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 太陽の光のない魔界でも、温室はやっぱりガラス張りで、中は空調が行き届いている。ガラスの天井越しには大きな月と星空。ちょうど近くに、ガーデンライトに照らされた池も見える。夜空や庭を眺めるためか、中の照明は控えめに設定されていた。

「やあ、いらっしゃい」

 温室でわたしたちを出迎えてくれた殿下の傍には、見慣れない青年がいた。

「うそ、エントじゃない!久しぶり」

 アスモが真っ先に声を上げた。

「今朝訪ねてきてくれたんだ。MCは初めてだね。紹介するよ、彼はエント」

「あなたが人間界からの……。初めまして、エントです。どうぞよろしく」

 彼は控え目な微笑みと共に、片手を差し出した。他の悪魔に違わず、端正な容姿をしているけれど、さらさらした黒髪と伏し目がちな瞳が、穏やかな声と相まってとてもおとなしそうな印象を受ける。わたしは彼と握手をしながら、こっそり驚いていた。——控え目な悪魔なんて、初めて見た。

「なるほど、それで温室にいたのか。確かに君は植物に造詣が深かったな」

 ルシファーの言葉に、エントはちょっと驚いてから、はにかんで笑った。

「ルシファーに覚えていてもらえたなんて、とても光栄だ。ここには色々珍しい植物も揃っているから、頼んで見せてもらっていたんだ」

 彼は以前RADに通っていた学生で、事情があって今は休学中だという。在学時によく執行部の仕事を手伝っていたらしい。兄弟たちともそれなりに親しいようで、温室の中はちょっとした同窓会みたいになった。マモンは仲がよかったのか、上機嫌で彼の肩を抱いている。遠目には大人しい優等生が不良に強請られているように見えてしまうけれど、もちろん二人に含むところはなく、会話はいたって和やかなものだった。

 殿下も、何か困ったことはないか、妹は元気かと細やかに彼を気遣っていた。

「みなさん、お茶をどうぞ」

 いつの間にか席を外していたバルバトスが、お茶の用意を載せたカートを運んで戻ってきた。優雅な所作で手際よく人数分のお茶を用意する。そして皆が香り高いお茶にほっと一息ついたところを見計らったように、カートから一通の封書を取り上げ殿下に差し出した。

「坊っちゃま、ベリアルからの書簡が届いております」

「ああ、来たか」

 殿下は柔らかく微笑んでカードを取り出すと、親戚からのバースデーカードを受け取ったような調子で読み上げた。

 10月30日14時より

 沈黙通り広場にてディアボロ誕生祭の妨害を行う。

              ベリアル

「予告状だね」

 殿下は全く動じた様子もなく、穏やかな表情のままだ。

「あと1時間ほどしたら出るか」

 ルシファーが時計を見ながら応える。

「今年は君たちが勢揃いしていてくれるから、心強いな」

 殿下が勢揃いした兄弟たちを見て言った。

「……もしかして、『お手伝い』ってこのこと?!」

 あんまりびっくりしたので、我ながら素っ頓狂な声が出てしまい、慌てて手で口を抑えた。

 ルシファーが眉を下げ肩をすくめる仕草で肯定する。

 殿下はわたしにカードを見せながら、ベリアルのことを教えてくれた。

「ベリアルは父の片腕だった男でね。私を後継として認められないらしい。毎年こうして誕生祭の妨害を仕掛けてくる」

「お誕生日なのに?」

「……うーん、お誕生日だから、かな?」

 殿下はちょっと困ったように微笑った。

 お誕生日だから?

 言葉の意味を考えてみようとしたけれど、突然のベールの声に妨げられた。

「エント、顔色が悪い。腹が減ったのか」

 振り返ると、エントが確かに真っ白な顔色をしている。

「もしかして、具合が悪いんじゃ……」

「いや、大丈夫」

 皆の注目を集めてしまったエントは、慌てて笑顔を作った。

「あの、でも気分転換に外を歩いてきてもいいかな。ここの庭も見てみたいんだ」

「ああ、いいね。楽しんできてくれ。今ちょうど、バルバトスが育てたつるバラが綺麗に咲いているよ」

 殿下がわたしに同意を求めるように微笑みかける。

 ちょうど先週、殿下に誘われて一緒に魔王城の庭を歩いたことを思い出して、わたしも笑顔になった。

 庭の東に白いガゼボがあり、そこを覆うように育ったつるバラが可憐なピンクの花を一面に咲かせていた。中に入ると、外が見えないぐらい天井も壁も濃い緑の葉とピンクの花に覆われていて、まるでバラでできた部屋の中にいるみたいだった。

「では、2番に案内させましょう」

「あの、僕は別に一人でも……」

「申し訳ありません、例え庭でも、セキュリティ上の理由で、部外者を自由に歩かせるわけにはまいりません」

 遠慮しようとしたエントに、バルバトスは有無を言わせない笑顔で告げた。

「ああ、そっか。……そうだよね」

 気がつかなかったことを恥じるように、エントが頭を掻きながら目を伏せる。 バルバトスは、観察するような目でじっとエントを見ていた。

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