ゼロ2020お誕生日当日SS その5
「ゼロはね、自分の誕生日が好きではないんです」
エドガーは、アンリにゼロの誕生日を教えてくれた時、小声でそう付け足した。
アンリにとって、今日はとても楽しい日だった。
ゼロの笑顔を、たくさん見ることができた。
欲しかったおもちゃをもらった子供のように、短剣を喜んでいた。手合わせ券をもらった時は、本当に嬉しそうで、贈ったランスロット達の方が驚いていた。アンリの作ったランチとクッキーを、美味しそうに、全部食べてくれた。
動物達に囲まれて、幸せそうだった。
「ふふ」
「どうしたんだ?」
「ゼロがクリーク一家につつかれて慌ててたの思い出した」
「……できれば忘れてくれ」
「うん、ごめんね」
でも、滅多に見れない慌てた姿はなんだかかわいかった。心のアルバムに、こっそりしまっておこう。
アンリとゼロは、馬で別荘に向かっていた。
郊外と言っても、兵舎から単騎で駆けて30分ほどの場所だったが、ゼロはアンリを抱えてのんびりと馬を歩かせたので、別荘についた頃にはすっかり暗くなっていた。
「冷えてきたな。早く中に入ろう」
確かに、山の風は街に比べると、少しひんやりしている。
二人は建物の中に急いだが、ゼロがポーチでピタリと足を止めた。
「どうし……」
ゼロは右手でアンリの口を塞ぎ、左手の人差し指を口元に当てた。
静かに。
アンリはこくこくと声を立てずに頷く。
誰もいないはずの、暗いままの別荘の中で、小さな明かりが動くのが、窓越しに見えた。
「まさか別荘荒らしとはね」
連絡を受けてすぐ、部下数名を引き連れたエドガーが駆けつけてくれた。
キングスレー家の別荘に盗みに入った不運な盗賊は8人いた。
アンリの目の前で、あっという間にゼロに倒されてしまった8人は、今、ゼロとエドガー達によって縛られ、順に馬に乗せられていた。
アンリはポーチのベンチに座って、二人の作業を眺めていた。
相変わらずこの2人は不思議だ。
会話だけを聞いていると、とても仲が良さそうには見えないのに、ぴったり息が合っている。
日頃誰に対しても穏やかに接するゼロが、エドガーにだけああなのは、実は甘えてるんじゃないかな、とアンリは密かに思っている。
そして、エドガーがとても羨ましくなってしまうのだった。
風に乗って、二人の会話が聞こえてくる。
「災難でしたねえ。ご苦労様でした」
「……お前の仕込みかと思った」
「心外だなあ。俺の仕業なら、もうちょっと骨のある人材を使いますよ」
「確かに、手応えがなさ過ぎたな」
エドガーが笑った。
軽口を叩き合いながらも、ゼロは言葉を探すように、考え込んでいる。
盗賊達の輸送の準備が完了すると、エドガーは自分の馬に優雅に飛び乗り、馬上で再びゼロを振り返った。
「ランスロット様が、休暇をもう1日くださるそうです。よかったら明後日までこの別荘でゆっくりしてくれば良いとのことです」
「でも……」
「せっかくの休暇を邪魔したお詫びだそうです。別荘荒らしからキングスレー家の別荘を守ったお礼でもある。辞退するのは、かえって失礼になると思いますよ」
そう言われてしまえば、ゼロも受け入れるしかなかった。
「……ランスロット様に、お礼を」
「伝えておきましょう。……ああ、そうだ、ゼロ。確か、この先の山道を少し登ると、なかなか風光明媚な湖にでます。明日はアンリを連れて行ってあげたらどうです?」
「ああ、そうする」
ゼロの返事に満足したように微笑むと、エドガーは前を向き、部下達を率いて馬を歩かせ始めた。
ゼロは、ただエドガーの背中を見送っているように見えた。
だけど。
「……、エドガー!」
ゼロに呼び止められたエドガーは馬を止め、部下達を先に行かせてから馬ごと方向転換した。
「どうしました?」
ゼロは走ってエドガーに追いついた。
口を開いたものの、言葉が出てこない。何も言わないまま、また口を閉ざす。
エドガーは、そんなゼロの様子を不思議そうに見る。
「……リコスなら、俺の部屋でちゃんといい子にしてますよ」
「ああ」
ゼロは、また黙り込む。
「心配しなくても、明後日からまたこき使わせてもらいます。この休暇を存分に楽しんでください」
「ああ」
それ以上、ゼロも何も言わなかったので、エドガーは再び馬の向きを変え、兵舎に向かおうとした。
