おまけの殿下


 うねうねと。無脊椎動物の足らしきものがうねりながら伸びている。その動きは、オズワルドの水色の足によく似ているが、色は彼のものよりずっと暗い、夜の海の色をしていた。意のままに動かすことができたので、それが自分の足だとすぐに理解できた。

 うねりながら伸びてゆく足の先には、MCがいた。

 おそらくは、本能的な恐怖だろう。

 MCは私に背を向け逃げようとした。その細い腰に、しゅるりと足を巻き付ける。柔らかくぬめった足は、彼女の肌を傷つけずに、彼女の動きを封じる。

 私は躊躇なく、もう一本の足を、彼女の胸を覆う水着のなかに潜り込ませた。その足は、彼女の白い肌と夏の日差しによく似合っていた、明るいミントブルーの布を容易に剥いでしまった。足先が、あらわになった小ぶりな胸の先端をするりと撫でると、か細い悲鳴のような声をあげて、彼女の背中がびくりと震えた。逃げようとしていた彼女の体から、力が抜けたのがわかる。

 よく知っているよ、君はここがとても弱いんだ。

 私は抵抗する力を無くした彼女の体を、細い腰に巻きつけた足一本で軽々と持ち上げ、こちらを向かせる。

 彼女が、怯えた、縋るような目で私を見た。

 だめだよ、MC。悪魔にそんな表情を見せてはいけない。

 ごくり、と喉がなった。

 胸を隠そうとする両手に、別の二本の足を巻き付け、自由を奪う。

 彼女の唇が、懇願するように、「殿下」と動いた。

 MC、愛し合う時は、名前で呼んでくれと言ったはずだ。

 ペナルティの代わりに、胸元に巻きつけた足の先を滑らせ、彼女の弱い部分をくすぐった。彼女は切ない声をあげ、体を捩ると、自分の足を体に引き寄せようとした。   

 私はそれを止めるために、別の二本の足を彼女の両足首に巻きつけた。そのまま、足首から螺旋を描くようにするすると腿の方へと滑らせていく。私の足先が彼女の内腿にたどり着き、撫であげると、彼女の体がまた震えた。

 足先をさらに進め、彼女の足の付け根から、水着の下に滑り込ませる。

 私の意図を察した彼女が、ひゅっと息を飲んだのかわかった。

 彼女は多少抵抗を試みたのかもしれないけれど、可哀想なぐらいに非力だ。

 私が水着に潜り込ませた足をわずかに肌から浮かせるだけで、その細い布は千切れた。

 彼女が足を閉じようとしたので、巻きつけた足で、さっきまでよりも大きく開かせる。かろうじて片足にひっかかっていただけの小さな布がずれて、彼女がいつも私を受け入れてくれる部分があらわになった。

 彼女は頬を染め、居た堪れなさそうに、ぎゅっと目を閉じる。

 MC、悪魔にそんな表情を見せてはいけないんだ。

 私はまたそこへ別の足を伸ばした。

 足先が掠めると、彼女は声にならない声をあげ、小さな子供がいやがる時のように首を横に振る。

 ゆるゆると触れた部分を上下させるだけで、そこはとろりととろけるように開き、私を誘った。

 足の先をわずかに沈めてみると、その中は私の体と同じぐらい、熱い。

 彼女はもう快楽に抗うのをやめていた。絶え間なく吐息まじりの甘い声がこぼれ落ちる。いつものように、頬から首筋までが赤く上気し始めている。浅い場所を少し探っただけで、彼女は悩ましげに自ら腰を揺らし始めた。

 ディアボロ。

 彼女の甘い声が私の名を呼ぶ。

 もう我慢できない。

 私は彼女の両足に巻きつけた自分の足で、彼女を引き寄せた。

 ああ、彼女の足をこうしておけば、いつもよりもっと深い場所で愛し合える。

 私はうっとりと、体を沈めた——。

「はっ……」

 ゆったりと回るダークブラウンのシーリングファンが目の端に止まった。視界にあるのは、見慣れたペントハウスの天井だ。

 混乱して、夢をみていたのだと理解するまで時間がかかった。

 心臓がばくばくと早鐘をうつ。胸を抑えながら、努力して深い息を繰り返し、なんとかして荒い呼吸を整える。

 そっと隣に目を移すと、私に寄り添うようにして、健やかな寝息を立てているMCの姿があった。同時に、夢の中でみた彼女の姿が蘇って、思わず両手で顔を覆った。

(私は、なんて夢を……!!)

