リコスの勲章4

🐕13

 エドガーとゼロは、他の使用人に見つからないように静かに廊下を急いだ。

「子供が子供らしくいられないのは、やはり痛ましいものですね」

 おそらく自分も子供らしい子供ではいられなかったであろうエドガーが、独り言のように呟いた。

 ゼロがそっと隣を伺うと、エドガーの横顔にいつもの微笑はなく、本当に心を痛めているように見えた。

 自分自身の子供時代も特異なものであったと自覚しているゼロは、どう答えていいのかわからず、ただ、そうだな、と小さな声で同意した。

「モートン卿は、今は?」

「この時間は温室で紅茶を飲んでいるはずだ」

「それは好都合。彼の書斎に案内を」

「えっ?」

 まっすぐモートン卿の元へ向かうのだと思っていたゼロは、思わず聞き返した。

 隣を見ると、エドガーはいつの間にかいつもの笑みを取り戻していた。何かを企んでいる顔で、まっすぐ進行方向を向いたまま続けた。

「マリクの隊が来るまでの15分で証拠を探します。間取りは頭に入っているでしょう」

「……こっちだ」

 ゼロは昨夜のうちに確認しておいた書斎へと向かった。

🐕14

モートン卿の書斎は、ちょうど真ん中にマホガニーの机が置かれていて、ドアから見て右側に暖炉とサイドボード、左側に本棚があった。幸い整然と片付けられており、置かれている物も少ない。探し物には好都合だ。

「お前は右側を、俺は左を見ます。手紙、帳簿の類を」

「わかった」

 ゼロは直ちにサイドボードに向かった。

「モートン卿にあんな緻密な犯罪は無理です。おそらく背後にもっと大物が控えているはず。その手がかりを探して下さい」

 エドガーは探索の手を休めないまま言った。

 ゼロは少し疑問に思う。

 ここで証拠を見つけなくてもモートンを捕らえることはできる。彼を捕らえた後で合流した隊員たちと共にこの屋敷全体の調査した方が効率的だ。直接モートンに問い詰めれば、事件の全貌も明らかになるだろう。

 それなのにエドガーは先に証拠を手に入れることを選んだ。

 一体、何のために。

 探す手を休めないまま、忙しく思考を巡らせるけれど、エドガーの意図はわからない。

 サイドボードの左の三つの引き出しを全て調べ終え、右の引き出しに移ろうとした時、暖炉の灰の中で何かが光ったような気がした。

 ゼロは、手を止め、暖炉を見る。

(しまった!)

 もしモートン卿が、「ゼロがアヴァロン事件の調査に来た」と思い込んでいたなら、急いで証拠隠滅を図ろうとするだろう。書類や手紙を手っ取り早く消滅させる方法は、燃やすことだ。

(エドガーなら、もっと早く気付いていたかもしれない)

 ゼロは自分の不甲斐なさに唇を噛み締めながら、暖炉の脇にあった火かき棒で、今は火の入っていない暖炉の灰を丁寧にかき分け始めた。

「……あった……」 

 目的のものはすぐに見つかった。

 おそらくはモートン卿宛の書簡の一部。半分は燃えていたが、幸運にも送り主の署名部分は残っていた。

 ゼロは煤で汚れるのも構わず、暖炉に頭を突っ込むと、似たような紙の燃え残りを全て取り出した。

 驚いたことに、暖炉で燃やされたにも関わらず、封蝋がそのまま残っていた。

 封蝋の家紋は、クレイドルの住人なら誰もが知っている名家、クインシー家のものだった。

「なるほど、クインシー家が関わっていたとはね」

 いつの間にかゼロの肩越しに覗き込んでいたエドガーが手を伸ばし、封蝋のついた燃え残りを手にとった。

「まるで魔法のように必要な証拠が残っていましたね……」

 エドガーは一瞬だけ鋭利な刃物のように目を細め、考え込んだように見えたが、すぐにいつもの読めない微笑を取り戻した。

「燃え残った手紙からも事件への関わりは読み取れます。お手柄です、ゼロ」

 にこやかに労うエドガーを、ゼロは面白くなさそうな表情で睨んだ。

「エドガー、お前はもしかして、俺が暖炉に気づくか試したのか?」

 エドガーは、一瞬きょとんとした顔になったが、すぐにコロコロと笑い出した。

「俺は暖炉を調べて煤まみれになるのが嫌だっただけです。ゼロ、アンリと再会する前に、顔を洗うことをお勧めしますよ」

 ゼロが窓ガラスに映った自分の姿を確認すると、顔も髪も制服も真っ黒な煤で汚れていた。彼は顔をしかめると、楽しそうに笑うエドガーを睨みながら、自分の鼻の頭についた煤を袖口で拭った。

🐕15

 援軍と合流してからは早かった。

 念のため2名の兵士を幼い兄妹の護衛に送り、残りの兵士たちで、劇団員を一斉に捕まえた。練習場として用意されていた部屋に兵士たちが雪崩れ込むと、事態を悟った劇団員たちは、皆自分だけでも逃げようとしたが、ゼロの優秀な部下たちは、一人も逃さず手際良く捕縛した。

