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「やっと来たか、ディアボロ」

 沈黙通りの突き当たりの広場に、姿勢の良い老紳士が仁王立ちしている。眉間には、気難しそうな深い皺。古風で仕立ての良さそうなロングコートの裾が風にはためいていた。

 そこだけ店もなく、飾り付けもない広場は、祭りで賑わう街中にぽっかりと存在する異空間のようだ。その真ん中に、長身のベリアルが柱のように真っ直ぐに立っていた。

 遠巻きに見守っていた群衆は殿下の登場に歓声を上げた。

 ベリアルは殿下と共に降り立ったわたしを睨みつける。

「人間はさがっとれ!」

 鋭い口調に思わずびくりと身をすくませた私の肩を、ベルフェが支えるように抱いた。

「あんたはこっちにきて、僕といて」

 わたしはベルフェに手を引かれ、殿下のそばを離れる。

「ありがとう、ベルフェ。MCを頼むよ」 

「別に殿下にお礼を言われる筋合いはないよ」

 殿下はベルフェのそっけない答えに気を悪くした様子もなく、わたしに笑いかけた。そして口元に笑みを浮かべたまま、前を向く。

 殿下の横顔が思いのほか明るいことを不思議に思いながら、わたしたちは殿下を遠巻きに見守る群衆の中に紛れた。

 ルシファーやアスモ、ベールも、それぞれ離れた場所に、群衆を背に立っている。

「遅れて申し訳ない。お怪我がないようで安心しました」

 殿下はそう言うと、広場の端に積まれている、目を回した魔物たちの小山に視線を投げた。

「ふん。時間通りに妨害せよと絡んで来た連中だ。邪魔だったので、たたんだ」

 ベリアルはこともなげに言った後で、付け足す。

「別にお前を待っていたわけではない。気が向かなかっただけだ」

 予告状の指定時間に遅れた殿下の到着を待ち、わたしを人質にすることもない。

 ——本当に、ベリアルの目的は妨害なんだろうか?