 彼女にも、オズワルドにも申し訳が立たない。

 私の体から、オズワルドのような足が生え、思うままに彼女を蹂躙するなんて、そんな夢……、だめだ、やめろ、反芻するんじゃない。

「ん……殿下?」

 眠そうなMCの声がして、びくりと肩がはねた。

 うしろめたくて、とてもじゃないが彼女の顔を見ることができない。

「ごめん……!」

 私は彼女をベッドに残したまま、バスルームに駆け込んだ。

 途方もない罪悪感に苛まれながら、冷たいシャワーを頭から勢いよくかぶる。

 それにしても、どうしてあんな夢を見てしまったのか。

 やけに感触がリアルだった。彼女の滑らかな肌を滑る感触、あのぬくもり、そして熱。思い出すまいとしても、鮮やかすぎるぐらいにくっきりと彼女の姿が脳裏に浮かび、下半身に熱が集まる。冷たいシャワーなどなんの効果もない。

 処理してしまえば多少はすっきりするだろうとわかっていても、あの夢を思い描いてしまいそうで、それは心が咎める。

 私は夢の中で蹂躙される彼女の姿に、ひどく興奮していたのだ。それがとてもうしろめたかった。

「殿下、大丈夫?」

 ひかえめにバスルームのドアを叩く音が聞こえ、びくりと身を硬くする。

 MCが、様子のおかしかった私を心配して起き出してきたようだ。 

 どう返事をしたものがためらっていると、ゆっくりとドアが開けられた。シャワーブースのガラス越しに、ドアの隙間から心配そうな顔を覗かせる彼女がみえた。

「なんでもないよ、シャワーを浴びていただけなんだ」

 私はなんとか笑みを浮かべてみせた。

 ほっとした笑顔を見せた彼女は、次の瞬間、真っ赤になって俯いた。

 少し遅れて、冷たいシャワーの甲斐もなく、ほとんど立ち上がった状態の自分の股間を晒していたことに気づく。

「ごめん!」

 私は慌てて体の向きを変えた。

 タオルを持たずにバスルームに飛び込んだので、彼女に背中を向けることでしか、この浅ましい姿を隠すことができない。

 こんな情けない姿を彼女に見せたくはなかった。

 拳を握りしめ、ドアが閉まる音を背中に聞いて、ほっと息をつく。

 それなのに、握りしめていた拳が、小さな手に柔らかくつつみこまれた。

 驚いて振り返ると、バスローブを脱ぎ捨てた彼女が、バスルームの中にいた。

「あの……わたし、どうすればいい……ですか」

 彼女は私の拳を震える両手で握り、俯いたまま、消え入りそうな声で尋ねた。

 髪の間から覗く小さな耳が、真っ赤に染まっている。

 ああ、全く、人の気も知らないで——。

「君というひとは……!」

 私は彼女を抱きすくめた。

「殿下、体が冷たい!お水浴びてたの?」

「心配いらない、すぐに熱くなる」

 シャワーの温度を上げ、その下で彼女に口付ける。髪に、頬に、肩に、唇を押し付ける。

 彼女が応えるように、細い腕を私に巻きつけた。

 立っていられなくなった彼女が、壁に背中を預ける。私は脱力してしまった彼女の体を持ちあげ、彼女の中に押入ろうとした。いつもよりずっと早急な行為に、だけど起きたばかりの体は、わずかな抵抗だけで私を受け入れた。彼女があえかな声をたて、ぎゅっと私にしがみつく。

「MC、MC……」

 夢中で彼女の名前を呼ぶ。

 乱暴に扱ってはいけない、優しくしたい、優しくしたいのに。

 夢の中の光景が、脳裏に切れ切れに蘇る。それが私をひどく凶暴な気持ちにさせてしまう。私の中の何かが荒れ狂って、出口を求めている。

 跳ねる彼女の体がぶつからないように、壁と彼女の間に腕を入れた。頭を右手で支える。彼女は溺れる人のように、細い腕と足を私にからめ、必死でしがみつく。彼女の中が、同じように私にしがみついてくる。

 ディアボロ。

 舌足らずに私の名を呼ぶ、甘やかな声。

 濁流のように、獰猛な気持ちが押し寄せる。私は理性を手放し、その濁流に身を任せた。

 

