赤のエースで妄想してみた その1 愛さずにいられない —第二十二話—
アンリがカイルと一緒にガーデンに着いた時には、両軍の幹部もほぼ集まっていた。祝賀会はそれほど改まったものではなく、両軍のキング、ランスロットとレイがそれぞれ簡単に挨拶して、乾杯すると、皆自由に歩き回り、歓談を始めた。
アンリはゼロを探して会場を見回した。彼は準備を手伝うから、とアンリたちより一足先にでていた。ガーデンの反対側の一角で、エドガーとシリウスと一緒に、何か真面目な顔で話しているゼロを見つけた。
(仕事の話かな……)
アンリがゼロのところに行くのをためらっていると、急に後ろからふわっと抱きつかれた。
「久しぶり!元気だった?」
「わっ、アリス!」
抱きついてきたのはアリスだった。甘いお菓子のような匂いがして、おなじ女の子なのにやっぱりドキドキする。
オリヴァーは駆けてきたアリスの後から、長い足でゆっくり歩いてきた。
「どうやら俺の作った装置が貢献したらしくて特例で俺たちも招待された。ランスロットからな」
「うん、オリヴァーの装置が潜んでる魔法学者を見つけだしたんだって聞いた。やっぱりオリヴァーはすごいね」
アンリが心から称賛すると、アリスまで誇らしげに頬を染め、にっこりした。
今のアンリには、アリスの気持ちがわかる。ゼロが魔法学者をやっつけたことも、マリクの問題をあっさり解決してしまったことも、誇らしく感じているから。恋する相手の活躍は、嬉しいものなのだ。
「まあ、ちょうどよかった。今日は俺もブランに付き合ってロンドンまで行くつもりだったからな。ガーデンに忍び込む手間が省けた」
「えっ!」
「あの白ぼけ爺、メガネなくして道に迷ったり、うっかりお前の書類なくしたりしそうだからな。今回のみ、付き合うことにした」
「オリヴァー……」
確かにオリヴァーが一緒に行ってくれたら、こんなに心強いことはない。
アンリがアリスを見ると、アリスは心配いらない、というように、にっこり笑ってくれた。
「ごめんなさい、巻き込んでしまって。……本当に、ありがとう」
オリヴァーは珍しく柔らかい笑顔を見せた。
「お前はここでポンコツを見ていてくれ」
「わかった。アリスに悪い虫がつかないように、私が守る」
ぎゅっと胸の前で拳を握りしめ宣言したアンリに、オリヴァーは吹き出した。
「なかなか頼りになりそうだな。よし、これをやる」
オリヴァーはポケットから掌大のボールのようなものを差し出した。いつか見せてもらった、カイルの目覚ましを利用した『兵器』の試作品に似ている。
「これ、もしかして……」
「アンリ玉の完成品だ」
「その名前やめてって言ったのに……!」
「もうこの名前で流通しちまったからな、諦めろ。いいか、基本はこの間の試作品と同じだが、この青いピンを抜いてから本体を押すと、水鉄砲のように、連続的に少しずつ例の液体が出続ける。赤いピンを抜けば、前と同じだ。衝撃で破裂する」
「へえ……」
前回の試作品より明らかに洗練された形になっている武器を見て、アンリは思わず感嘆の声をあげた。水鉄砲モードは使い勝手が良さそうだ。
「もししつこい奴がいたらぶちまけてやれ」
オリヴァーが不敵に笑った。
「わ、わかった……」
アンリはひとまず二つの『アンリ玉』を受け取り、ポケットにそっとしまった。
エドガーの言った通り、制服のポケットは『アンリ玉』を入れるのにちょうどいいサイズだった。
「ねえ、アンリ、もしかして、今着ているの、制服?」
アリスが期待に満ちた顔で尋ねた。
「うん、そうなの。今日初めて着たの。普段はこれにエプロンとナースキャップをつけるようになってるの」
「可愛い!すごくよく似合ってる」
「確かに。駄犬、お前はいつも着てる地味な服よりそういう色の方が似合うな」
「ほんと?ありがとう」
自分でも気に入っていたが、装飾のプロの帽子屋さんに褒めてもらえるとは嬉しい。
殊更大きな声を出していたわけではないが、楽しそうに話す女性二人は目立つのか、いつの間にか幹部たちの注目を集めていた。
「あらー、可愛い女の子が二人、目に楽しい景色ねー。アタシも仲間に入れてもらっちゃおー」
