を受けた顔をした。

 エドガーが楽しそうに声をたてて笑った。

 ランスロットは、青ざめて考え込むゼロをみて、自分の言葉が及ぼした影響を確認すると、少し気が済んだように踵を返した。そして重いため息をつきながら、諦めたようにカイルの前に座る。

「よしよし、最初から素直にそうすりゃいいんだ」

 カイルはがっしりとランスロットの腕を掴んだが、

「今少し待て、カイル」

 ランスロットはこの後に及んで抵抗し始めた。

「……腕をだせ、ランス」

「出さないとは言ってない。少し待てと言っている」 

 シンシアは我慢できなくなり、笑い始めた。

「お前は何を笑っている」

「ふ、……ごめんなさい……嬉しくて」

「何?」

 ランスロットの孤独な戦いの話を何度か耳にして、彼がずっと遠くに行ってしまった気がしていた。だけどシンシアの知っている注射の嫌いな王子様はちゃんとここにいた。

「お前は俺がこのような苦境に立たされているのが嬉しいというのか」

「ち、違いますよ、ごめんなさい」

 ランスロットが抗議するような表情を見せたのでシンシアは慌てたが、やはり笑うのは止められなかった。

「ほい、終わったぞ」

 突然のカイルの言葉に、ランスロットは振り返り、カイルの顔と自分の腕を見比べた。

「ちくちくしなかったぞ」

「だから言ったろ。俺の腕が上がったんだって」

 ランスロットは急いでいた訳ではないらしく、二人は一緒に昼食を済ませてから出かけることにした。

 兵舎を出ると、ちょうどエドガーとゼロが訓練場で剣を持ち、対峙していた。

「師弟対決か。休養日だというのに、熱心なことだ」

 ランスロットはどうやら彼らの手合わせを見学していくつもりのようで、足を止めた。

「我が軍きっての天才同士の対決だ」

 シンシアは剣の手合わせを見るのは初めてだった。

 緊迫した空気が、見学している方にも伝わってくる。

 二人は構えたまま睨み合っていたが、突然、目にも留まらぬ速さでゼロが切り掛かった。エドガーは真っ向から彼の剣を自分の剣で受け止めた。

 二人の気迫と剣が激しくぶつかる音にシンシアは驚き、思わず傍のランスロットの軍服を掴んだ。

「怖がる必要はない。あれはクレイドルを守るための剣だ」

 赤の軍の兵士はクレイドルを守るために鍛錬している。守るために鍛錬によって得られた力を、暴力と同じように恐れる必要はないということだ。

 ゼロもエドガーもその力でシンシアを守ってくれた。

 シンシアは再び訓練場に目をやった。

 二人は鍔迫り合いの状態で睨み合っている。

 日頃ふわふわとつかみどころのないエドガーが、ゼロの剣を真っ直ぐに受け止め、退かなかったのが意外だった。

「剣を交えると、相手の心や、思考を感じる時がある」

 ランスロットがポツリと言った。

 隣を見上げると、ランスロットは微かな微笑を浮かべ、二人を見ていた。

「ゼロに剣の手ほどきをしたのはエドガーだ。寄宿学校時代からの付き合いだというから、ゼロは赤の軍の誰よりも、エドガーと多く剣を交えている。……エドガーは決して心の内を明かさない男だが、ゼロには剣を通して伝わっていたものも多くあるのだろう」

 ランスロットは目を細めた。

 それは愛しいものを見つめる目だった。父が、母を。親が、子を。今ランスロットの目の前にいるのはゼロとエドガーだが、彼が見ているのは赤の軍そのものだった。

 この王様は、赤の軍を深く愛している。

 そしてシンシアは、赤の軍の兵士たちが、兵舎の使用人たちがこの王様を深く愛していることを、もう知っている。

 それは彼女が今まで見たこともないような、壮大な相思相愛だった。

 ランスロットは生まれながらの王様で、誰か個人が彼と対等に愛し合うなど、ありえないことのように感じられる。

 シンシアはランスロットの大きさに呆然としてしまった。

 近づいたと思ったら、また遠くなってしまう。

 心の奥底に寂しさに似た気持ちを感じ、シンシアが戸惑っていると、大きな金属音に意識を引き戻された。

 訓練場を見ると、ゼロの剣は地面に突き刺さり、エドガーが切っ先をゼロの喉元につけていた。ゼロは降参の意をあらわすように、両手をあげる

「良い勝負だった。ゼロはまた腕をあげたな」

 ランスロットは満足げに呟くと、歩き始めた。

 訓練場から兵舎に戻っていくゼロとエドガーのやりとりが、風に乗って聞こえてきた。

「ゼロ、弟子は師匠を超えてナンボですよ。せっかく俺がお手本を見せてあげたというのに」

「うるさいな」

「お前が俺を超えてくれるのはいつになるんでしょうねえ」

「すぐだ」

「本当にそんな日は来るんでしょうかねえ」

「す・ぐ・だ!!」

 仲が良いのか悪いのかわからない、兄弟喧嘩のようなやりとりに、シンシアは思わず吹き出してしまった。

 なるほど、ランスロットの言うとおり、剣を通してこの二人は語り合うのだろう。

「男の方には、言葉以外に会話する方法がいくつもあって、うらやましいです」

 盛大な喧嘩の後で、いつの間にかわかり合っていたりする。弟たちを見ていて時々感じてきた素直な気持ちだった。

 ランスロットが小さく笑う。

「我々はお前のように口が回らんからな」

 シンシアは、自分のおしゃべりをからかわれたと思い赤くなった。確かに今日、医務室を二人で出てから、ずっとシンシアは喋っていた気がする。魚釣りのこと、シリウスの花壇のこと、猫にからかわれたこと、酔っぱらったシリウスのことや、仔犬と猫に挟まれ眠ったこと。ランスロットに話したいことが次から次へと出てきて、止まらなかった。

 どれも本当に他愛ない小さな話で、それでもランスロットは時折笑いながら、シンシアの話に耳を傾けてくれた。そしてシリウスの実家が花屋であることなどを教えてくれたのだった。

 ランスロットが隣に元気でいてくれることが嬉しくて、はしゃぎすぎたのかもしれない。

「ごめんなさい、おしゃべりしすぎました」

「お前の声がしているのは悪くない。好きなだけ話せば良い」

 少し笑いを含んだランスロットの声は、今日の風と同じぐらい優しく響く。

 だけどシンシアははしゃぎすぎたことに気づくと、恥ずかしくて何も言葉が出てこなくなってしまった。

 しばらく無言の状態で歩いていると、突然ランスロットが言った。

「そういえば、ジョセッぺの洞窟の話をまだ聞いていなかったな」

「そうでしたね」

 この4日間、それどころではなかった。

「なぜ奴は洞窟になど行ったのだ」

「あっ、それはですね……」

 シンシアが朗らかな声で話し始めると、ランスロットの口元に、微かに満足げな微笑が浮かんだ。

 二人は並んで、馬舎の方へゆっくりと歩いて行った。

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