 疲れ果て、腕の中でぐったりとしてしまった彼女を、ベッドに運んで、そっと寝かせた。

 シーツからのぞく細い上腕が一部赤くなっているのを見つけ、どきりとする。

 赤い痣は、私の指の形に残っていた。

「ごめん、痛かったね」

 赤い跡を、そっと指でなぞると、彼女は気だるそうに頭を動かし、その痣に目をやった。

 いつもはもっと彼女の体を思いやることができたはずだ。さっきの私は本当にどうかしていた。

 まるで知性のない獣のように彼女を欲した。

 どうしようもない後悔で俯いた私の頭を、彼女の手が、そっと撫でた。

 顔を上げると、彼女は微笑んでいる。

「大丈夫だから。……でも、ちょっとだけ、きゅうけい、……」

 彼女は最後まで言う前に、すとんと眠りに落ちてしまった。

 凪いだ海のように、平か。お腹が足りて眠ってしまった子供のような健やかな寝顔に、つい頬が緩んだ。

 彼女が、大切だ。

 とても、大切だ。

 真珠を育てる貝のように、この手の中に大切に包み込み、全てのものから守りたい。

 自分の中に、あんな獣がいることを認めたくはなかった。彼女を蹂躙することに愉悦を感じる浅ましい獣。大切な大切な彼女を、容易に傷つけてしまいそうな凶暴な欲。

 これは、私が悪魔だからなのか?

 そして、彼女が人間だからなのか。

 私は急に彼女のそばにいるのが怖くなり、眠る彼女を置いて部屋をでた。

 共有スペースには幸い誰もいなかった。

 あの賑やかな兄弟たちがいないことに、今はほっとした。

 ソファに座り、新聞を広げる。だけど視線は新聞越しに、大きな窓から見える海の底をぼんやりと眺めていた。

 懸命に心を落ち着ける努力をする。

 だけど忘れようとすればするほど、うねうねと蠢く8本の足に翻弄されていた、MCの艶かしい姿が鮮やかに脳裏に蘇る。確かに夢だったというのに、彼女の中に体を埋めた時に感じた熱まで、生々しく残っている。この胸にあふれんばかりに感じた、彼女の自由を奪い、思う様に蹂躙する悦び。

 許し難いことに、あの夢の中で、私は確かに愉悦を感じていたのだ。

 嫌がるMCをあの8本の足で——。

 いや、待てよ、MCはそれほど嫌がっていただろうか——。

「おはようございます」

「ひっ、ごめんなさいぃ」

 突然背後から声をかけられて、思わずガタガタと椅子とテーブルを鳴らしてしまった。

 我ながらなんともみっともない有様だ。

 ティーセットを運んできたバルバトスが、咎めるように眉根を寄せた。

「坊っちゃま、次期魔王が情けない声を出さないでください」

「……おはよう、バルバトス」

 私は咳払いをして背筋を伸ばし、なんとか取り繕おうとした。

「なぜ謝られたんです?やましい夢でもご覧になったので?」 

「どうしてわかるんだ?怖いよ君!」

 長い付き合いになるこの執事の前では、何も取り繕うことができない。

 彼は、優雅な手つきで紅茶を用意しながら、慈愛に満ちた微笑を浮かべた。

「そこまでお気になさらなくても、夢の中だけなら、それほど罪はありませんよ」

 穏やかな声。立ち上る紅茶の良い香りが、少し心を落ち着けてくれた。

「坊っちゃまの心の中は、坊っちゃまだけのものです」

 そう、私の夢の中だけだ。実害はない。

 私が悪魔である以上、そして彼女を手放す気がない以上。

 私の中に獣がいるなら、それを飼い慣らしていくしかない。

 現実世界で私は決してMCにあんなことはしない。

 現実にあんなことは起こり得ないのだから。

 ——いや、待て。

 多少の魔力は必要だが、この手足の形状を一時的に変えることは可能だ。夢の中のように8本とまではいかなくとも、オズワルドのように自在に動く足が4本もあれば、それなりに……。

「坊っちゃま、節度を保ってくださいませ」

 執事の声に、強引に現実に引き戻された。ひゅっと心臓が縮んだような感覚を味わう。

「バルバトス、君、ひょっとして私の心が読めるのかい?!」

「まさか。……でも長いつきあいですから、読めてしまうこともたまにあります」

 万能執事はこともなげに恐ろしい言葉を吐き、美しく微笑んだ。私は引き攣った笑みを返しながら、先ほど心に浮かんだ願望に近い想像を、心の奥深く、ずっと深くに封印したのだった。

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