柔らかな声とともに、アリスの背後から、ガバッとたくましい腕が抱きついた。
アンリは思わず小さな悲鳴をあげたが、アリスは慣れているのか、驚きもせず、ニコニコ笑っている。
「おい、インチキおネエ、ポンコツから離れろ」
オリヴァーが、アリスに抱きついているたくましい腕の主の襟首をひっぱり、強引に引き剥がした。
「やだー。野蛮な帽子屋さんねっ」
彼はオリヴァーからするりと逃げると、アンリに微笑みかけた。
「アンリちゃんね、はじめまして。アタシは黒の10、セスよ」
セス、と名乗った長身の男性は、アンリに右手を差し出した。
長い髪を後ろで束ねて、優しい笑顔を見せている、この綺麗な人は、お兄様なんだろうか、お姉様なんだろうか。
アンリはセスの迫力に目を丸くしながらも、自分の右手を差し出した。
「アンリです、はじめまして、セスさん」
セスはアンリの差し出した手を両手でギュッと握ると、頬擦りした。
柔らかな物腰のせいか、嫌悪感は全くない。
「やーっと会えたわー、噂のアンリちゃん。この間せっかく来てくれた時は会えなかったのよねー」
「あ、確か捜査に……」
アンリは黒の兵舎に予防接種に行った時に、黒の領地の女の子の誘拐未遂事件で、セスとルカは捜査に出かけている、と聞いたのを思い出した。
「そうなのよー。ちなみにもう一人不在だった幹部のルカは、あそこで赤のクイーンと鬼ごっこしてるわ」
セスの指し示す方を見ると、ヨナが黒の兵士を嬉々として追いかけていた。ヨナはゼロと追いかけっこしている時のリコス並みに生き生きしてるけど、黒の兵士の方は本気で嫌がっているように見える。
「犯人は、捕まったんですか?」
「それがねぇ。目撃者が本当にいなくて、まだつかまってないの。拐われそうになった女の子もまだ小さいし」
セスが頬に片手をあて、眉を下げるとため息をもらした。
「そうなんですか。赤の領地でも、この間小さな女の子が知らないおじさんにチョコレートもらったって言ってたので、気になってたんです」
「……チョコレート?」
セスの声が低くなった。
「どんな?」
「え?えっと……5歳の女の子の手に収まるぐらい小さくて」
アンリは一生懸命ターナー牧場でベッキーが言っていたことを思い出そうとした。
「そうだ、お花のチョコレートって言ってました」
「……アンリちゃん、ちょっと向こうでその話聞かせてくれる?」
アンリは一旦アリス達と別れて、セスと一緒にシリウスのところへ向かった。シリウスはまだゼロ、エドガーと話しこんでいる。
「牧場にいた時はゼロも一緒だったから、ゼロにも一緒にいてもらったほうがいいかも」
ゼロの方が注意深く様子を見ていた気がして、アンリは言った。
「あら、お医者さんじゃなくて赤のエースと一緒だったの?ふうん」
セスの目がなんだか意味ありげに細められた。
「あの、カイルにお使いを頼まれて、それでゼロが一緒に行ってくれたの」
アンリが慌てて付け足すと、セスがからかうように笑った。
「あら、アタシ何にも言ってないわよ?やあだ、慌てちゃって」
アンリの顔に血が昇る。セスはますます楽しそうに笑った。
「ふふ、赤くなっちゃって。なるほど、赤のエースかあ。アタシはよく知らないけど、フェンリルが前、一緒に仕事しやすい奴だって褒めてたわね」
ゼロを褒められて、思わず笑顔になったアンリを見て、セスがまた笑う。
「あら、嬉しそうな顔」
セスにからかい続けられたせいで、アンリは真っ赤な顔でシリウス達と合流することになり、ゼロに「飲み過ぎじゃないか」と本気で心配された。
話を聞くと、どうやら黒の領地で起こった誘拐未遂と、ターナー牧場のベッキーの話は似たようなところが多いようだった。
誘拐未遂の報告が終わったところでゼロが言った。
「明日の午後、仕事が終わったらもう一度話を聞きにターナーのところに行ってみようと思う。お前も一緒に来るか?」
「うん、行きたい。でも、ゼロ全然休んでないでしょ。大丈夫?」
「大丈夫だ。今日はゆっくり休むし、明日からは通常業務になるからな」
