🐉6
「実は、数日前から、反対派の連中に妙な動きがあると聞いていた。だから、君を保護するつもりで魔王城に来てもらうことにしたんだ。それなのに、かえって君を危険な目に合わせてしまった。本当に申し訳ない」
「私とルシファーもその情報がずっと頭にあったために、ついエントの狂言に引きずられてしまいました。面目もありません」
殿下とバルバトスに揃って謝られた。
ベール以外の兄弟たちも、温室に揃っていて、エントは椅子に縛り付けられ、動きを封じられていた。
エントランスに着くまえに、ベルフェが何かおかしいのではないかと気づいたそうだ。念のためベールだけが外の様子を見にいくことにして、みんなはすぐに引き返してきたと言う。
「命拾いしましたね、エント」
バルバトスは、触れるだけで火花が散りそうな怒気を静かに纏い、エントを睨みつけている。こんな彼を見るのは初めてだった。
「説明しなさい、エント。一体なぜこんなことを」
エントはしばらく躊躇っていたが、やがて口を開いた。
「……妹が、人質に取られて……」
「妹が……?」
兄弟たちが、揃って神妙な表情になった。
「……犯人は?」
「三界融和に反対する勢力だと名乗った。ベリアルの妨害の前に君を封じれば、妹を開放すると。そうでなければ……妹はケートスの餌食だと」
エントの顔が苦しそうに歪む。
「ケートス……セイレーンの海か」
サタンが即座に言った。
「……しゃーねーな」
マモンが立ち上がった。
「いくぞ、レヴィ」
「う、うん」
「俺も行く。だけどセイレーンの海は遠いぞ」
ドアに向かうレヴィとマモンを追いかけながら、サタンが言う。
「私が道を繋ぎましょう。エント、あなたの処罰についてはそれからです」
バルバトスは冷たい表情のままそう言い残すと、マモンたちの後に続いた。
「頼んだぞ」
ルシファーが兄弟たちの背中に声をかけ、マモンが背中を向けたまま、ひらひらと手を振った。
「頼もしい弟たちだ」
殿下の言葉に、ルシファーはどうだかな、とそっけない。でもその表情は柔らかかった。
エントは呆然とした表情で4人が出て行ったドアを見つめていた。
ルシファーはエントの前に立ち、冷ややかに彼を見下ろす。
「今弟たちが君の妹の救出に向かった。わかっただろう、エント。君は、真っ先にディアボロに相談すべきだった。……刃を向けるのではなく」
エントは、唇を噛み、何も言わずに俯いた。
「ねえ、ベールが戻ってくるの遅くない?」
さっきからなんとなくそわそわと落ち着かなかったベルフェが口を開いた。
「あとさ、なんか体のあちこちがチクチク痛いような気がする」
彼は不快そうな表情で両腕を撫でるような仕草をした。
「エント、他にも何かあるのか?」
ルシファーに尋ねられ、エントが震えながら唇を開いた。その時。
みしり。
温室全体が、軋むような音を立てた。
「ちょっと、今……なんか嫌な音しなかった?」
不安げに辺りを見回したアスモが、ぴたりと動きを止めた。
彼が凝視している方向を見る。蘭の並ぶ棚の向こう、生い茂る葉の間に覗く、ガラスの壁。そこからはガーデンライトに淡く照らされた池が見えているはずだった。だけど、やけに暗い。
目を凝らして見ると、ガラスの壁の向こう側に、植物の太い枝のようなものが、びっしりと並んでいた。
天井を見あげると、さっきまで見えていたはずの月も星も見えなかった。そのかわりに、やはり植物の太い枝が、何重にも張り巡らされている。
温室全体が、謎の巨大な植物に覆われている。つるバラに覆われたガゼボみたいに。
「どういうことだ、エント」
ルシファーがエントの胸元をつかんで問い詰めた。
「庭のつるバラに持参した魔法薬で呪いをかけた。巨大化したつるバラが、この城全体に巻きついている」
「なんてことを……あのつるバラは、バルバトスが大切に育てたものなんだ」
殿下が悲しそうに首を振る。
「他のみんなを城の外へ出し、ディアボロだけにするためだった。七大君主まで揃っているようじゃ、僕に勝ち目はないから」
ベルフェが、呆れたようにため息をついた。
「あんた本当にわかってないんだね」
温室が、再びみしり、と嫌な音をたてる。
