赤のキングで妄想してみた その1 王子様とわたし —第二話—
突然の緊迫した空気に、シンシアはどうしていいのかわからず、胸の前で手を握り、そっとランスロットの横顔を伺う。
ランスロットは強い力でシンシアの肩を抱き寄せ、踵を返した。
「図書室に連れて行ってやろう」
「逃すな、ゼロ!」
白衣の男の鋭い声と共に、茂みから突然人が飛び出してきて、シンシアは短い悲鳴をあげた。
茂みから飛び出してきた男は、ランスロットの腕を掴んだ。特別な捕まえ方をしているようで、ランスロットは何度か振り解こうと試みたができず、重いため息と共に諦めた。
茂みから飛び出して来たのはゼロだった。彼は昨夜紹介された幹部の一人であり、階級はエースだ。赤の軍の特攻隊長。
ランスロットは恨めしそうな顔でゼロを見る。
「お許しください、我が主。……シンシア、驚かせてすまない」
彼はランスロットを離さないまま、シンシアに穏やかな微笑みを見せた。
「シンシア……?」
白衣の男が近寄ってきて、シンシアの顔を覗き込むと、人好きのする笑顔を見せた。笑うと垂れた目尻がさらに下がって、優しそうな顔になる。
「へえ、お前がシンシアか。話は聞いてる。俺は赤の7、軍医のカイルだ。よろしくな」
「お、お医者様なんですか……?」
てっきり悪い人かと思っていた。
ランスロットは憮然とした表情でカイルを見ている。
「全く、毎回毎回逃げやがって……」
カイルが文句を言いながら注射器の準備をしていた。
ゼロは医務室のドアのところに姿勢良く、静かに立っていた。
シンシアは成り行きで一緒に医務室までついて来たものの、まだ事態がよく飲み込めていなかった。
ランスロットは無表情で静かに座っている。膝の上に置かれた手が強く握られ、白くなっていた。
(あれ……?)
似たような光景をみたことがある気がする。
シンシアの弟は、幼い頃4人とも注射が大嫌いだったが、嫌がり方にはそれぞれ個性があった。一番下のアスランは大人しくひたすら耐え、静かにポロポロと涙を流し続けていた。いつもお医者様の方が申し訳なさそうな顔をしていた。
双子のカロンとソランは嫌がって大暴れするので、二人を別々にして、毛布で包んで抱きしめていないとだめだった。あの子たちは引っ掻いたり噛み付いたりするので、毛布が必要なのだ。
そしてすぐ下の弟ショーン。いろいろ言い訳してなんとか逃げようと試みて、逃げられないと知った時は、手が白くなってしまうぐらい握りしめ、ガチガチに緊張して注射を待った。
ちょうど今のランスロットみたいに。
(もしかして、ランスロット様は……)
遠慮がちに様子を伺うシンシアに、ランスロットが気づいた。
「どうした」
声にいつもの覇気がない。そして顔色も悪い。
(ああ、多分、間違いない)
くすぐったいような、困ったような、なんだかよくわからない気持ちが込み上げてくる。
ショーンが小さい時のことを思い出し、シンシアはランスロットの隣の椅子に腰掛けた。
「ランスロット様、子供の頃、父がよく聞かせてくれた話に、ジョセッペ爺さんのお話があるんです。ジョセッペ爺さんは70歳ぐらいで、山の中に一人で暮らしているんですけれど……」
ランスロットは、シンシアが突然何を話始めたのかと、不思議そうな表情をしたが、何も言わず耳を傾けた。
ジョセッペ爺さんの冒険は短い物語だ。物語が佳境に入ってきたところで、つられて聞き入っていたカイルははっと我に返ると、ランスロットの注射を手際よく済ませた。
「ランス、終わったぞ」
「何?」
ランスロットはカイルを振り返り、自分の腕とカイルを見比べる。
「……ちくちくしなかったぞ」
「そうか、俺の腕が上がったんじゃないか?」
