赤のエースの好きなもの    スタンリー夫人の楽しみ


ゼロBD2020 カウントダウン    〜ゼロのお誕生日まで、あと3日〜


 スタンリー夫人は、ハート地区の、花に囲まれた屋敷に住む小柄な老婦人だ。気立ての良い使用人メアリと、素行に少々問題があり、今は更生中の甥と3人で暮らしている。心から愛した夫を若い頃に亡くし、その時心に開いた大きな穴は決して埋まることはない。それでも彼女には優しい友人がたくさんいて、美しい景色や優しい出来事など、日々心を癒してくれるものたちと共に、穏やかな日々を送っていた。

 目下の彼女の楽しみは、赤の兵舎に暮らす若い恋人同士だった。縁あって、恋人同士になる前から二人を見守っているスタンリー夫人にとって、いまだ初々しい二人が、なんだかとても愛しかった。

 昼下がり、その女の子の方が、主治医のカイルの使いで薬を届けに来てくれた。ところがいつもにこやかな彼女が、今日はなんだか眉間にシワを寄せて難しい顔をしている。年若い友人が悩んでいるとあっては放っては置けない。スタンリー夫人は、彼女を居間に連れていき、お茶を飲みながら彼女の話を聞くことにした。

「あらまあ、お誕生日なの。ゼロもあまり欲のなさそうな人だもの、それはプレゼントに悩むわねえ」

「欲のない人?」

「夫もそうだったわ。うちの甥っ子はあれも欲しい、これも欲しいって物欲の塊みたいな子だけど、夫は欲しいものを尋ねてみても、特に何も思い浮かばない人だった」

「じゃあ、プレゼントはどうしたの?」

「出会ったばかりの頃は、そりゃ頭を悩ませたけど、そのうち、自分の贈りたいものを贈るようになったの」

 スタンリー夫人は、大昔、自分がアンリと同じように恋に胸をときめかせていた頃を思い出す。

「夫はね、何を贈っても、同じようにすごく喜んでくれたの。それがなんだか納得いかなくて、だんだん腹が立ってきてね。本人に一度聞いたことがあるのよ。あなた本当になんでもいいのねって。そしたらね」

 アンリは続きを促すように頷き、スタンリー夫人を見つめる。この少し古風でどこか風変わりな娘は、いつも熱心に話を聞いてくれる。だから日頃は聞き役に回ることが多いスタンリー夫人も、ついいろいろな話をしてしまうのだった。

「『君が何日も僕のことを考えて選んでくれたことを思うと、どんな贈り物も愛おしくてたまらないんだ』って言ったの」

「……すてき」

 あの頃のくすぐったい気持ちが戻ってきたようで、スタンリー夫人はふふふ、と笑う。

「ゼロもそういう人じゃないかと思うわ。アンリが一生懸命考えて選んだプレゼントなんだから、その気持ちをちゃんと受け取ってくれるでしょう」

「うん……そう思う」

 アンリが頬を染め、柔らかな微笑みを浮かべる。

「ね、せっかくプレゼントが贈れるんだもの、楽しんだ方がいいわ」

 ああ、これは余計な一言だった。

 スタンリー夫人は言ってすぐに後悔した。

 アンリは聡い子なので、きっと私が、今はもう夫にプレゼントできないのだということに思い当たってしまう。

 スタンリー夫人の予想通り、アンリの顔から一瞬微笑みが消えてしまった。だけどすぐに、彼女は柔らかな、力強い微笑みを取り戻した。

「そうします。ありがとうございます、スタンリーさん」

 若い娘の思いやりのある笑顔は、いつだって好ましい。

 スタンリー夫人は目を細め、心の中でそっと祈った。

 ああ、神様、どうかこの若い恋人同士がずっと幸せでいられますように。

「ふ、ふふ……アンリったら」

 スタンリー夫人は、帰る間際に躊躇いながら『もう一つの悩み』を相談してきたアンリを思い出し、ついまた笑ってしまった。

「ひとつ、自分にだけわからないゼロの好きなものがあるみたいなの」

 彼女はわかっていないわけではなく、きっと当たり前すぎて思いつかないのだ。

 心持ち肩を落としてしょげた様子はやっぱり気の毒で、余程答を教えてあげようかと思ったが、それは野暮というものだろう、と思い直した。

 スタンリー夫人は、またクスクスと笑う。

 彼女が帰ってからも、なんだか浮き足立った、わくわくした気持ちが続いていた。そして突然、まるで名案を思いついた少女のような笑顔で、パン、と胸の前で手を叩いた。

「そうだ、私もゼロのお誕生日に何か贈りましょう、せっかく誕生日を知ったことだし、彼には怪我をした時にとてもお世話になったもの」

「あら、それはすてきな御案だと思いますよ、奥さま」 

 そばにいたメアリも、すぐに賛同してくれた。

「ジュリーとマリアにも教えてあげようかしら。彼女たちもきっとゼロの誕生日を祝いたいと思うの」

 寡黙で、誠実。武骨なように見えて、その実礼儀正しく繊細な彼は、スタンリー夫人の友人たちにも、実は密かに人気があった。

「メアリ、早速出かけましょう。今日良いプレゼントが見つかれば、誕生日に間に合うように兵舎に送ることができるでしょう」

 スタンリー夫人はメアリを連れて早速町に出かけた。

 そして道道会う友人たちに、うきうきした気持ちそのままに、「もうすぐ赤のエースの誕生日だ」と話して聞かせたのだった。

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