愛さずにいられない —第十八話—


赤のエースで妄想してみた その1 愛さずにいられない —第十八話—


 意識不明の状態で運び込まれたゼロは、特別処置室に寝かされた。

 その手前の廊下で、ランスロットの前に、エドガー、マリク、ボリスが並んでいた。

「報告を」

 現場にいたマリクとボリスが説明する。

 ゼロを含む三人は、セントラル地区の調査を続けていた。その時、装置が大きく反応したので、あるホテルを調べることにした。一番装置が反応した部屋はちょうど宿泊客が留守で、後でもう一度でなおすことにしたのだが、その直後、人通りのない路地でローブを着た五人の男たちに囲まれた。

「魔法学者ですか?」

 いつもの微笑を消したエドガーが尋ねた。

「人相は確認できませんでした」

「奴らのローブには印象操作の魔法がかけられている。まずは間違い無いだろう」

 彼らが魔法攻撃を仕掛けてきたので応戦していたところ、ゼロが急に首を押さえ、苦しみ出したらしい。

「隊長は苦しみながら、俺たちにすぐ逃げるように指示を出されました。俺たちは、その場を離れ、助けを呼びに行きました。巡回中の兵士を連れて戻ってきたときには、もう……」

 魔法攻撃でボロボロになったゼロが倒れていたらしい。

「装置の反応レベルは」

「オレンジです」

 ランスロットとエドガーが驚きを顔に出した。オリヴァーの装置は、魔法石の量によって画面の色が変わるようになっていた。一般の民家に蓄えられている程度の魔法石ならブルーで無反応、会社や大きなホテルに蓄えられている程度ならグリーン、オレンジは警告、つまり尋常ではない量の魔法石。ホテルの一室に相当な量の魔法石があったという事になる。

「おそらく宝探しの間に、もう一つの宝の山を見つけてしまったのでしょう……ランスロット様、どうかご指示を」

「よかろう。現在の特務を一時的に解く。至急その魔法学者たちの正体を探れ」

「はっ」

 エドガーはマリクとボリスに向き直る。

「お前たちの小隊を使う。マリク、お前の隊から六人選び、私服で兵舎の入り口に5分後に集合。ボリス、お前の隊は待機。会議室で、お前の隊員とマリクの残りの隊員に事情説明を」

「かしこまりました」

 マリクとボリスが廊下をかけていく。非常事態なので、誰も何も言わない。

 エドガーはいつものように微笑を浮かべている。だけどチリチリと放電するような怒りが、彼を包み込んでいた。

「カイル、ゼロのことは頼みますよ」

 エドガーはカイルの肩を叩くと、そのまま踵を返した。

「おう」

 カイルは厳しい表情になると、ツカツカとアンリの方へ歩いてきた。

 呆然と立ち尽くしていたアンリの頰が鳴った。

「看護師の仕事ができねーなら、邪魔だ。部屋に戻ってろ」

 頰が熱く、カイルに頰を叩かれたのだと気づく。

「カイル、指示を」

 アンリは呆然とした表情のまま、かろうじてカイルに答えた。

 カイルの指示に従い、アンリは点滴を用意する。まるで水の中を動いているような感覚で、現実感が戻ってこないまま氷を取りに行った。アンリは何も考えられなかった。だけどアンリの意思とは関係なく、体が働いてくれた。

 ゼロは意識不明のまま、特別処置室のベッドで浅い呼吸を繰り返していた。

 翌日の夜も、現実感が戻らないままアンリはゼロの看病を続けていた。ゼロの容体は変わらなかった。高熱は下がらず浅い呼吸を繰り返している。看護師であるアンリにできることは限られていた。ただ、氷枕を変え、額のタオルを変え、汗をぬぐうことしかできない。アンリは無力感に苛まれながら、ただ苦しそうなゼロを見守り続けた。

 隣の部屋で仮眠をとっているカイルもまた、無力感を抱えているはずだった。魔法攻撃による外傷は手当てができるが、過剰に浴びた魔力を医療の力でどうにかすることはできない。ただ、その影響がゼロの体から消えるのを待つしかできない。ゼロの体に備わった回復力と、過剰に浴びた魔力が与え続けるダメージの競争であり、ゼロ自身の体が戦うしかないのだと、アンリは聞かされていた。

  アンリは後悔にも似た気持ちで、ぎゅっと目を閉じた。次の瞬間。

 突然部屋が明るくなったように感じて、驚いて目を開いた。

 青く眩しい光が部屋を包み、光が消えたかと思うと、部屋の中に見知らぬ男が立っていた。黒い服にグレーの上着のフードを目深にかぶっているので、顔は見えない。

(魔法……!)