カイルはとぼけて言うと、歯を見せてシンシアに笑いかけた。
シンシアは笑い返してもいいものか判断しかねて、きゅっと唇を引き結ぶようにして、目を伏せた。なんだか胸の奥の方がむずむずする。
カイルは真顔になると、ランスロットと向き合った。
「それより、医者の目はごまかせねーぞ。お前、また魔法を使ったな」
ランスロットは再び無表情になり、返事をしない。
「あと1ヶ月は魔法は使うなと言っただろう。お前はいっぺん死にかけてんだぞ。わかってんのか?」
シンシアの心臓が、どくり、と大きな音をたてた。
クレイトンたちがランスロットの体調を案じていたのを思い出す。
「あの、カイル先生、もしかして、魔法を使うのは体によくないんですか……?」
シンシアは遠慮がちに尋ねた。
カイルが説明しようと口を開いたとき、ランスロットが止めた。
「よせ、カイル」
「カイル先生、ランスロット様は昨夜、魔法で私を受け止めて助けてくださったんです」
シンシアの言葉を聞いた途端、カイルは気まずそうに顔をしかめた。天井を睨んで少し考えた後、がしがしと頭を掻くと、腹を括るように息を吐き、シンシアを見た。
「答えはイエスだ、シンシア。魔力は生命力と同じようなものだ。無茶な使い方をしたら倒れちまう」
シンシアはスカートを握りしめた。落ち込んでも無意味だとわかっていても、背中が冷え、無意識に俯いてしまう。
「あー、お前がそんな顔すんな。本来のこいつだったら、お前を受け止めるぐらいなんでもないんだ。ただ、最近ちょっと無茶したからな」
カイルは患者を安心させる医者の笑顔で言う。
シンシアはどうしていいのかわからず、ランスロットの顔を見た。
ランスロットは困ったように微笑んだ。
「お前がそんな顔をする必要はない。お前も今朝、自分の危険を顧みず俺を助けようとしただろう」
「今朝?」
シンシアは心当たりがなく首を傾げる。
「今朝、シャインに食われそうになった時だ、……ふ」
ランスロットは思い出すとまた可笑しくなったのか、顔をふせ、肩を震わせながらクスクスと笑い出した。
シンシアは赤くなり、ゼロとカイルは目を丸くして笑うランスロットを見ていた。
「シンシア、そんなことより、ジョセッペは吹雪の中どうしたのだ」
ひとしきり笑ったランスロットは、まだ笑いを残したまま顔を上げると、ジョセッペ爺さんの話の続きを尋ねた。
「あ、それは」
「おーっと、待て待て、シンシア」
続きを話そうとしたシンシアを、カイルが止めた。何かを企むような不敵な微笑を浮かべている。
「ランス、続きが聞きたかったら明日のこの時間医務室に出頭しろ。シンシア、ランスに魔法を使わせたことが気になるなら、俺に協力してもらうぜ。明日のこの時間医務室にきて続きを話してくれ」
「えっと、はい、わかりました」
そんなことが本当に協力になるのかはわからないが、シンシアはとりあえずカイルに従うことにした。
その日の消灯後、夜遅い時間。
執務室に給仕係のクレイトンが丁寧な挨拶と共に入っていった。10分ほど後、今度はメイド頭のサリーが、ホウキとちりとりを持って執務室に入って行った。
サリーが入った後、5分ほどして、サリーとクレイトンが揃って出てきた。二人はおやすみの挨拶を交わすと、いつも通りの穏やかな表情で各々の部屋に戻って行った。さらに10分ほどしてから、赤のジャック、エドガーと赤のエース、ゼロが出てきた。
最後にランスロットが電気を消し、施錠して執務室を後にした。
このひそやかな会合を、他に知る者はなかった。