今まで特務としてゼロたちが行ってきた調査を、黒の領地の分は黒の軍が引き受けてくれることになったため、ゼロたちは通常業務に戻れるのだ。明日、ゼロ達は引き継ぎを兼ねて黒の軍の兵士と一緒にセントラル地区の残りの地区の探査をすることになったという。
その打ち合わせでシリウスやエドガー達と話し込んでいたらしい。
明日からまたリコスの散歩に一緒に行けると思うと、嬉しかった。
「お前、まだ顔が赤いな……もう今日は飲むなよ。俺のそばにいろ」
ゼロがひょい、とアンリの顔を覗き込むと言った。
アンリはセスにからかわれて赤くなっただけで、実はまだ一滴もお酒は飲んでいない。でもゼロのことをからかわれたから、と説明するのも恥ずかしくて、おとなしく頷いた。それに、ゼロが一緒にいてくれるのはやっぱり嬉しい。
「うん、わかった」
「あー、すまん」
背後でごほんという咳払いがして、ゼロとアンリはぱっと離れた。
「実はお嬢ちゃんにもう一つ頼みがあってな。あまり気分のいいことではないから、断ってくれていいんだが」
シリウスがちょっと言いにくそうに続けた頼みとは、アンリの追手がロンドンに帰る前に、一度会って話してもらえないか、というものだった。
「大丈夫なのか」
アンリが何か言うよりも早くゼロが確認する。
「お嬢ちゃんの安全は俺が保証する。もちろん、あんたも一緒にいてくれていい、赤のエース」
アンリは銃口を突きつけられたことを思い出し、背中が冷え、足元が震え始めた。怖い。
だけど、シリウスもアンリが怯えていることは百も承知のはずだ。それなのに頼むと言うことは、それなりに理由があるのだろう。
「ゼロ、一緒に来てくれる?」
アンリは隣に立つゼロの制服をぎゅっと掴みながら尋ねた。
「ああ、構わない。でも、お前は大丈夫なのか?」
アンリはもう片方の手でスカートを掴んだ。
「大丈夫」
ゼロが一緒に来てくれるなら、怖くても頑張れる。
二人のやりとりを見守っていたシリウスが、微笑んだ。
「ありがとうな、お嬢ちゃん。……でも、もしかしたらお嬢ちゃんのためにも、会っといた方がいいかもしれない」
二人がシリウスについていくと、3人の追手は、もうすぐ開くトンネルのすぐそばに置かれた椅子に腰掛けていた。さっきヨナに追いかけられていた兵士が傍に立っている。幹部が時間交代で見張ることにしている、とシリウスは言った。
アンリは3人の背格好を覚えていたので、彼らの姿を見ると足がすくんだ。ゼロが、励ますように肩を抱いてくれた。
「アンリ、無理しなくていい」
怖い気持ちを押し殺しながら彼らに近づいたアンリは、彼らの顔を見て、不思議な気持ちになった。彼らの表情から険しさのようなものが消えていた。3人は穏やかな顔で微笑みながら話していた。
彼らはアンリに気づくと、姿勢を正して真摯な表情になり、3人揃って頭を下げた。
「すまなかった、お嬢さん」
アンリもゼロも思いがけないことに驚いて、シリウスを見た。
シリウスは企み事が成功したみたいな顔で、微笑んでいた。
「お嬢さんが、ここに残ることになったって聞いて、もう二度と会えなくなるなら、せめて一言詫びたかったんだ。謝って許されることではないが、ロンドンに帰ったら償うこともできない」
リーダー格と思われる男が、穏やかな声で言った。二人の男も、頷いている。
「黒の兵舎で、一体何があったの?」
アンリは思わず尋ねた。
リーダー格だった男が、ふっと笑った。ロンドンで会ったときとは、別人のような柔らかい表情だった。
「何も。ただ、飯は美味かった」
「美味かったな」
「ああ、美味かった」
他の2人も、深く頷きながら同意した。
「3食旨い飯を食って、時々見張りの元で花壇の世話や掃除を手伝って、ただ、それだけだ。でも気がついたら、いろんなものが違って見えるようになってた」
不思議な話だけれど、アンリにはわかるような気がした。アンリ自身も、クレイドルで穏やかな暮らしを送るうちに、自分本来の元気を取り戻していたから。
「不思議だな。俺は神様なんて信じちゃいなかったけど、『何か』がやり直す機会を用意してくれた気がする。ロンドンに帰って、もう一度、まっとうな仕事をさがそうと思うんだ」
アンリは彼らの話を聞きながら、いつの間にかシリウスと同じように微笑んでいた。
