🐕17
アヴァロン事件はすぐに劇的な解決を迎えた。
一週間かけてクイーン、8、9の隊が集めた完璧な証拠は3人の貴族に言い逃れを許さず、彼らは今までの地位を剥奪され、裁判を待つことになった。詐欺の被害にあった人々への補償についても、裁判に委ねられることになった。
そして寒さが少し和らぎ始めた頃、ランスロットは事件解決の報告のために森の奥のハールの家を訪れていた。
今日は下戸のシリウスがいないので、二人で手土産のワインを開けることにした。
「いいワインだな」
ランスロットはハールの賛辞に微笑んで見せる。
「……その、彼は元気にしているだろうか」
「ゼロのことか?普段通りだ」
「彼には、……悪いことをしてしまって」
ハールが言い淀む。
ランスロットの脳裏に、ゼロたちが帰還した時の記憶が蘇った。
ゼロの無事を確認し、帰ろうとしたハールは、偶然指名手配犯パペットを連行するゼロたちとすれ違った。そこで連行されている男に、偽者のゼロと同じ魔法がかけられていることに気づいたのだ。ハールはその場であっさりとその魔法を解いてしまい、指名手配犯パペットだと思っていた男は全くの別人だったことが明らかになったのだった。
自分が捕まえた犯人が別人だったと知り驚愕するゼロを見て、ハールは自分がしたことに気づいて狼狽した。
あの時のゼロの愕然とした表情とハールのおろおろと狼狽える様子を思い出すと、つい笑い出しそうになる。ランスロットは意識して頬を引き締め、咳払いした。
「むしろこちらが礼を言うべきところだろう。誤認逮捕など、我が軍の沽券に関わる。それに、奴らも全くの無実というわけではない」
モートン家に滞在していた劇団は、凶悪犯でこそなかったが、行く先々でケチな窃盗を繰り返している犯罪集団だったのだ。
ハールは申し訳なさそうな表情のまま目を伏せた。
ランスロットから見たゼロは立派な成人男性であり、頼りになる部下だ。ところがハールの目には、どうも手助けが必要な、繊細な子供に見えているらしい。
ランスロットはハールとゼロの間に何があったのか知らない。ただ、ハールの様子から、彼が魔法の塔にいた時に何か接点があったのだろうと推測していた。ハールの中には子供の頃のゼロの記憶があり、おそらくはそのせいなのかもしれない。
「ゼロはそれほど弱くはない」
ランスロットはただそう言うにとどめた。
グラスを傾けながらアヴァロン事件の被害者のリストを見ていたハールは、あるページに目を止めると、ランスロットに見せた。
そこには一人の資産家の名前があった。
「これが理由かもしれない。彼はダリムさんの研究のパトロンだった。塔が行っていた許されざる研究ではなく、ダリムさん個人の研究を応援してくれていた。俺も何度か会ったことがある……二人は何だか気が合ってるようだった」
「ダリムが彼の仇を打つためにこんな手の込んだことを?」
「ダリムさんはわかりにくい人だけれど、彼なりに恩を感じていたのだと思う」
「また我が軍があいつにいいように利用されたのか」
ランスロットは眉をひそめた。
最初から、この事件の背後には強大な魔法使いがいた。
その魔法使いは偽者の指名手配犯でゼロを誘き寄せ、さらに偽者のゼロを赤の軍に送り込むことで、赤の軍にモートン家とアヴァロン・カンパニーとの繋がりを見つけさせた。ご丁寧に、更なる黒幕へとつながる証拠をつけて。恐らくゼロ達が暖炉から見つけた、燃え残っていた証拠も、魔法により保護されていたのだろう。
「誘拐事件といい、奴はもう少しましな手段は取れんのか」
ランスロットはため息まじりに呟く。
ハールは何も答えず、ただ苦笑のような笑みを浮かべた。
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「やはり気が進まんか」
ランスロットはもう一度ゼロに尋ねた。
「申し訳ありません」
ゼロは頭をさげる。
赤の兵舎の執務室に、軍の首脳陣が集まっていた。
クレイドル中を騒がせたアヴァロン事件の解決への寄与を評価し、調査で活躍した兵士に勲章を贈ることになった。ランスロットはゼロに贈ろうとしたが、肝心の本人が、自分にはその資格はないからと辞退しているのだ。
「君がモートンを見つけなきゃ、この結果は出せなかった。俺は順当だと思う」
これはヨナ。
「俺がモートンに辿り着いたのは偶然だ。それに……」
それに。
言葉を濁したゼロの気持ちを汲むように、ランスロットが苦笑に近い笑みを浮かべた。
「お前の気持ちもわかるが」
いわばゼロは正体不明の魔法使い——恐らくはダリムの思い通りに踊らされていたのである。
「ゼロ、お前が帰途でパペットに気付かなければ、モートン卿へたどり着くことはできなかった。たとえ彼が偽者であったとしても、十分評価に値する」
ランスロットの言葉に、ゼロは困ったように目を伏せた。
ランスロットは、生真面目なゼロの、日頃の地道な取り組みをいつか評価してやりたいと考えていた。
だが、本人が望まないのなら仕方ない。