シンシアは廊下の、ランスロットの部屋のドアの前で迷っていた。彼女の持つトレイの上では、大きめのカップが二つ、まだ湯気を立てていた。生姜と蜂蜜を入れた、カモミールのミルクティー。お腹を温めるとよく眠れる気がして、時々淹れるものだ。ついでだから、とランスロットの分も用意したのだが、いざ部屋の前に来てから、余計なことだったのかもしれない、と急に迷い始めたのだった。
トレイの上のお茶はいい香りを漂わせている。
(いっそ2杯とも自分で飲んじゃおうかな)
シンシアが頭を悩ませていると、突然背後から声がした。
「何をしている」
「ひ……」
悲鳴をあげそうになった口を、すかさずランスロットの大きな手が塞いだ。
もう夜も遅いのに、廊下で大声をあげてはいけない。
シンシアが人差し指を口元に当てるランスロットを見上げ、こくこくと頷くと、口が開放された。
「どうした。鍵でもなくしたのか?」
「いえ、あの……ミルクティーを入れたので、ランスロット様もいかがかなと思って」
ランスロットは観察するようにシンシアの顔を見ていたが、シンシアの方へ体を開いた状態で、ドアを大きく開けた。
「入れ」
シンシアはお茶だけ届けて自分の分は自室で飲むつもりだったが、せっかくランスロットが部屋に招いてくれたので、お邪魔することにした。
「お邪魔します……こんにちは、シャイン」
ベッドの上で、シャインは気怠そうに寝ていたが、挨拶を返すように尻尾をパタリと一回振ってくれた。
ランスロットはカップを受け取ると、ベッドに腰掛けた。
シャインがゴロゴロと喉を鳴らし、尻尾を揺らす。
「お前も好きな場所に座るが良い」
シンシアはちょっと迷ったが、自分のカップを持ってランスロットの隣に座った。
二人並んで、カップに口をつける。
甘く優しい香りが広がって、ホッと小さく息をついた。蜂蜜の甘さに、自然と頬が緩む。小さく息をつく気配が隣でもしたので、そっとランスロットを伺うと、彼も微かに微笑みを浮かべていた。
「美味いな」
「お口にあって良かったです。うちでは誰かがこれを飲もうとするとみんな欲しがるので、いつも大きなお鍋で淹れるんです」
「そうか、お前は兄弟が多いと言っていたな」
ミルクティーを美味しそうに飲んでくれたことも、話を覚えてくれたことも嬉しくて、シンシアは嬉しそうな笑みを浮かべ、ランスロットをみあげた。
ランスロットがシンシアを見つめ、シンシアの方に手を伸ばした。
シンシアの心臓が、とくりと大きく鳴った、次の瞬間。浮いたランスロットの腕の下に、すぽっとシャインが頭を入れて来た。
「シャイン、俺はそういうつもりではなかったのだが」
ランスロットは小さな声で呟きながら、伸ばしかけた手でシャインの首を撫でてやる。
シャインは満足げに目を細めた。
その様子が可愛らしく、シンシアは声を抑えて笑った。笑ってから気づく。
(じゃあ、ランスロット様は今私に触れようとしたの……?)
鼓動が駆け足になった。
いやいや、アライグマを撫でるのと一緒だから。
そう思い直すと、シンシアは鼓動を落ち着かせるために、前をむいてミルクティーを飲んだ。
「赤の兵舎はどうだ。何か不自由していないか」
「いいえ、とても快適です。お部屋は素敵だし、皆さんもとてもご親切で……カイル先生にはちょっとびっくりしましたけど」
昨夜、シンシアが兵舎に到着した時、幹部に召集がかけられたが、カイルだけがいなかった。どうやら酔いつぶれていたらしい、ということを今日聞いてびっくりしたのだ。夕方再び会ったときには、彼は幸せそうにワインのマグナムボトルを抱えていた。
「あれさえなければ、腕の良い名医なんだが」
ランスロットは笑いの混じったため息をつくと、ミルクティーを一口飲んだ。
「これは、良い香りだな」
「カモミールです。きっとよく眠れますよ」
「そうか?俺はジョセッペが吹雪から無事生還できたかどうか気になって眠れそうにない」
(ん?)