「ゼロ、何か書くものある?」
ゼロがポケットからペンと小さなノートを出して渡してくれた。
「あなた達にお願いがあるの。私が逃げ込んだ二つ目の教会があるでしょう?」
「ああ、ロンドンの南の郊外の……」
「そこへ行って、私が無事逃げられたことを神父様に伝えて、この手紙を渡して欲しいの」
アンリはゼロの許可を得てから、手紙を書いたノートのページを破り、小さく畳んでリーダー格の男の胸ポケットに入れた。
「ああ。引き受けた」
リーダー格の男は、澄んだ瞳で応えた。
手紙には、助けてもらったお礼と、自分は無事でいること、できれば彼らの仕事を紹介して欲しいことを手短に書いた。あのやけに世知に長けた、豪放磊落な神父様なら、何とかしてくれるかもしれない。何しろアンリに男の子のフリをしてパン屋で働くことを提案してくれた人だ。
あれだけ恐ろしかった3人だというのに、銃を突きつけられた恐怖はまだ消えていないというのに、それでもロンドンからクレイドルに来た人間として、彼らと何か共有する感覚があった。
アンリは、彼らが無事ロンドンで新しくやり直せることを、心から祈ることができた。そしてそれは、とても清々しい気分だった。
「シリウスさん、ありがとうございました」
「いや。お嬢ちゃんはやっぱり強いな」
「えっ?」
「人を許すってのは、強さだ……感服したよ」
シリウスは優しい顔でアンリを見ている。
アンリはどう答えていいのかわからず、傍にずっと寄り添ってくれていたゼロを見上げた。
ゼロは、シリウスに同意するように、いつものように穏やかな微笑みを浮かべてアンリを見た。
クレイドルで、アンリの体だけではなく、心も守り続けてくれた大切な人。
ゼロがいてくれなかったら、怖くて彼らに会うことさえできなかった。
アンリが強くいられるとしたら、それは、やっぱり。
「ゼロが、一緒にいてくれるからです」
少しはにかんで答えるアンリを見て、シリウスは微かに笑うと、呟いた。
「残念だが、うちのボスには分が悪そうだな」
「え?」
「いや、こっちの話」
アンリは不思議に思いながらも男達を見た。本当に別人のようになっている。
「3回の食事が人生を変えてしまうなんて、すごいですね。やっぱりランスロット様にもちゃんと食事はしてもらわなきゃ」
アンリが決意をこめて言うと、シリウスが笑った。
「うちには名シェフがいるからな」
シリウスが言うと、ルカの方を見た。
「お嬢ちゃんにちゃんと紹介するのは初めてじゃないかな。こいつが黒のジャックのルカだ。兵舎のキッチンはこいつの縄張りだ。こいつがこの3人の食事も作ってた」
お人形のように綺麗な顔をした兵士だ。誰かに、似ている。
「アンリです、よろしくお願いします……人の人生を変えてしまうお料理ができるなんて、すごいですね!」
「そんな大したものじゃない」
ルカは無愛想にいうと、居心地悪そうに首元のストールを引き上げる。
「いや、本当に美味かった!」
「あの飯が食えなくなるのが唯一の心残りだ」
「今まで食った飯の中で、一番美味かった」
3人の男達が口々に褒めると、ルカはますます居心地悪そうにストールの中に深くもぐってしまった。目元が赤く染まっていた。
「……褒めすぎ」
どこか可愛らしい様子で照れるルカ以外、誰もが穏やかな微笑みを浮かべていた。
ゼロの大きな手が、アンリの手をそっと包み込んだ。
アンリが隣のゼロの顔を見あげると、ゼロは微笑んでいた。
アンリにだけ聞こえるぐらい小さな声で、ささやくように言った。
「さっき黒のクイーンにお前が褒められたとき、俺まで誇らしい気持ちになった。……不思議だな。人が褒められて、こんな風に感じるのは初めてだ」
アンリは嬉しくなって、微笑んだ。
「私も、同じ気持ちだよ。いつも、ゼロが褒められると、誇らしい気持ち」
ゼロが、驚いてわずかに目を見開いた。
「そうなのか。……そういう、ものなのか?」
「きっと、そういうものなんだよ」
アンリは、ゼロが自分と同じ気持ちでいてくれることが、嬉しかった。
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