 見ると、殿下の表情は明るい。瞳を輝かせているのは、きっとこれから起こることへの期待。口元に、微かな笑み。

 彼はきっと今、楽しんでいる。子供みたいに。

 こんな時なのに、つい釣られて口元が緩みそうになった。

 ベリアルが、地面に古めかしい杖を突き立てる。

「お前、近頃は新しいゲームとやらに夢中らしいな」

 彼はそう言うと、何やら厳かに詠唱を始めた。地面からしゅうしゅうと湯気のようなものが立ち上り始める。

「魔王の後継だなどと私はまだ・・認めぬ。自分が相応しいというなら・・・・・・・・・・・・封じてみせよ・・・・・・

 ベリアルはそう告げると、蒸気に紛れるように姿を消した。

 直後。

 凄まじい地鳴りと共に、咆哮が響き渡った。

 蒸気の中から、巨大な赤い竜が現れる。

 広場の真ん中に突然現れた竜に、取り囲んで成り行きを見守っていた群衆から悲鳴まじりの歓声が上がった。

「驚いたな……古代火竜じゃないか。まだ生息していたのか」

 殿下は驚いた表情のまま、竜に手をかざした。

 暴れようとした竜が、見えない壁にぶつかる。殿下が竜の周りに見えない檻を作り出していた。竜は広場から出られない。

「この間、ゲームに出てきて、レヴィと二人で協力して倒したんだ。楽しかったな。なかなか強敵だったんだよ」

 駆け寄ってきたルシファーに話しかけながら、殿下は大きな火竜を見上げ、子供のように目を輝かせていた。

「それにしても、生きている個体は初めて見た。見事なものだ」

 火竜はひどく興奮していて、長い首を振りあげ、咆哮と共に火炎を吐き出した。 

 ルシファーが咄嗟に炎を防ぐ。

 魔法の檻は、火竜を閉じ込めることはできても、吐き出す炎まではふさげない。

「おい、呑気に感動している場合ではないぞ、ディアボロ」

「うん、できれば彼を傷つけたくないんだが……」

「アスモ!お前の魅了でなんとかならないか」

「やってみる」

 アスモは殿下の作った透明な檻の中、火竜の真前に軽やかに躍り出たけれど、なかなか火竜の注意を引くことができない。

 火竜は混乱したように暴れ続けていた。

「ルシファー、これ、僕には無理!この子目が見えてないんだよ」

「危ない、アスモ!」

 ベールがアスモを担ぐようにして上空に跳んだ。直後、アスモがいた場所に、火竜の尾が勢いよく振り下ろされ、地面に亀裂が走る。

 殿下とルシファーは、通りに被害がいかないように火竜が吐く炎を防ぎ続けている。二人とも、断続的に吐き出される炎に手を焼いていた。

「ディアボロ、これでは埒があかない。この檻もいつまでも持たないだろう」

 ルシファーが、殿下に決断を促す。

「この子も目が見えなくて混乱しているんだ。この火さえ止められれば……」

 殿下は火竜を見上げた。

「ヘイヘイヘーイマモン様のご帰還だぜえ!こっちはまたえらいことになってんなあ」

 突然、場違いに能天気な声が聞こえた。振り返ると、ここまで空路を来たらしいマモンたちが降り立つところだった。マモンはわたしたちに気づくと、親指を立てて見せた。

 4人とも、表情は明るい。

 人質救出は上手くいったらしい。

 飛べないレヴィは、サタンとマモンに肩を借りるようにしてここまで来たようで、地面に足がついた途端に座り込んで、ほっと息をついていた。

 単体で優雅に降り立ったバルバトスは、火竜を見ても動揺した様子もなく、端的に殿下に報告した。

「坊っちゃま、人質は無事救出いたしました。黒幕も捕獲済みです」

「そうか、よかった。ありがとう皆。ちょうどよかったレヴィ、こっちも君の力が必要だ!」

「はぇ?ぼ、ぼく?」

 地面に降りてほっと一息のレヴィは、殿下に再び指名されて、目を白黒させる。

「リタンを呼んでくれ!」

「ええっ、殿下もしかしてこの火竜とリタンを戦わせるつもり?確かにこっちが有利だけど、大惨事になるよ」

「いや、戦う必要はない。必要なのは水なんだ」

「……!そっか、わかった!」

 殿下の意図を理解したらしいレヴィは、直ちにリタンを喚ぶ。

「地獄の七大君主、海軍将軍レヴィアタンの名において命ずる。出よ!」

 ——リタン!

 広場に、雷鳴と共に、渦巻く濁流が出現した。その濁流の中に、火竜と向き合うもう一体の竜、その頭上にはレヴィの姿が小さく見える。レヴィは落ち着いた表情で火竜を見つめている。新しく姿を現した竜の咆哮とともに、彼らを包む水が空高く巻き上がった。巻き上がった濁流は、火竜の頭上から叩きつけるように降り注ぐ。火竜が怯んだように、一瞬動きを止めた。

 洪水として通りを飲み込むかと思われた濁流は、火竜を包んだまま、渦巻く壁となってそこにとどまっている。

 火竜はこれで火が吐けなくなった。

「いいぞ、レヴィアタン!」

 だけど、火竜を封じ込んだと思われた水の塊から、湯気のようなものが立ち上り始めた。水の壁の中を、ゴポリ、ゴポリと気泡がのぼってゆく。

「沸騰し始めてる!殿下、あんまりもたないよこれ!」

 リタンの上からレヴィが叫ぶ。

「十分だ」

 殿下は慌てる様子も見せず、水壁に包まれた火竜に向かって再び手をかざした。殿下の全身が淡い光を纏い、金の瞳が輝きを増す。パキパキという涼しい音を立てながら、火竜の周りに透明な硬い壁が勢いよく立ち上がっていった。

 瞬く間に、広場の真ん中には巨大な火竜の氷詰めができ上がっていた。

 見守っていた群衆から再び大きな歓声が起こった。

 皆が殿下を褒め称える。

 畏怖と敬愛。

 殿下の力に、誰もが圧倒され、感激している。

「こういうの見てたらさ、エントも無謀なことは考えなかっただろうね」

 ベルフェがぽつりと言った。

 ああ、そうか。

 もしかして、ベリアルさんは——。

 押しかけてくる群衆を兄弟たちが抑えている中、地上に降り立ったレヴィとハイタッチを交わした殿下が、晴れやかな笑顔でこちらを振り返った。

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