困らせたいの   ハートのA編


赤のエースで妄想してみた その3 天使&悪魔イベント補完ショート  後編


 アンリはとっさに、トランプの束の一番上のカードを取り出し、確認せずにゼロの制服のポケットに入れていた。だから、自分がどのカードをポケットに入れたのか、わかっていなかった。ゼロが出て行った後で、慌ててトランプを確認する。

「ハートのエースがない……ということは」

 今、ゼロのポケットの中には、赤いカード。

(ゼロはもともと天使みたいに優しいから、きっと赤いカードはそんなに影響しないんじゃないかな)

 初めて出会った時からずっと、ゼロはアンリの守護天使だ。アンリにさえ気付かせず、いつだってアンリを守ってくれている。とんでもなく強くて、底抜けに優しい人。

 だけど、アンリは「左側の天使」に負けて、そんな大切な人に、つい妙ないたずらを仕掛けてしまった。

 自分の愚かさにうなだれてしまう。

(やっぱり、ゼロが戻ってきたら全部白状して、ちゃんと謝ろう)

 アンリは決心と共にほっと息をつくと、ソファの背もたれに体を預けた。

 ぼんやりと窓から見える空を眺める。

 いつもなら、ゼロの帰りを一緒に待ってくれるリコスがいないから、今日はなんだか手持ち無沙汰だ。

 リコスはいつも、ゼロがドアを開ける前に、ドアのそばで待ち構えている。部屋の奥で一緒に遊んでいても、ゼロが帰ってくる少し前には、尻尾を振りながらドアのそばに駆けつける。耳のいいリコスには、アンリより一足先にゼロの足音が聞こえるのだ。

 ゼロがドアを開けた途端に彼に飛びつき、尻尾を千切れんばかりに振り回すリコスを思い出し、アンリは知らず微笑んでいた。

(そうだ、今日はリコスがいないから、私がちゃんと出迎えよう)

 アンリは、いいことを思いついた、とばかりに、弾むような足取りでドアのそばへ行った。

(ゼロまだかな。うっかりリコスみたいに飛びついちゃわないように気をつけなきゃ……)

 彼女がドアのそばをうろつき始めてほどなく、ゼロが帰ってきた。

「おかえりゼロ!」

 ドアを開けてすぐにアンリがいたので、ゼロはちょっと驚いたようだが、すぐに笑顔になった。

「ただいま。ドアのそばで何してたんだ?」

「帰ってくるの待ってたの。リコスの代わりにお迎え」

 ゼロは笑うと、両手を広げた。

 アンリは素直に、ゼロの腕の中に収まった。

 髪を撫でる手の心地よさにうっとりと目を細めていると、ため息まじりの笑い声がした。

「本当に……お前は困ったやつだな」

 見上げると、ゼロは医務室で会った時と同じように、困った顔で微笑んでいる。

 アンリはカイルやエドガーとの会話を思い出して、どうして困っているのか訊いてみようとした。だけど声を出すより先に、ゼロに抱き上げられてしまった。

「ひゃっ!」

 質問より先に小さな悲鳴が出る。

 ゼロは慌てて首にしがみつくアンリを抱えたまま、ベッドへいくと、腰掛けた。

 見上げると、ゼロがこの上なく優しい目で、アンリを見つめている。

(あ、あれ……?)

 大好きな、優しい青い瞳。

 いつもだったら見つめ返すことができるのに、今日はなんだかできない。息苦しいような気持ちで、アンリは頬を染め俯いた。鼓動が早い。

 ゼロはそんなアンリの頭をそっと抱き寄せ、緩やかに髪を撫でた。

「お前は本当に可愛くて困るな」

 低くて甘い声が、耳をくすぐる。

 アンリは思わず体を竦め、目を強く閉じた。頬も自分の息もあり得ないぐらい熱くなっている。

(あれ?どうしちゃったんだろう……)

 ゼロのささやく声も、髪を撫でる手もゆったりとしているのに、アンリの心臓だけが早鐘のようだ。

 見つめる青い目も、髪を撫でてくれる手も、低くて甘い声も、いつも優しい。

 そう、いつも通り、のはずなのに。 

(何かが濃い……もしかして、あのトランプのせい?)

 逃げ出したいような、ずっとこのままでいたいような気持ちで、アンリは震える。胸が痛いぐらいに高鳴って、息が苦しい。

 ゼロの手はアンリの髪を撫で続け、低い声が甘くささやく。

「俺は時々、お前があんまり可愛くて、どうしていいのかわからなくなる。……少しは手加減してくれ」

(だめだ……、これ以上続くと、もう心臓壊れちゃう……!)

 よくわかった。天使も過ぎると、体に悪い。

「ごめんなさい、もう十分です」

 アンリは涙目になりながら、急いでゼロのポケットからトランプを抜き取った。

「おっと」

 ゼロはアンリが彼のポケットからトランプを取り出しても、全く驚かなかった。

 アンリを見て、優しく微笑みながら、尋ねる。

「もういいのか?」

 アンリは口を開けたまま固まってしまった。

「もしかして、……気がついてたの?」

「このポケットは普段あんまり使わないからな。着る時に気づいたけど、赤いカードだったから、そのままにしておいた」

 ゼロは穏やかな微笑みを浮かべたまま、こともなげに言った。

「どうしてそのままにしてたの?」

「うん?お前が望むことなら叶えてやりたいし、お前を存分に甘やかすのもいいなと思って」

 黒のカードが入っていたらちょっと迷ったかもしれない、とゼロは笑った。

 アンリはこっそりカードを入れてしまったことがなんだか恥ずかしくなった。

 ゼロには、かなわない。

「……ごめんなさい。普段見れない一面が現れるって聞いて、見てみたくなっちゃったの」

 ゼロは、正直に謝るアンリの頭を抱き寄せ、小さく笑う。

「俺も、医務室で会ったお前の中の悪魔にはまた会ってみたいな」

「ええ?」

 びっくりするアンリにゼロは笑いかけた。

「可愛かったな。まだ書類が残ってるのに、部屋に連れて帰りたくなって困った」

 アンリの頬が再び熱くなる。

 ゼロが困った顔をした理由が、やっとわかった。

 ゼロの困った顔にアンリがドキドキしてしまったのも、無理はない。

「俺の仕事を気遣ってくれるお前もいじらしくて好きだけど、たまにはあの可愛い悪魔に会わせてくれ」

 ゼロは、そうしてアンリの左側の天使をたやすく手懐けてしまう。

「俺は、お前のお願いなら、なんだって聞いてやるから」

 やっぱりかなわない。

 アンリはゼロに抱きついた。胸に顔を押し付けたまま、普段は言えないことを言ってみる。

「明日の朝まで、一緒にいたい」

 声に出してみると、かあっと頭に血が上った。

 そっと見上げると、ゼロは嬉しそうに微笑んでいる。

 アンリも頬を赤くしたまま、微笑んだ。

 ゼロの指が、アンリの頬をそっと撫でる。

 アンリは心地よさに、うっとりと目を閉じた。

「仰せのままに」

 ゼロの少しかすれたささやき声が、甘くキスに溶けた。

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