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つるバラの顛末を聞いても、バルバトスは悲しそうな顔は見せなかった。ただ、みなさんがご無事でよかった、ときれいに微笑んだ。
だけどガゼボの影に、呪いの影響を受けずに生き残っていたつるバラの株を見つけた時は、とても嬉しそうだった。
きれいだった魔王城の庭のあちこちに凄惨な傷跡が残っている。
エントは、無事再会した妹と共にしばらく魔王城に残って、庭とつるバラの世話を手伝うことになった。
大事な双子の片割れが傷つけられたベルフェは彼の処遇に不満そうだったけれど、殿下がそれでいいのなら、と最後には折れた。
そして今日は、殿下の誕生日。
わたしたちは再び沈黙通りを揃って訪れた。
今日はメゾン煉獄の3人も一緒だ。これからみんなで魔王城に移動して、殿下の誕生パーティーを開くことになっている。
広場の真ん中に堂々と聳え立つ氷詰めの火竜は、祭りのあかりをきらきらと反射させ、まるで今日のためにあらかじめ用意されていたオブジェのようだった。
通りがかる悪魔も魔物も、オブジェを目にすると、口々に殿下が火竜を封じ込めた話をし、彼を褒め称えている。
今日は視察の形を取っているので、執務中の殿下が群衆に囲まれてしまうようなことはない。それに周りを七大君主ががっちりと固めている。ただ、遠巻きに手を振ったり声援を送ったりする通行人に、殿下が時々手を振って応えるぐらいだった。
(さすが次期魔王、ファンサも堂に入っているなあ)
「坊っちゃまの力を示す良いオブジェになりましたね。来年からも飾らせましょうか」
万能執事が、まんざら冗談でもないような口調でつぶやいた。
「去年はなんだったの?」
「昨年はベリアルが人間界の影響を受けたのか、巨大なかぼちゃのお化けでした。坊っちゃまに倒された後、パンプキンパイとなり祭りの参加者に配られました」
「バルバトスがパイにしてくれたんだ。あれはなかなか美味しかった」
殿下が邪気のない笑顔で付け足す。
もはやそれは、妨害ではなくて、むしろ。
「えっと、ベリアルさんって、本当に……」
妨害しようとしているの?そう聞く前に、執事がにこりと笑った。
「ベリアルの心の中はベリアルにしかわかりません」
彼の言うとおり、ベリアルの考えていることは本人にしかわからない。
だけど、ベリアルはあの時、「後継に相応しいというなら封じてみせよ」と言った。それなら、封じて見せた殿下は、後継に相応しいと示したことになる。誕生日ごとに、実はベリアルは殿下が次期魔王に相応しいと示す機会を与えてくれているのではないだろうか。それに、エントの件以来、次期魔王の力を魔界の住人に示すことは、それなりに必要なことだと思うようになった。
そして、何より。昨日群衆に囲まれて勝利を祝福されていた殿下の姿は、誕生祭にとても相応しいものだった。あの時の笑顔を思い出すと、わたしも自然と笑顔になってしまう。
「……来年のお誕生会には、ベリアルさんも招待してみようか」
わたしが言うと、殿下もバルバトスも目を丸くした。
「あなたらしい斬新なアイデアですね。その発想はありませんでした」
真顔でそういうバルバトスの隣で、殿下が苦笑する。
「あんた時々すごい嫌がらせを思いつくよね」
傍で聞いていたベルフェまで、呆れた声を出した。
嫌がらせのつもりはなかったんだけどな。
「坊っちゃま、ところでこの竜はどうなさるおつもりで?」
「うん、それなんだけどね。マディに頼もうかと思っているんだ。ずっと竜を欲しがっていたし、彼女ならこの子の目を治して、使い魔として使いこなせるだろう」
「大変良いお考えだと思いますが、どなたがお届けになるので?」
「えっ、うっ、いや、うーん……」
珍しく殿下の目が泳いだ。
殿下は救いを求めるように兄弟たちの方へ視線を移したけれど、7人とも——あのルシファーでさえ、目をそらしてしまった。
マモンに至っては顔色まで悪くなり、カタカタと小刻みに震え始めた。
わたしは初めて聞く名前だけど、一体マディってどんな人なんだろう。
「その、バルバトス、君に頼めないかな?」
兄弟たちには助けてもらえないと知った殿下が、申し訳なさそうにバルバトスの方を見た。
バルバトスは一瞬無表情に固まったように見えたけれど、すぐに笑顔と共に答えた。
「わかりました、では、エントに届けさせましょう」
「それはいい考えだな。エントならマディも気に入るだろう」
ルシファーが、惚れ惚れするような悪い笑顔で即座に賛成し、バルバトスと頷き合った。
「ほんと、エントもとんでもない人たちを怒らせたもんだ」
ベルフェが肩をすくめる。
バルバトスはエントが殿下に刃を向けたことを決して許さない。
そして、それはきっとルシファーも。
「今後ことあるごとにあの二人にいじめられるだろうね。僕の大事な兄妹二人を傷つけた罪は許せないけど、ちょっと同情するかな」
そう言ったベルフェもまた、言葉とは裏腹に、なかなかな笑顔だった。
みんなで街の様子を眺めながら、ゆっくり魔王城に向かう。
ポケットには、今朝早くに手に入れた殿下へのプレゼントを忍ばせている。古代火竜の鱗のネクタイピン。綺麗に磨かれた鱗はオパールのように不思議な色に輝き、竜の形に加工されていた。
もともとプレゼントの候補の一つだったけれど、昨日、殿下が火竜をみて子供のように目を輝かせていたので、これに決めた。
喜んでくれるといいな。
プレゼントを渡したときの殿下の顔を想像していると、隣を歩いていた殿下が、ひょいと顔を覗き込んできた。
「笑ってた」
「えっ」
「何か楽しいこと考えてたのかな」
「内緒です」
想像の中の殿下の笑顔につられて、わたしもうっかり笑っていたみたいで、これはちょっと恥ずかしい。
隣で殿下が楽しそうに小さく笑う。
「ベリアルを招待するかどうかはともかく、来年も君が私の誕生日を祝ってくれると嬉しいな」
「もちろんです!」
わたしは両手を握りしめて、力一杯答えた。
殿下が、プレゼントをもらった子供みたいに嬉しそうに笑った。
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