赤のエースで妄想してみた その1 愛さずにいられない —第七話—
その日の夜、ヨナにケーキをご馳走になり、夕食もしっかり食べて満足したアンリは、部屋に戻ると、まずロンドンから持ってきたスーツケースの中を確認していた。丁寧に探したけれど、やはり髪をまとめられそうなものは見つからなかった。
(包帯の切れ端、いいアイデアだと思ったんだけどなあ。そんなにみっともなかったかしら)
確かに赤の軍の兵士たちは制服を着ていることを除いても、皆身なりをきちんとしている。髪や爪もちゃんと手入れが行き届いていた。
(もしかして、ゼロもみっともないとか思ってたかな)
悩んでいると、アンリの部屋がノックされ、ドア越しに今日の警備当番のマリクの声がした。
「アンリさん、お客様だそうです」
「お客様?」
ドアを開けても、そこにいるのは今日の当番のマリクとジョエルだけだった。
「すみません、外部の方なので、門のところまでご足労いただけますか?」
外部の人間をそのまま中に入れることはできないらしい。アンリは護衛の二人と一緒に門に向かった。
「ところでアンリさん、隊長のキャンディ消費量が夕方から増えてるんですけど、なにかお心あたりはありませんか?」
マリクが門までの道すがら、アンリに問いかけた。
「キャンディ消費量?」
「新兵時代、訓練でクタクタになっていた時に、隊長にキャンディをもらったことがあるんですが、その時、聞いたんです。疲れた時やつらい時に甘いものを食べると元気になるから持ち歩いてるんだって」
アンリは初めて会った時に、ゼロが差し出してくれた棒付きキャンディを思い出した。軍服のポケットから、手品のようにキャンディが次々と出てきた。キャンディがよほど好きなのかと思っていたけれど。
(そうか。ゼロはキャンディで自分を励ましながら前に進む人なんだ)
辛い時にも、誰にも頼らず、一人で。それはとてもゼロらしかったが、何だかいじらしくて、アンリはたまらない気持ちになった。
そしてそんなゼロのキャンディ消費量が増えているということは。
「ゼロ、元気がないの?」
「隊長は表情に出さないので俺たちにはわかりませんが、キャンディの消費の仕方を見ると」
ゼロを慕うマリクとジョエルが互いに顔を見合わせ、顔を曇らせる。
「私にも、心当たりはないけど……」
アンリはゼロが心配になって、後で部屋を訪ねてみようと決めた。何かできるわけではないけれど、元気のないゼロのそばにいたかった。
門のところまで行くと、そこにいたのは派手な帽子をかぶった長身の男だった。
「オリヴァー!どうしたの、こんな時間に」
「この時間でないと来れなくてな。駄犬、お前の依頼の品を届けに来た」
「依頼の品?」
「なんだ、覚えてないのか?匂いの漏れない水蒸気蒸留器が欲しいと言っていただろう」
「あ!」
それはセントラルの酒場で、オリヴァーの発明品の話になった時のことだった。ブランが『アンリも何か欲しいものを頼んでみたらどうか』と勧めてくれたのだった。アンリは突然のことだったので、何も思いつかなくて、『匂いの漏れない蒸留装置とかあったらいいなあ』と軽い気持ちで答えた。赤の軍の薬草園が思いの外充実していたので、思いついたことだ。
「すごい、覚えていてくれたの」
「白うさ爺がうるさいんでな。全く、こんな地味なもんつくらせやがって。お前は見てくれも地味なら発想も地味だな」
「ご、ごめんなさい」
素直に詫びるアンリに、オリヴァーはふっと頰を緩めた。
「ロンドンで会った時よりは数百倍マシだがな……お、飼い主がきたぞ」
「えっ!」
アンリが振り返ると、ゼロがかけてくるのが見えた。
「ゼロ!」
アンリは自然と笑顔になった。
ゼロはちょっと戸惑うような顔をした後で、安心したように微笑んだ。
「どうしたの?」
「お前が派手な怪しい男に呼び出されたと部下から報告があった」
「おい、ずいぶんな挨拶だな」
腕組みをしたオリヴァーは、口元は笑っているが、目は笑っていない。
「すまない、オリヴァーのことだと知らなかったんだ」
ゼロは申し訳なさそうに言った。
(そういえば、ジョエルがいつの間にかいなくなってる)
アンリがマリクの方を伺うと、マリクはすました顔で明後日の方を向いた。
「まあ、ちょうどいい。駄犬の部屋までこれを運んでくれ」
オリヴァーは持っていた大きな箱をゼロに預けた。自分はカートから残り二つの小さな箱を持つ。
「お前の部屋で設置とフィルター交換の説明をする。飼い主が一緒なら誰も文句言わんだろう。それでいいな?護衛」
「もちろんです」
マリクはいきなりオリヴァーに睨まれても動じずに、にっこり答えた。