 そして今、ゼロとエドガーは温室でモートン卿と対峙していた。

 温室にはモートン卿と使用人がいた。

「ご無沙汰しております、モートン卿。赤のジャック、エドガー・ブライトです」

 ゆったりと紅茶を楽しんでいたらしいモートン卿は、慇懃な挨拶とともに現れたエドガーに慌てた。 

「い、一体、何事かね……?どうして赤のジャックがここに」

「ここにいる赤のエースは我が軍の重要人物です。あまり長く留守にされても困るので、迎えに来たんです……そしたらまあ!」

 エドガーは笑顔を崩さないまま、テーブルに両手を付き、モートン卿に顔をぐいっと寄せた。

「本当に偶然、この屋敷の中で興味深いものをお見かけしましてね。ぜひクインシー家と当家のお付き合いのお話を伺いたいのですよ」

 エドガーは一瞬だけ微笑を消し、真顔になった。

「どうか、お人払いを」

 クインシー家の名を聞き真っ青になったモートン卿は、ぎこちない仕草で使用人を下がらせた。

 こうなるとエドガーの独断場だ。ゼロは少しだけモートン卿に同情しつつ、念のため、温室全体が見渡せる入り口に立つ。

「ここに、クインシー家紋章の封蝋とあなた宛の手紙があります。今後、火の始末にはもう少し慎重になることをお勧めします」

 モートンは決定的な証拠を突きつけられ、声も出せない様子で、だらだらと汗を流し始めていた。

 エドガーは慈愛さえ感じさせるような微笑を浮かべつつ、続ける。

「でもね、俺はこれを軍には届けず、手元に置いておきたいなと考えているんですよ」

 エドガーの言葉の真意を探るように、モートン卿は恐る恐るエドガーの顔を見る。

 エドガーは痛ましげに眉を寄せてみせた。

「俺はあなたもまた、アヴァロン事件の被害者だと思っています。あなたは悪いことには向いていない。善良なあなたを罠にはめた人たちのことを教えてくれませんか……クインシー、そして」

「……ガーナー、……シェルダン」

 暗示にかかったようなモートン卿の口から、さらに思いがけない貴族の名前がこぼれ落ちた。

 ゼロは、もう少しで声を出してしまうところだった。

 一年近く軍を悩ませ続けていた事件の黒幕が、あっけなく白日のもとに。しかも、ガーナー、シェルダン両家も、クインシー家に劣らぬ名家だ。

 これはちょっとした騒動になるぞ。

「そう。クインシー、ガーナー、シェルダン。彼らの罪は重い。俺は彼らを正しく裁かなくてはなりません。ご協力、いただけますね」

 モートン卿は不安そうな表情でエドガーを見る。

 エドガーは、モートン卿を励ますように、優しく微笑みかける。

 ああ、あの笑顔だ。あの笑顔に俺も何度もひっかけられた。

 ゼロは寄宿学校時代の諸々を思い出してしまい、ついまたモートン卿に同情しそうになった。

「あなたが俺に協力的である限り、あなたはブランシェットの名士、モートン卿のままです」

 モートン卿はやっとエドガーが取引を持ちかけているのだと理解したらしい。

「わかった……、わかった、協力する。何でも協力するとも」

「ええ、これは軍ではなく、俺個人とあなたとの約束です。どうぞ、末永くよろしくお願いしますね」

 エドガーが仕上げのように微笑んだ。

「は……はは……」

 モートン卿は青ざめた顔のまま、引きつった笑いで応えた。

 ゼロはそっとため息をついた。

 気の毒に。

 悪魔とは決して契約してはならないと、誰も彼に教えてやらなかったのか。

🐕16

 アンリはリコスを連れて、誰もいなくなった訓練場を歩いていた。訓練が終わった後の無人の訓練場は、ゼロがいない時のリコスの散歩コースだ。

 ゼロは無事だろうか。

 アンリは祈るような気持ちで空を見上げた。

 冬の日はとても短い。西の方に少しだけ日の名残を残す薄明るい空に、星が瞬き始めている。

 ぼんやりと星を眺めるアンリの足元で、突然リコスが元気に吠え始め、駆け出そうとした。

「わっ、どうしたのリコス」

 アンリは慌ててリードを握りしめる。

(あ、もしかして……!)

 アンリは予感を胸に抱き、リコスと一緒に門の方へと駆け出した。

 思った通り、ざわめきが聞こえ始める。

 兵士たちの帰還だ。

 アンリはリコスに負けないように息を切らしながら必死で駆けた。

 門を潜ってきた隊列の先頭に、エドガーと並ぶゼロの姿が見えた。

「ゼロ……!」

 馬から降り、笑顔で手を差し伸べるゼロの腕の中へ、アンリは真っ直ぐに飛び込もうとした。

 それなのに。

「おやアンリ、これが本物のゼロだとどうしてわかるんです?」

「えっ!」

 意地悪なエドガーの声に、アンリはゼロの手前でぴたりと止まってしまった。

 ゼロの方へ腕を伸ばしたまま、立ち尽くしてしまう。

 その間に、リコスが華麗なジャンプを決めて、一足先にゼロの腕の中に飛び込んだ。

 ゼロは笑いながらリコスを抱きとめた。

「よしよし、えらいぞ。アンリを守ってくれたんだな」

 リコスは尻尾を千切れんばかりに振りながらゼロの顔を舐めている。

 ゼロは途方に暮れて立ち尽くすアンリを見て、困ったように笑った。

「エドガー、あんまりアンリをからかうな。……ただいま、アンリ」

 ゼロは離れようとしないリコスを左手で抱き直すと、もう一度アンリの方へ右手を広げた。

 ゼロだ。

 ちゃんとわかる。これは、本物のゼロ。

 アンリは傍でクスクスと笑うエドガーを軽く睨んでから、今度こそゼロの煤だらけの腕の中に飛び込んだ。

「おかえりなさい、ゼロ!」