シンシアは隣を見たが、ランスロットは無表情でミルクティーを飲んでおり、その横顔からは、本気なのか冗談なのか判断できない。
なんだか楽しくなって、口元が綻ぶ。
「ではランスロット様、このお茶を飲んでいる間、ジョセッペがどうなったかお話しましょうか」
シンシアは、医務室で話していたジョセッペ爺さんの冒険の続きを話し始めた。
「そうか、ジョセッペは大木を利用してビバークする知恵があったんだな」
「はい。でもやっぱり大魔女マリオンと仲直りしないと、家に辿り着くのは難しかったと思います」
ジョセッペの冒険を最後まで聴き終えたランスロットは、満足気にミルクティーを飲み干した。そしてどこかいたずらっぽい光を宿す目でシンシアをみた。
シンシアの弟たちが時々見せる表情だ。
「良かったのか?これで俺は明日医務室にいかないかもしれないぞ」
しかしシンシアの目にも同じような光が芽生え、彼女の笑みが深くなった。
ランスロットは不思議そうに眉をあげる。
「ランスロット様、明日医務室に来てくださったら、今度はジョセッペが洞窟で迷ったときの話をお聞かせしましょう。……ご興味ありませんか?」
「何、ジョセッペの奴は洞窟にも行ったのか?」
ランスロットは驚きを隠さない。
(そんな、友達みたいに……!)
シンシアは我慢できず、笑い出してしまった。
身分のある王様がこんなに無防備でいいのだろうか。なんだか困ってしまう。
「ジョセッペはそれはもうたくさんの冒険をしています。ジョセッペ爺さんの物語は、小説家の父が、私たちが眠る前に聞かせてくれた物語なんです」
「なぜ洞窟で迷ったんだ」
「それは明日、医務室でのお楽しみですよ」
シンシアは笑いながら二つのカップを手に、軽やかな足取りで部屋へのドアに向かった。
「それではランスロット様、シャイン、おやすみなさい。また明日」
ベッドに入ってからも、なんだかくすぐったいような笑いがこみ上げて来て、シンシアはなかなか寝付けなかった。
注射が嫌で逃げて来たランスロットや、カイルの前でガチガチに緊張しながら注射を待っていたランスロットの様子を思い出すと、どうしても頬が緩んでしまう。
(可愛い)
シンシアは心に浮かんできた言葉にびっくりした。
昨夜のランスロットの印象とずいぶんかけ離れた言葉だったので、気がつかなかった。
そうか、あのむずむずした気持ちは、「可愛い」って気持ちだったのか。
たくさんの兵士たちの最高司令官で、皆の尊敬を集めている人。
それなのに、どこか無防備な人。
自分の体を顧みず、大切な魔力を使って、シンシアを助けてくれた人。
カイルに聞いた魔力の話を思い出して、シンシアはふと真顔になった。
(ランスロット様のためにできることがあれば、何でもしよう)
どんなにしても返せない恩を感じて、シンシアは真摯に決意した。だけどすぐに、ジョセッペの物語の続きを聴きたがるランスロットを思い出して、また笑いだしてしまった。
お腹のあたりがずっとぽかぽかしている。これはミルクティーのせいだけじゃない。
(そういえば、ブリジットが、男性を可愛いと思うことについて何か言ってた気がするなあ)
シンシアは、毎週夜会に出かけ、毎週新しい恋に落ちている、仲の良い友人のことをふと思い出した。
あの時、ブリジットはなんて言ってたっけ?
あくびをしながら思い出そうとしたけれど、思い出す前に、シンシアは眠りに落ちてしまった。
楽しそうな微笑みを口元に浮かべたまま。
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