「あんたなかなかいい部下持ってるな」
オリヴァーが呆れたような声でゼロに言った。
「へえ、駄犬が今この部屋にいるのか」
アンリの部屋に着いた途端にそう言うと、オリヴァーは手際よく箱から部品を取り出し組み立てていく。
ゼロとマリクはオリヴァーの邪魔をしないように、部屋の入り口に立っていた。
「オリヴァー、来たことあるの?」
「あいつが攫われた話、しただろ。この部屋にいた」
「……そうだったの」
本当にランスロットはアリスを魔法の塔に献上するために攫ったのだろうか。
再びアンリの心に疑問が浮かんだ。
この部屋は、ランスロットの部屋のすぐ隣だ。やっぱりランスロットはアリスを守ろうとしたのではないだろうか。その方が、アンリの目で見たランスロットらしい行動で、納得もいく。でも、それなら何故オリヴァーから強引に攫うような手段をとったのか?やはりアンリにはわからなかった。
「いいか、こことここに魔法石のフィルターが入っている」
組み立てが終わると、すぐに説明が始まった。
アンリがメモを取りながら説明を聞いていると、ジョエルがランスロットと一緒に部屋にやってきた。ジョエルはゼロに言われ、オリヴァーを兵舎に入れることを報告に行っていたのだった。
部屋の入り口に立っていたゼロとマリクが姿勢を正し、敬礼する。
「よお、久しぶりだな」
オリヴァーが不敵に笑いながら、ランスロットの方に一歩前に出ると、ランスロットが警戒するようにじりじりと下がった。
(ランスロット様が、注射の時と同じ表情をしている……!)
アンリは二人の間に生じた緊張感を感じ取って、思わず身を固くした。
「安心しろ。今日はムームー砲は持ってない」
オリヴァーは笑みを深めると、両手を上げてみせた。
「発明家としてのお前に聞きたいことがある。後で執務室に来い」
ランスロットはオリヴァーの軽口には付き合わず、静かに告げた。
オリヴァーは一瞬意外そうな顔をしたが、すぐにいつもの意地悪そうな笑みを浮かべた。
「いいだろう」
「これはうさ爺からお前へのプレゼントだ」
オリヴァーは説明を全て終えると、少し不思議な形をした水蒸気蒸留器を見て言った。
「えっ」
「あいつは変わらずお前のことを気にかけている。爺孝行だと思ってもっと手紙を書くなり、顔をみせるなりしてやってくれ」
「うん、わかった。……ありがとう、オリヴァー」
アンリは護衛してくれる兵士への遠慮もあって、なかなか外に出ることはできない。こちらに来てからブランに会ったのも、カイルが飲みにセントラルまで連れていってくれた夜だけだった。
「おい、お前。執務室とやらに案内しろ」
「は、はい」
オリヴァーはジョエルと連れ立ってアンリの部屋を出て行った。
部屋にはゼロとアンリ、マリクの三人が残った。
「あ、では俺は警護位置に戻ります。邪魔者がこないように見張ってますので、ごゆっくり」
「マリク!」
マリクはゼロの声を背にドアを閉めてしまったので、部屋にはゼロとアンリ二人きりになった。
「あいつだんだんエドガーに似てきてる気がする……」
ゼロはボソリと呟いた後、アンリを見ると、何度かためらうようにしてから、口を開いた。
「昼間は、ごめん」
「昼間……?あ!」
アンリは昼間ランスロットの前でゼロ、カイル、エドガーと言い合いになったことをすっかり忘れていた。
「忘れてた。……あの、私の方こそ、怒ってごめんなさい」
ゼロが、安心したようにいつもの優しい微笑みを見せた。
「お前が謝る必要はない。お前は傷ついていた」
「でも、誤解だって後でカイルに聞いた。ゼロも巻き添えになっただけだって」
それに、アンリが怒った時、ゼロも傷ついたような顔をしていた。あの時は勢いがついて止まらなかったけど。あの時のゼロの表情を思い出すと、申し訳ない気持ちになる。
「あの時は、お前にこれを渡したくて、医務室にいくところだった」
ゼロが、ポケットから小さな箱を取り出した。
アンリが受け取った箱には、華奢な作りの髪留めが入っていた。リンゴの花のような、可愛らしい小さな白い花と蕾がいくつも象られていた。白い花の下には小さいが不思議な輝きを持つ水晶のような石がぶら下がっていた。
アンリは言葉をなくしたままゼロを見上げた。
「巡回の帰りに見かけたんだ。お前の髪に似合うと思って」
「……ありがとう」
「つけて、見せてくれないか」
アンリはゼロに言われるまま、鏡を見ながら、髪をひと束手早くひねり、もらった髪留めで止めた。
「……似合う?」
照れ臭い思いで尋ねるアンリに、ゼロは目を細めた。
「よく似合ってる」
「ヨナさんに、みっともないことするなって叱られたばかりだったの。包帯の切れ端でまとめてたから」