「とにかく、今すぐ解呪してくれ、エント」
殿下がエントの捕縛を解いた。
わたしたちはエントを連れてエントランスへと向かった。
🐉7
「あーッ、で、殿下ァ!みなさんも!!申し訳ございません!ワタクシいつの間にか、なぜか眠っていたようでしてェ」
エントランスの方から、よたよたと転びそうになりながら2番が駆け寄ってきた。大きな両目に涙を浮かべている。
「エント様もご無事で!よかったですゥ」
2番はエントに眠らされたとは気づいていないようだった。エントは無言で目を逸らした。
「それより、大変ですゥ!」
2番がエントランスのドアを開け放つと、そこには、温室と同じように、隙間なくびっしりと太い薔薇の枝が張り巡らされている。これでは外に出られない。
「どの部屋の窓もこんな調子ですゥ!城全体にこの枝が巻きついているみたいですゥ!」
「エント、すぐに元に戻してくれ」
「わかった」
エントはドアの向こうのつるバラの枝に手を伸ばした。
だけどすぐに、不審げな顔になった。
「……どうしたんだ、お前たち?」
エントは巨大化したつるバラに話しかける。
まるで彼の手を拒むように、別の枝が大きくしなり、鋭く彼の手を叩いた。
彼は驚いて手を引く。
「どうしてだ、お前たち……、だめだ、言うことを聞いてくれない。僕には解呪できない」
エントが混乱したように首を振った。
「魔王城は特異な土地だからな。他の呪いと干渉して変質してしまった可能性はある」
ルシファーが言う。
「……うん。そろそろベリアルが指定した時間だ。調べている余裕はないな」
殿下はそう言うと、ドアの方へ進み出た。
そしてつるバラの枝をそっと掴むと、「ごめんね」と小さく呟いた。
枝を掴んだ彼の手のひらが、ほわりと明るく輝く。その光が、寂しげな横顔を照らし出している。やがて、手の中の枝が細かい砂のようになって、さらさらと流れ落ちた。殿下の触れた場所から広がるように、巨大化したつるバラが次々と崩れ落ち、消えてゆく。静かに、音も立てず、ただ、さらさらと砂のようになって空気中に溶けるように消えてゆく。
1分もたたないうちに、巨大化し、魔王城全体をギチギチと締め付けていたつるバラは跡形もなくなっていた。
つるバラが消えた向こうには、引っ掻き傷だらけのベールがいて、彼がなんとかして城のなかに戻ろうと奮闘したことが見て取れた。ベルフェが、駆け寄っていく。
ベールが城門に異常がないことを確認した後、城の中に戻ろうと振り向いた時には、もう城は巨大化したつるバラに覆われていたそうだ。
「よかった、みんな無事だったんだな。腹も減ってきたし全部食ってやろうかと思ったけど、あんまり美味くなかった」
ベールらしいセリフに、ベルフェが力の抜けた笑みを見せた。
「もう、変なもの食べないでよ。僕の方が胃もたれ起こすことが多いんだから」
エントは驚きに目を見開いたまま、真っ青な顔で、へたへたと座り込んでしまった。彼の体が、小刻みに震え続けている。
「今ごろ自分が誰に喧嘩を売ったのか気づいたのか?」
ルシファーがひどく冷めた目でエントを見下ろした。
わたしたちは彼を2番に任せて、沈黙通りに向かうことにした。
街から、14時を知らせる鐘の音が聞こえる。
「多分、これが奴らの目的だ。連中も、エント一人にディアボロをどうこうできるとは思っていない。ただ、君の足を止めて、ベリアルの妨害を成功させるつもりだったんだ」
ルシファーが言う。
「じゃあ、全てベリアルさんが仕組んだことなの?」
わたしが尋ねると、殿下は即座に否定した。
「いや、それは違う。連中はベリアルの妨害を利用しようとしたんだ。ベリアルは強いから大丈夫だとは思うが……でも急ごう」
皆が翼を広げる。わたしは殿下に手を伸ばした。
殿下は、ちょっと意外そうに眉を上げた後で、くすぐったそうな笑顔と共にわたしを抱き上げた。
月を背に、殿下が微笑む。
「こんな時じゃなければもっと楽しめたのに、残念だな……しっかりつかまっておいで」
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