「……エドガー!」
エドガーは、不思議そうに今度は顔だけで振り返った。
「その…………、ありがとう」
エドガーはわざとらしく眉を上げて、驚いた表情を作る。
そして、いつもの泰然とした微笑を浮かべた。
「こいつらを運ぶのは俺たちの任務です、お気になさらずに」
そうじゃない。
ゼロの不満そうな顔を気に留める様子も見せず、エドガーは微笑ったまま、馬を歩かせ始めた。
「おやすみなさい、良い夜を」
「……おやすみ」
ゼロは、エドガーの背中が夜の闇に紛れて見えなくなるまで、見送っていた。
その時のゼロの表情は、アンリからは見えなかった。
だけど、別荘の入り口で二人の様子を見守っていたアンリのもとに戻ってきた時には、ゼロは口元に微かな笑みを浮かべていた。
「よし、これで大丈夫かな」
暖炉では、魔法石によって灯された暖かそうな色の炎が燃えている。
ゼロは火が安定したのを確認すると、アンリを抱き上げた。
「よいしょ」
「ひゃっ」
そのままベッドに腰掛け、アンリを膝に乗せる。
「怖い目に合わせて、悪かったな」
心配そうな表情のゼロに、アンリは笑って元気よく答えた。
「ゼロが一緒だもん、怖くはなかったよ」
「……そうか」
あっという間に奴らをやっつけてしまったゼロは、とてもかっこよかった。
アンリは、そっとゼロの胸に頭を預ける。
ゼロの、心臓の音が聞こえた。
力強く、規則正しく。
目を閉じ、無意識にその音に聴き入る。
コトコトと忙しなかったアンリの鼓動も、少しずつ、落ち着いてきた。
うわずっていたような心も、静かに落ち着いてくる。
アンリは、力が抜けたように、ほっと小さく息を吐いた。
「本当はね、怖くなかったけど、……ちょっと、びっくりした」
「そうだな。もう、大丈夫だ」
「うん」
アンリを安心させるように、彼女を抱える腕に、少し力が込められた。
少し低くて、甘い声。ゆっくりと髪を撫でる手。
ゼロの腕の中は、いつだってアンリにとって一番安心できる場所だ。
腕の中から見上げると、ゼロが、何かをじっと見つめていた。
視線の先には、時計。
「どうしたの?」
「今日がもう過ぎていくな、と思って」
そう答えたゼロは、なんだか寂しそうだった。
「寂しい?」
「そうだな……少しだけ」
それなら、きっとゼロにとっても、今日は良い一日だったのだろう。
アンリはそれが嬉しかった。
だけど。
「ねえ、ゼロ」
アンリは大切なことを伝えるために、ゼロの頬に両手を添え、そっと額を合わせた。ゼロがいつもしてくれるみたいに。
「誕生日じゃなくてもね、いつでも、ゼロがここにいてくれて嬉しいって思ってるよ」
できるだけ、この心が全て伝わるように。祈るように。
「いつだって、ゼロが生まれてきてくれてよかったって喜んでるよ」
「……魔法みたいだな」
アンリの手に手を重ね、ゼロが小さな声で呟く。
「胸に刻んでおこう」
二人は、額を合わせたまま、目を閉じる。
しばらくそうしていると、ゼロの、静かな声がした。
「アンリ、俺もお前に覚えていてほしいことがあるんだ」
「なあに?」
「剣とキャンディ以外に、俺の好きなもの」
それは、この数週間アンリを悩ませ続けた謎だ。
アンリは、やっとその答を知ることができるのか、と期待しながらゼロの目を覗き込む。
「まだ、わからないか?」
ゼロは、アンリをただ見つめた。
寡黙なゼロの青い目は、時々とても雄弁になる。
アンリは澄んだ青い瞳の中に、すぐに正解を見つけた。
頬が、急激に熱を持つ。
「……私、兵舎や赤の領地のみんなの前で、盛大に惚気てまわってたのね」
「そういうことになるな」
ゼロが、小さな声で笑った。
ちょっといたたまれない気持ちで、アンリは熱い両頬に手を当てる。
「……忘れてたわけじゃないの」
「わかってるよ」
ゼロが、くすくすと笑いながら、もう一度そっと額を合わせる。
間近で、見つめ合う。
今年の誕生日はもう、過ぎてしまったけれど。
ゼロがこの世に生まれてきてくれて嬉しいってこと。
ゼロが今ここに生きていてくれることが嬉しいってこと。
いつでも、何度でも、たくさん。
どうか、ゼロに伝わりますように。
アンリは願いを込めて、ゼロにキスをした。
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