アンリは照れ隠しに、ヨナの話を笑いながらした。
「ヨナはそういうことにうるさいからな。気にするな」
ゼロが小さく笑った。
「……ゼロも、みっともないって思ってた?」
「そんな風に思ったことはないが、こっちの方がずっと似合うとは思う」
優しいゼロの言葉に、アンリは微笑みを返した。
「ずいぶん手慣れているんだな」
「半月前までは、髪をずっと長くしてたの。アリスと同じぐらい長かったの」
「そうだったのか」
ゼロが目を見開いた。
「二つ目の教会から逃げる時に、そこで働いていた男の子が服を交換して囮になって逃げてくれることになったの。それで、私はその子の服を借りて、男の子に見えるように髪を切ったの」
「ずいぶん思い切ったことをしたな」
「でも、そのおかげで、そのあとはブランが迎えに来てくれるまで見つからずにいたの。教会から逃げたあとは、そのまま、紹介してもらったパン屋さんでも男の子のふりをして働いていたの」
「そうか」
驚いたままのゼロに、アンリは微笑んだ。
「ブランがね、迎えに来てくれた時に私の短くなった髪を見てすごく悲しそうな顔をしたの。髪ならまた伸びるから、って私の方が慰めたぐらい。もう男の子のふりはしなくていいから、また伸ばそうと思って」
「そうか……、長く伸ばすと綺麗だろうな、お前の髪は」
微笑むゼロに、アンリははにかんだ。何だかゼロの顔が見られなくなって、目を伏せる。
ゼロの手が伸ばされ、アンリの髪に触れた。いつもなら頭の上にぽんと置かれる手が、髪留めのせいか、耳の後ろの辺りから、髪を撫でた。いつもと違う手の動きがくすぐったい。
「ずいぶん冒険をしてきたんだな。お前が無事クレイドルまで逃げてくることができて、本当によかった」
ゼロの優しい言葉が嬉しくて、アンリはゼロの髪を撫でる腕にそっと自分の両手を添えた。
「うん、私、クレイドルまで来れてよかった」
優しい赤の軍のみんなに、ゼロに会うことができた。
「お前のことは必ず守るから、もう安心していい」
「……ありがとう」
マリクの話を聞いて心配していたけれど、今のゼロの微笑みからは、落ち込んでいるような様子は読み取れなかった。だけど、優しいゼロは、きっと自分の気持ちを後回しにする人だ。アンリはゼロの気持ちを読み取ろうとじっと顔を見つめた。
「どうかしたか?」
「……マリクたちが、ゼロが元気がないみたいだって心配してたの。何かあった?」
アンリはゼロの気持ちを読み取るのを諦めて、素直に尋ねることにした。
「えっ、……ああ」
ゼロは何か思い当たることがあるみたいに、小さく笑った。
「心配いらない、もう大丈夫だ。……お前もゆっくり休め」
髪に添えられていた手が、もう一度緩やかにアンリの髪を撫でた。
「もう帰っちゃうの?」
考えるより先に、アンリの口からするりと引き止めるような言葉がでた。
ゼロはびっくりした後で、ちょっと困ったような顔になる。
「馬鹿、こんな時間に部屋に男を引き止めるもんじゃない」
アンリは自分がひどくはしたないことをしてしまった気がして、顔が一気に熱くなった。慌ててゼロの腕に添えていた両手をパッと離す。
「ご、ごめんなさい……」
ふっとゼロの頬が緩む。
「おやすみ、良い夢を」
髪に触れた手はそのままで、反対側のこめかみに、そっとキスが落とされた。
「お、やすみ、なさい……」
奇妙なイントネーションで挨拶するアンリにもういちど微笑みかけてから、ゼロは部屋を出て行った。
(あ、あれ……?)
ちょっとの間をおいて、鼓動がだんだん速くなる。アンリはそのままそこに座り込んでしまった。熱を持ったようなこめかみに手を当てる。
(いつもの仔犬扱いじゃなかった気がする……)
昼間収まったはずの嵐が、また騒ぎ始めた気がした。
ちょうど同じ頃。赤の軍の執務室では、ランスロットとオリヴァーが向き合っていた。他には誰もいない。
「……不可能ではない」
オリヴァーの言葉に、わずかにランスロットの目が見開かれた。
「距離に制限が付くだろうが」
「対象にある程度近づく必要があるということか」
「そうだ。500mか……もう少し。つくってみないことにはわからんが」
「十分だ。急いでもらいたい」
「理由は聞かせてもらえないのか」
オリヴァーの問いかけにランスロットは答えなかった。部屋に再び沈黙が流れた。
「……いいだろう。駄犬に免じて引き受けてやる」
「駄犬?」
「あいつはあんたに全幅の信頼を置いている」
オリヴァーの言葉に、ほんのわずか、ランスロットの目元が和らいだ。
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