 昨日聞いた、ゼロが魔法攻撃にやられた、というカイルの説明を思い出し、恐怖で体が震える。

 アンリは震える足でベッドと男の間に回り込むと、ゼロを守るように、両手を広げ、男の前に立ちふさがった。必死で男を睨むけれど、手と足の震えは止められない。

「俺は君たちの敵ではない」

 男が静かに告げた。

 アンリは初めて男が顔の左半分に仮面をつけていることに気づいた。露わになっているグレーの右目は、思いの外澄んでいる。彼は、少し困ったような顔をしていた。

 彼を信じていいのか、アンリには判断できなかった。

(どうしよう、誰か人を……)

 アンリが隣の部屋で仮眠をとっているカイルを呼ぼうとしたとき、再び青い眩しい光が部屋を包んだ。

「アンリ、そいつは敵ではない」

「ランスロット様!」

 突然部屋に現れたランスロットに、それでもアンリはホッとした。

「お前があからさまに怪しい現れ方をするからだろう」

 ランスロットは仮面の男を非難するように言った。口調から、ランスロットと仮面の男が親しい間柄であることが、アンリにもわかった。

「兵舎に足を踏み入れるなら、まずキングに挨拶をするべきだと思うが?」

「お前に用はない。俺はゼロの様子を見にきただけだ」

 仮面の男は吐き捨てるように言うと、アンリの方を向いた。

 淡い微笑みを浮かべた顔は優しかった。

「俺はハール・シルバー。ゼロを診せてもらえるか」

 アンリはもう一度ランスロットの方を伺った。ランスロットが頷いたので、アンリはハールの前から退いた。

 ハールはベッドの方へ進むと、ゼロの手に自分の手を重ねた。いくつかの魔法石がゼロの上に浮かんだ。どの魔法石も、アンリの知っている魔法石より明るく輝いており、不思議な色の光を放っていた。

 アンリには、何がおきているのかわからなかった。ハールはゼロの手に自分の手を重ねた状態で、動かない。アンリはランスロットに倣って、ただハールとゼロを見守るしかなかった。

 どれぐらいそうしていただろうか。浮かんでいた魔法石が、次々と輝きを失って落下していった。

「ハール、もうよせ」

 ランスロットが突然言った。見ると、ハールの額には玉のような汗がびっしりと浮かんでいて、表情も苦しそうだった。ぐらり、とハールの上体がかしいだが、ランスロットがすぐさま支えた。

 ハールはゼロから手を離した。息が荒い。

「ハール、無茶をするな」

 ハールは息を整えるように何度か深く息を吸った。支えようとしたランスロットの腕を押しやり、自分で立つ。ハールが片手をあげると、輝きを失い落ちた魔法石が彼の手元に戻っていった。

「明日、また来る」

 ハールはランスロットから離れた。

「ハールさん!」

 アンリに呼び止められ、ハールが振り向いた。

「さっきは失礼な態度をとってごめんなさい」

 ハールは少し困ったような表情を見せると、

「次はもう少し優しく迎えてくれるとありがたい」

 と言い残し、現れた時と同じように、青い強い光を伴って消えた。

 アンリはゼロのそばに行った。

(呼吸が、少し楽になっている気がする)

「ランスロット様、ハールさんはゼロに何をしたんですか?」

「今のゼロは魔力を過剰に浴びた状態だ。その過剰な魔力が体から抜けてしまうまで、ゼロは回復しない……ハールは過剰な魔力を体から抜く手助けをしている」

 ランスロットはゼロを見つめながら、続けた。

「アンリ、お前ちゃんと睡眠はとっているのか」

「はい、朝8時にカイルと交代して、部屋に戻ります」

「そうか。では朝食に付き合え。8時に迎えに来る」

「えっ」

「異論は聞かない……それから、ハールのことは他言無用だ。ゼロ本人にも言うな」

 ランスロットはそう言い残すと、ハールと同じように青い光を伴って消えた。

 アンリはゼロに視線を戻した。

(気のせいじゃない、やっぱり呼吸が少し楽になっている)