「さて、どうしたものか。勲章の授与は兵士たちの士気を上げる良い機会だと思ったのだが」
「それでは、こういうのはいかがでしょう」
それまでずっと黙っていたエドガーが、いつもの笑顔で提案した。
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その日、リコスの心は沈んでいた。
いつものように朝の散歩を待ちかねていたら、いきなり大嫌いなお風呂に放り込まれ、念入りに洗われてしまったのだ。しかもいつものゼロとアンリなら追いかけっこも楽しめたのに、今回は5人がかりでバスルームに閉じ込められ、それはそれは丁寧に洗われてしまった。
少し長めの毛は魔法で乾かされ艶々でふかふかになったし、お風呂のあとは珍しくゼロがずっと抱っこしていてくれて嬉しいけれど、それでもリコスの心の傷はまだ癒えていない。
「リコス、まだ怒っているのか。そろそろ機嫌を直してくれ」
ゼロの優しい声がしても、リコスは俯いたままだ。
「もうしばらく大人しくしていてくれよ」
ゼロが苦笑しながらリコスの頭を撫でた。
それにしても、今日は一体何だと言うのだろう。
兵士たちが勢揃いして並んでいる。
リコスの大好きなもふもふの人、赤のキングが壇上で何か難しそうなことを話している。
やがてリコスはゼロに抱かれたまま壇上に上り、台の上に座らされた。
赤のキングが何やらキラキラしたものを手に、こちらをむく。
リコスは雰囲気に飲まれるように、行儀良く座った。
もふもふが気になって仕方がないけれど、赤のキングが小さな声で「今は我慢せよ」と言うので、ぐっと我慢する。
「リコス。お前は主人の異変を真っ先に検知し、我が軍の大切な従業員を身を挺して守った。そして我々をアヴァロン事件の解決へと導いた。お前の我が軍への多大なる貢献を評し、これを授与する」
赤のキングはそういうと、リコスの首輪に金色のキラキラしたメダルをつけてくれた。
「これからも主人の言いつけを守り、健やかに育て」
そう言って赤のキングが頭を撫でてくれたときには、リコスは今朝のお風呂のことはすっかり忘れ、上機嫌で尻尾を振っていた。
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「大人しくしてたな、えらいぞ」
「すごく立派だったね。かっこよかった」
リコスの視線がずっとランスロット様のマントの飾りを追っていてハラハラしたけれど。
アンリは、勲章を首元につけ、ゼロの腕の中でどこか誇らしげなリコスを褒めた。
「立派な勲章がもらえてよかったですねえ、リコス。俺からもご褒美をあげましょう」
エドガーも犬用のビスケットを手にリコスを褒めてくれる。
「全く、お前もとんでもないことを思いつく」
ゼロの呆れた声。
「まあまあ、お前が勲章を辞退したりするからでしょう。見たところ兵士たちの4分の3ぐらいが笑顔でしたよ。いい授与式でした。4分の1はきつねにつままれたような顔をしていたけれど」
エドガーが鈴を転がすようにコロコロと笑った。
いっそリコスに勲章を授与しては、と提案したのはエドガーだと聞いている。
「わたしあんなにみんなが優しい笑顔になってる授与式は初めて見たわ」
アンリは嬉しかった。
リコスに贈られた勲章は、実はゼロへの評価でもある。ほとんどの兵士はそれを理解し、そして笑顔で祝福してくれたのだ。
深紅の血統以外を認めなかった赤の軍にしては、上々ではないか。
「よかったなあ、リコス。これはお祝いだ」
カイルがふらふらとやってきて、リコスにリボンをかけたジャーキーの袋を差し出した。そして真剣な顔でリコスに言う。
「なあ、これやるから、もし万が一俺の偽者が現れた時は、ちゃんと気づいてくれよ」
グゥはこういう時は今ひとつ頼りにならないからなあ、とぼやく。
「カイル並みの名医がそうそういるとは思いませんけどね。見た目だけ真似ても、誤魔化せるものではありませんよ」
あっさりとゼロの偽者を見破ったエドガーが笑った。
実はゼロの偽者事件は、赤の兵士たちに軽いトラウマを植え付けていた。
——もし、自分の偽者がいつの間にか自分と入れ替わっていたら。
その時、もし誰も気づいてくれなかったら。
誰もがそんな不安を感じたのだ。特に実際にゼロの偽者を目にした兵士たちが感じた不安は大きかった。それほど偽者のゼロはそっくりで、当初、アンリとリコス以外は気づかなかったのだから。
幹部達も例外ではない。
「……パインは俺が入れ替わったら気づいてくれるかしら」
あのヨナでさえ、弱気につぶやいたりする。
「右腕が入れ替わったら俺も気づくと思うが」
「我が主……!」
ランスロットの一言で、ヨナはこの日1番の笑顔になった。
アンリはゼロとそっと微笑み合うと、朝の大騒ぎで行けなかったリコスの散歩に向かうことにした。
リコスは相変わらずゼロにじゃれついてゼロは歩きにくそうだ。それでもその首元にキラキラと輝くメダルが揺れる度、アンリはなんだかとても誇らしく、幸せな気持ちになるのだった。