 相変わらず装置の下での浅い呼吸ではあるが、さっきまでよりは幾分穏やかになっている。

 熱は変わらず高いままだ。

 アンリはゼロの額のタオルを取ると、もう一度氷水につけて冷やしてから絞り、またゼロの額に戻した。別の濡らしたタオルで、顔に浮かんだ汗を、そっと抑えるようにして拭う。今アンリにできることは、それだけだった。

 アンリは朝まで、何度も無力感に苛まれながら、それでも、同じ作業を繰り返し、ゼロを見守り続けた。

 窓の外が明るくなってきた頃、カイルが隣の部屋から出てきた。

「カイル……もう少し休んでいても大丈夫だよ」

「うん。様子はどうだ」

「熱は変わらず高いまま。でも、呼吸が少し楽になったみたい」

 アンリはカイルに場所を譲ると、氷枕を変えに行った。

 新しい氷枕を持ってきたアンリに、カイルはゼロから目を離さず言った。

「昨日よりはマシな状態だ。……負けるなよ、ゼロ」

 昨日と同じく予断を許さないということだ。ゼロは今も戦っている。

 アンリが自分の無力さに唇を噛み締めていると、カイルがふと顔を上げた。

「そんな顔すんな。こいつは散々鍛えてっからな。体力勝負じゃ負けねえ」

 カイルがいつも見せる、患者に慕われる笑顔だ。アンリも気合いを入れて、微笑み返した。

 8時にランスロットがやってきた。

「カイル、ゼロの具合はどうだ」

「昨日よりはマシ。でもまだ気は抜けねえ」

「そうか。アンリ、行くぞ」

「ランス、お前何しにきたの」

「アンリを朝食に連れて行く」

「ああ、……頼むわ」

 カイルはふと表情を緩めると、ひらひらと手を振った。

「これは、アンリさん。おはようございます」

 食堂に行くと、給仕係のクレイトンが安心したような笑顔で迎えてくれた。

「何か消化の良いものを用意してやってくれ」

「かしこまりました……、ランスロット様」

「なんだ」

「ヨナ様からランスロット様の特別朝食メニューを承っておりますが」

 ランスロットは悩ましげに眉をよせた。

「……代わりに、何か軽いものを」

「かしこまりました」

 クレイトンはアンリにこっそりウィンクしてみせると、キッチンの方へ戻っていった。

 間も無く、アンリとランスロットの元にチキンスープのボウルがやってきた。

 あまり食欲を感じないまま、アンリはスープを一匙口にした。久しぶりに感じる温かさが、喉をとおって、お腹からアンリ自身を温めてくれる。

(あれ……?)

 アンリは、自分がひどく空腹なことに、初めて気がついた。ふた匙めを飲む。アンリはスプーンを一度も置かず、スープを飲みきった。

 向かいの席のランスロットは、じっとアンリを見ていたが、そっと小さな息をついた。それは、安堵のため息に似ていた。

(どうしてこんなに空腹なんだろう)

 アンリは、これより前に何を食べたか思い出そうとしたが、思い出せなかった。アンリは、ゼロが運び込まれてから、何も口にしていなかったことにやっと気がついた。

 そうか。だから、ランスロット様は、私を心配して。

 アンリは、医務室から見送ってくれたカイルや、アンリを見て安心したクレイトンの笑顔を思い出した。

「……ご心配おかけして、すみませんでした」

 アンリはいたたまれない気持ちで頭を下げた。

「アンリ、その図太くたくましい生命力は、お前の美点だ。失くしてくれるな」

 ランスロットが静かに言った。素直に褒められた、と感じることはできない言い回しだったが、それはとても温かい言葉だった。

 アンリはこみ上げる涙を、ぐっと堪えた。

 今は、泣かない。ゼロが、戦っている間は。

 ランスロットはアンリが涙ぐんだことに、気づかないふりをしてくれた。

 クレイトンが、スープを綺麗に飲み終えたアンリに、アイスクリームの乗ったワッフルのプレートを持ってきてくれた。

「看護師さんは体力が必要ですからね」

「ありがとう」

 クレイトンはランスロットの前にキッパーとバタートーストのプレートを置くと、笑顔のまま紅茶を淹れてくれた。

 アンリはミルクティーを二杯とワッフルのプレートを綺麗に平らげた。

「お前はそれで良い」

 満足げに言うランスロットに、アンリは笑顔を返すことができた。

 ゼロは、負けない。だから、私が負けるわけにはいかない。しっかりしよう。

 ランスロットやカイル、クレイトンの思いやりが、アンリに力をくれた。心もお腹も満ちたアンリは、前向きな気持ちで、気合を入れ直した。

 12歳のふくれっ面のアンリが、暖炉の前で犬のフェンリルにもたれていた。フェンリルは気持ち良さげにまどろんでいた。

「人間はな、アンリ。ない恋を取り繕うことも、ある恋を隠すこともできないんだ。フレッドは、アンリの中に自分と同じ恋がないのがわかって、悲しかったんだろう。そっとしておいてやれ」

 フレッドは二週間に一回ぐらい、祖父と街に買い物に出た時に立ち寄る店の子供だった。祖父は時々アンリをその店に預けておいて他の買い物を済ませたりしていたので、フレッドとは幼馴染のようなものだった。

 12歳になったぐらいの頃、自分はアンリに恋をしている、とフレッドに打ち明けられたが、アンリはただ戸惑うだけだった。その次の週に街に出かけた時、フレッドはアンリに会ってはくれなかった。ひどく理不尽な裏切りを受けたような気持ちになって、ふてくされているアンリに、祖父が言った言葉だった。

「お祖父様も恋をしたの?」

「そうだな」

「お祖母様と?」

 アンリは聞いてからしまった、と思った。祖父は祖母のことを思い出すと、無口になってしまうから。でも、あの時は違った。

「ああ、そうだ」

 祖父は遠くを見るようにして微笑んでいた。珍しくブランデーを飲んでいたからかもしれないし、他に理由があったのかもしれない。

 それは幸せな夢を見ているような微笑みだった。

「お祖父様は、お祖母様に会ってすぐに恋をしたの?」

「うん……」

 祖父は少し言い淀んだ。

「笑ってくれるなよ、アンリ。お祖父様は往生際が悪くてな。逃げたんだ」

 アンリは目を丸くした。いつも冷静で堂々としているお祖父様が逃げるなんて、想像もつかなかった。

「恋というのは、恐ろしいぞ。逃げても逃げても追いかけてくる。そうしていつか、大きな口をばくりと開けて、お前を飲み込んでしまう」

 祖父の話が、まるでモンスターのようで、アンリは顔を固くする。

 祖父は、そんなアンリを見て、喉の奥で笑った。

「お祖父様も捕まったの?」

「ああ、あっという間に飲み込まれてしまった」 

「飲み込まれるとどうなるの?」

「そうだな……とても苦しくて、とても幸せになる」

「苦しいのに、幸せなの?」

 祖父は答えずに、微笑んだ。

「私は、捕まらない。今みたいに、ずっとお祖父様と、フェンリルと一緒にいる」

「そうか」

 祖父の大きな手が、アンリの頭に置かれた。見上げると、祖父は微笑んでいた。

「子供が大きくなるのは早いものだな」

「お祖父様、私、恋に捕まってしまったの」

 今のアンリの声が、祖父に告げる。

「そうか」

 あの時と変わらず、祖父の手がアンリの頭に置かれた。見上げると、微笑んでいるのは、ゼロだ。優しい、青い目がアンリを見つめる。

 ――ほら、捕まった!

 びくり、と体を震わせると同時に、アンリは目を覚ました。

 頬が理由のわからない涙で濡れている。心臓が早鐘を打っていた。

 アンリは溺れた後のように、荒い息を繰り返していた。

「ゼロ……」

 名前を呼ぶと、また新しい涙が溢れた。

 どんなに逃げようとしても、逃げることはできない。

 アンリの心にずっと潜んでいた小さな嵐は、気づいた途端に大きく膨らんで、あっという間にアンリを飲み込んでしまった。

 むせ返るような、春の息吹のように。ゼロを愛おしいと思う気持ちが溢れて、溺れて窒息しそうだった。

 お祖父様のいう通り、とても苦しい。だけど、幸せ。

 私は、ゼロに恋をしている。こんなにも。

 アンリは嵐の吹き荒れる心が鎮まるまで、ベッドに起き上がったまま動けなかった。やがて、唇を噛み締め、ネグリジェの袖でぐっと涙を拭うと、顔を洗いに行った。

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